Monthly Archives: February 2023

一体「ツバル」は沈みつつあるのか? – NHKの恐怖に訴える論証

20年前(2002年)のNHKスペシャル、「地球温暖化で島が沈む、南の島、ツバルの選択」は、南太平洋のサンゴ礁の島「ツバル」が、地球温暖化による海面上昇で沈む国だと放送した。しかし、ツバルでの目立った海面上昇は観測されていない。沈没説にはどうも政治的な臭いがついて回る。 Fig.1 ツバルで海水が浸水した家 (Webから) 2006年には、「地球温暖化による今後100年の気候異変を最新科学で迫る」という二夜連続のNHKスペシャルの番組で「異常気象、地球シミュレータの警告」が放送された。しかし、異常気象の統計的データはまだ観測されていないにもかかわらず、シミュレーションの結果を述べるのみだった。どうも、異常気象説にも政治的な臭いがついて回るようである。 つい先日(2023年、2月)、NHKスペシャル、混迷の世紀、第7回が放送された。ロシアのウクライナ侵攻後に、脱炭素政策がゆらぎ始め、灼熱地球の恐怖があるのだという。 Fig.2  NHKスペシャル、混迷の世紀、第7回 (Webから) 証拠のない仮説を肉付けするために、発足当時のローマクラブではシミュレーションが用いられた。IPCC でもこれが踏襲されている。「恐怖に訴える論証」をするためにシミュレーションを実行し、結果が如何に恐怖に満ちたものかを示そうとした。 温暖化は人為的な行動変化により起きる。 CO2が増えると恐ろしい地球環境になる。 したがって温暖化を抑制するには、CO2を減らすのが真の答である。 恐怖、不安、疑念(fear, uncertainty, and doubt、FUD)は、販売やマーケティングにおける「恐怖に訴える論証」を指す用語である。企業は人為的温暖化の仮説に否定的な態度を取れば企業イメージを損なう恐怖がある。だからネガティブなことは言えないのである。 上記「NHKスペシャル」では恐怖を煽った。シミュレーションの結果をまるで事実であるかのように報道する。CO2による人為的温暖化で異常気象、巨大災害が起きるという。科学的証拠なしに危機感を煽り恐怖に訴えるわけである。さて前回に続いて、IPCCへ提出されたICSFのレビューをもとに今回は海面変化について整理することにする。 地球平均海面 (global mean sea level: GMSL) は最後の氷河期の終わりから上昇しており、20,000 から 7,000 年前の間に約 130m 上昇した (図 3)。その後、小氷期 (約 1350 年から 1850 年) などの寒い時期での中断を挟んで、上昇率は遅くなった。現在の GMSL 上昇期は、小氷期が終わり、アルプスの氷河の融解が明らかになった 1850 年頃に始まる … Continue reading

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戻ってきたホッケースティック曲線 – IPCCが繰り返す茶番劇

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書(AR6)が2021年から2022年にかけて公表された(和訳)。驚くことに、そのAR6に再び「ホッケースティック曲線」が戻ってきたのである。前回、この曲線の背景を詳しく述べたが、それを振り返ってみると今回は本当に恥ずべき事だろう。WG1 政策立案者向け要約 (SPM)に対するWeb上のレビューに、科学的側面が簡潔に述べられているので、以下整理しておく。 今度の「ホッケースティック」グラフ (Fig.1左図) は、過去 2,000 年間のさまざまな期間の異なる指標を組み合わせたものである。これらの組み合わせにより、現在十分確立されている温度変動、すなわちローマ時代と中世の温暖期そして続く小氷期、が否定されることは受け入れられない。 Fig.1 AR6におけるホッケースティックグラフ SPM ではいわゆる「異常気象」の発生確率が誤って伝えられている。本レポートのドラフトの正確な描写と比較して、多くのカテゴリで統計的な傾向と一致しない。 北極、南極の変化は SPM で誤って伝えられている。特に過去 15 年間、北極の海氷には事実上変化が見られない。同様に、海面の変化が、SPM で誤って表現されている。2100 年まで緩やかに上昇する可能性があるとしても「気候危機」を示すものではない。 CMIP6 気候モデルは、AR5 の気候感度の大きな CMIP5 モデルよりもさらに気候感度に敏感にである。実際の気候感度は低いという査読済みの科学的証拠を無視している。モデルは、地球科学と炭素バランスについて間違った結論を与える。また 2100 年までの地球の気温上昇の可能性は、「気候危機」を示すものではない。 SPM は実際には存在しない「気候危機」を誤って指摘している。 SPM は、大きな社会的、経済的、人間的な不適切な対処法を正当化するために使われることになる。提案された政策への影響の大きさを考えると、SPM は最高の科学的基準を持ち、IPCC 内で非の打ちどころのない科学的完全性を示さなければならない。 2010 年に、当時の国連事務総長および IPCC 議長の要請により、InterAcademy Council が IPCC 手順の独立したレビューを実施したことを思い出してほしい。その勧告の中には、レビューアのコメントが著者によって適切に考慮され、真の論争が IPCC … Continue reading

