前にも述べたように、IPCCが主張する“CO2が増加すると温度が上がる”というのは証拠のない仮説である(→温暖化の科学の出発点)。気候と CO2 を結び付ける IPCC のアプローチの問題点は、産業革命以前、大気中の CO2 濃度は約 280 ppm でほぼ一定であったと仮定していることにある。この仮定に基づいてCO2に関しても、温度変化に類似のCO2版の“Hockey Stick”曲線がIPCCにより提唱された。下図は2007年の報告書からである。温度の“Hockey Stick”曲線は、2007年の報告書で取り下げられたが、2021年の報告書で再び戻ってきた(→Michael Mann の名誉棄損訴訟のゆくえ) (→戻ってきたホッケースティック曲線)。これら二つの“Hockey Stick”曲線がIPCCの仮定の出発点になっている。
Fig.1 IPCCにより提唱されたCO2の“Hockey Stick”曲線
アメリカでは1930年代に何度か熱波が観測されている。1934年は、アメリカでは近年で最も暑い年の一つであった(→気候はいつも変動してきたのでは…?)。後に示すが、1930-40年は世界的にも暖かい期間だった。この温度変化に呼応したCO2の変化が上図の“Hockey Stick”曲線には見られない。しかし、過去のCO2の直接分析結果によると、実際には1930-40年にCO2の大きな変化があったことがわかる。CO2 が気温の変化に伴ってかなり変化していたのである。ここでは二つのの論文(1,2)を基に過去のCO2変化について整理していく。
IPCCの気候とCO2についての仮定は、Callendar と Keeling による大気中の CO2 濃度に関する1800 年から 1961 年の間の380 を超える文献のレビューに基づいている。Keelingと IPCC はこれらの論文を詳細に検討しなかった。むしろ、彼らはこれらの技術の信用性を傷つけたとも言える。入手可能な文献の約 10% しか調べていないのである。そして、ほとんどに欠陥があるか不正確であるとして、彼らは受け入れを拒否したのである。
1857 年から 1958 年の間、大気中のCO2を測定する方法は、Pettenkofer法が標準的な分析法だった。誤差は 3% 以下である。しかし、Callendar(1938 年) 以降の気候学者達はCO2 の直接分析法を無視してきた。Beck(1)はこれら分析の正当性を1日、1カ月、1年の変化について丁寧に比較、検討している。
1812 年以降、大気中のCO2 について90,000 件以上の化学分析が行われた。過去の直接分析結果は、下図(1)に示すようにCO2 が単調に変わってきたのではなく、気温の変化に伴ってかなり変化したことを示している。そして、北半球におけるCO2の濃度は3つの高レベルを示した。高レベルのピークは、1825 年、1857 年、1942 年頃に観測された。上記でも述べた1930-40年の温暖期に対応する1942年のピークでは、現代のCO2濃度に匹敵する400 ppm 以上の値が観測された。
Fig.2 北半球における1812-1961間のCO2の直接分析結果、1857-1961間は一年以上にわたりサンプリングした結果を含む、右上のチャートはサンプリング期間と分析者名を示す(1)
この間の南極の温度変化の例は下図で示される(2)。CO2の三つのピークが温度の上昇に対応していたのだろうと推測できる。従って、1812-1961間のCO2、温度とも “Hockey Stick”で指摘されるように決して単調に変わってきたのではなく、かなり変化してきたことをデータは示している。
Fig.3 CO2分析値と南極の平均温度との比較、温度のラインは(3)より
なお、日本においても下図で示すように屋久杉の年輪炭素同位体の測定結果から平均気温の変化が推量された(4)。この代替指標(proxies)によると、江戸時代の後期19世紀の初頭に温度の上昇があったことを示している。
Fig.4 屋久杉の年輪炭素同位体から得られた平均気温の推移(4)
下図は、南極の大気のCO2の直接観測結果と氷床コアからのCO2濃度の推定値を一つのグラフに表したものである。氷床コアサンプルの比較的新しい表層フィルンのCO2濃度と大気の直接観測データが良く合っているから、氷床コアによって得られた深層のデータも過去の大気を良く再現しているという(5)。しかし、フィルンと古い圧縮された氷床コアとでは、CO2の溶解度と拡散の影響でCO2濃度がかなり異なる(2)。従って、深層の氷床コアデータが過去の大気を良く再現していると言う推論は拙速である。
Fig.5 氷床コアサンプルから得られたCO2濃度の推定値と最近の南極点におけるCO2濃度の観測結果
Fig.5はCO2の直接の分析結果と代替指標の分析結果を合わせて表示している。本来は性質の異なるデータを一つのグラフに重ねて、同一の物理化学的性質であるかのように表すことは避けるべきである。上で示したCO2の“Hockey Stick”曲線Fig.1も、同様に大気中のCO2の直接分析と氷床中の代替指標の分析結果を重ね合わせたものである。以下この図の起源について文献(2)から引用する。
南極から採取された1890年に堆積した氷床は、深部ほど圧力変化は大きくない。このサンプルのCO2濃度は328 ppm(6, 7)であった。しかし、人為的温暖化仮説を証明するために必要な290 ppmより大きい値であった。 83 年後の1973 年に、ハワイのマウナロア火山の大気から直接採取された空気も、同じ 328 ppm の CO2 濃度だった(8)。つまり、工業化以前の CO2 レベルが 20 世紀後半と同じだったのである。
この「問題」を解決するために、研究者らは単にその場限りの仮定を立てた。1 ~ 10 グラムの氷から回収されるガスの年齢は、ガスが閉じ込められていた氷よりもちょうど 83 歳若いと恣意的にみなしたのである(9,10)。つまり異なる性質のデータが、下図で示すように83年ずらして重ね合わされた。 実際には1942年頃にCO2の400ppmを越えるピークがあったはずだが、重ね合わせたグラフを使って抹消された。
Fig.6 代替指標としての氷床コアサンプルからのCO2分析結果と大気の直接分析によるCO2濃度の重ね合わせ(4)
以上、まとめるとCO2濃度は単調に変わってきたのではなく、非常に多くの過去の直接分析結果から、大きく変化してきたことがわかる。そして、1812-1961間、北半球におけるCO2の濃度は3つの高レベルを示している。高レベルのピークは、1825 年、1857 年、1942 年頃に観測された。現代のCO2濃度に匹敵する400 ppm 以上の値が観測されてもいる。気温の変化に伴って、CO2濃度も変化してきたのである。これは、前回まで述べてきたCO2濃度が温度により決まるということを裏付ける(→温暖化の科学の出発点 2)(→ 大気中のCO2 濃度は温度で決まる)。さらに氷床コアサンプルによるCO2濃度の代替指標は実際の濃度よりかなり低目に出ること、また経時変化に対しては非常に応答が鈍いことを示す。
- Beck, E.-G., Energy & Environment, pp. 1-17 2007
- Zbigniew Jaworowski, EIRScience March pp. 38-53 2007
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