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Michael Mann の名誉棄損訴訟のゆくえ

ペンシルバニア州には東と西にフィラデルフィアとピッツバーグという二つの大きな町がある。あとは森と小さな町が点在するのみである。その中間に州都のハリスバーグがある。ハイウェイで東から西へ向けてドライブするとハリスバーグを過ぎたあたりから正面に南北に連なる盛り上がった山が目の前に立ちはだかる。これがアパラチア山脈で、オハイオ州の東部まで続く。 ハリスバーグの南東10マイル (16 km) のところにサスケハナ川があり、川にはスリーマイル島という中州がある。長さがスリーマイル (実際の長さは2.2マイル)である。この中州の中に1979年に事故で有名になった原子力発電所がある。 サスケハナ川に沿って北西へ北上し、途中から西のアパラチア山脈へ向けて行くと、小じんまりしたいくつかの町中を通り過ぎる。昔は、そのうちのひとつの町にサンヨーの工場があった。なぜこのような山の中の小さな町に、というようなところである。大きな峠を越えてさらに30分進むと大学の町へ導かれる。これが州のほぼ中央にあるペンシルバニア州立大学である。この大学にマイケル・マン(Michael Mann)がいる。彼は現在地球科学センター長を務める。   Fig.1 Michael Mann 彼は、エール大学でPhDを取った後、マサチューセッツ大学でポスドクとして研究を行った。その時、1998年にNatureから出した論文が世を騒がすことになる。この後の2001年に出たIPCCの第三次の報告書に引用された一連のプロセスは、”科学とは如何にあるべきか“という教訓が含まれている。 2011年と2012年にMannが二つの名誉棄損訴訟を起こした。1998年の論文のいわゆるホッケースティック曲線が科学的に間違いだと糾弾され名誉を傷つけられたというのである。このホッケースティック曲線はクライメートゲート事件と並んでIPCCの大きな汚点である。この科学的な背景と結末をまとめておきたい。最初に、ホッケースティック曲線の歴史の流れを知っておく必要があるので、長くなるがWebの資料をもとに整理しておく。 人為的温暖化の仮説を肯定する人々の主張の核心は、19世紀に始まった現代の温暖期が前例のない程、温度が上昇しているという推定である。もし同様の温暖化が人為的なCO2排出量が増加する前の古代から近代に起きていたなら、現代の温暖化が自然現象であり人為的に排出されたCO2とは無関係である可能性が大きい。 大気中のCO2が温室効果を持っていることは物理的に良く理解されている。(“CO2 the basic facts“)。重要な事は自然界のシステムにおけるCO2の定量的な寄与である。定量的に答えることは非常に困難である。だから前例のない温暖化が現在起きていてCO2による人為的な温暖化がただひとつの可能な因子だということを示すことはひとつの方法である。 1990年代までにAD 800–1300年における中世の温暖期(Medieval Warm Period)(MWP)に関する多くの文献があった。その後小氷河期(Little Ice Age)と言われる寒冷期が続いた。温度の指標となるデータ(proxy measures)と多くの文献に基づいて、中世の温暖期は現代の温暖期より気温が高かったものと考えられてきた。1990年代半ばまでは中世の温暖期は気候学者にとっては議論の余地のない事実だったのである。1990年のIPCCの報告でも明記されている。202ページのグラフ7cに見られる。そこには中世の温暖期の温度が現代の温暖期よりも高く記されている。 1995年の二次の報告書では、温暖化に対してCO2がより影響力の大きい因子として担ぎ出された。中世の温暖期はもはや二次的な意味しかなくなった。中世以降の温度軸が短くされ、小氷河期以降の長くてゆるやかな現代までの回復曲線となった。IPCCのメンバーだったJay OverpeckからDeming教授への”我々は中世の温暖期を取り除かねばならない。”というemailで明らかである。 1995年のIPCC二次の報告書と2001年の三次の報告書の間で大きな変更があった。気候変化の歴史の改変と中世の温暖期の除去は有名なホッケースティック曲線を通して行われた。下の二つのグラフを比較するとその過程が明らかになる。左は1990年の報告書の202ページ7cである。中世の温暖期の温度ははっきりと現代よりも高く示されている。右側は2001年のIPCC報告書 である。中世の温暖期と小氷河期は消滅している。そして現代の急激な温度上昇となっている。 Fig.2 広く受け入れられてきた概念に対する最初の一撃は1995年だった。イギリスの気候学者Keith Briffa がNatureにセンセーショナルな結果を発表した。Siberian Polar-Uralの年輪の解析に基づいて、中世の温暖期はなく1000年の後、突然温暖な気候が現れたものと報告した。Briffaらは20世紀が百万年で最も温暖だと大胆にも提案した。この提案はCO2の影響に関する論争の中心になっている。これは5000-9000年前の完新世の気候最温暖期(Happy Holocene参照)をも無視するものである。 Briffaの研究はある程度の衝撃を与えたが、さらに大きな真の衝撃がついに1998年のNatureで公表された。Mann、Bradley、Hughesの”Global-scale temperature patterns and climate forcing over … Continue reading

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気候はいつも変動してきたのでは…?

IPCCとその支持者達は、気候変動が最近顕著になっていると主張し、人為的に増加しているCO2のせいだという。しかしそれを裏付ける統計データを見たことがない。大雨が降った時、山火事が続く時、高温の時、台風が続けて来る時、死んだサンゴ礁が多く見つかった時など、IPCCとメディアがこぞって「気候変動」だ「CO2を減らせ」と騒ぐのである。 気候変動というのはいつの時代にも起きてきた。アメリカでは1930年代に何度か熱波が観測されている。1934年は、アメリカでは近年で最も暑い年の一つであった。その前後数年、グレートプレーンズでダストボールと呼ばれる砂嵐が頻発した。熱波に加えて人為的な影響が大きかったとも言われている。第一次世界大戦後、農家は利益を得るため、土地は過剰にスキ込まれ草が除去された。肥沃土は曝され、土は乾燥して土埃になり、それが東方へと吹き飛ばされた。離農する人々が増え、多くの土地が捨てられた。こうした耕作放棄地が乾燥し、さらに砂嵐の発生源となった。   Fig.1 大きな砂嵐が西部の小さな町を襲おうとしている 子供のころ大きな台風被害のニュースが頻繁にあった。昔はインフラストラクチャーが今より整備されていなかったのだろうと思っていた。しかし、データを拾ってみると(Table 1&2)、1950±10年に被害が多く、しかも中心気圧も低い台風がそのころ多かったことがわかる。砂嵐、台風といった気候変動がCO2とは関係なく起きてきたのである。 Table 1 台風の被害ランキング Table 2 日本史上最強の台風ランキング 以前述べたように、アラスカの州都ジュノーから北北西 20 kmのところにメンデンホール氷河がある。1700 年代半ばの時点で、メンデンホール氷河は最長の前進点に達し、それ以降後退して行く。その変化のデータが良く残されている。CO2の濃度上昇が顕著になる前の1700年半ばから氷河の後退は始まっている。氷河の後退は、CO2による影響というより自然サイクルによる小氷期の終焉のためだと考えられる。 地球表面には太陽エネルギーが降り注ぐが、曲面が均等に暖められるわけではない。自転の影響もあり地球表面には貿易風、偏西風、極東風が吹いている。また地球表面の70%を占める海は不均等な表面温度と風の影響で東西、南北に大きく流れている。風の強さは常に一定ではないし、海底の地形も複雑であるから海流の強さは変化する。従って、水の熱容量が大きいこともあり、水の惑星地球は表面温度に偏りが出てくる。当然気候変動と密接な関係があるはずである。 太平洋の熱帯域では、貿易風の東風が吹いている。そのため、海面付近の暖かい海水が西側へ吹き寄せられる。インドネシア近海では海面下数百メートルまで暖かい海水が蓄積するという。東部の南米沖では、深いところから冷たい海水が海面近くに湧き上ってくる。このため、海面水温は太平洋赤道域の西部で高く、東部で低くなる。 良く聞く気象用語にエルニーニョ現象がある。東部の低い海面温度が平年より高くなる現象である。地球全体としても温度が上がる。逆に、同じ海域で温度が平年より低くなる時がありラニーニャ現象と呼ばれる。地球の温度も下がる。ラニーニャ現象が発生している時には、東風が平常時よりも強くなり、西部に暖かい海水がより厚く蓄積する一方、東部では冷たい水の湧き上がりが平常時より強くなるという(気象庁)。この二つの現象は数年おきに発生する。エルニーニョの前後にラニーニャが発生するることが多い。 下図に示すように、南北の海流の動きを巻き込んだ地球規模の「全球規模熱塩循環流」が知られている。その循環のうち、大西洋だけで循環する流れを「大西洋熱塩循環流」と呼ぶ。 莫大な熱を運ぶため気候に大きな影響をおよぼすほか、「大西洋数十年規模振動」のメカニズムの基盤だと考えられている。30~40年おきに寒冷化と温暖化をくり返す。 Fig.2 大西洋を起源とする全球規模の熱塩循環流 太陽による地球表面の不均衡なヒーティング、大気の不均衡な動きによる風、全地球上の海水の大きな循環、海水の不均衡な流れ、地球の自転などは気候変動に及ぼす主要な因子として考えられる。つまり、気候変動はCO2とは関係なく起きて来たし、現在もそうである。 昨年の夏は暑い暑いと言うニュースが流れていたら、今年の冬は世界各地で寒いようである。エルニーニョ、ラニーニャの傾向を表す指数の変化は下図のようになる(エルニーニョが赤、ラニーニャが青)。このグラフは、現在ラニーニャが2,3年続いていることを示す。日本の寒波、大雪にも影響があったのかも知れない。 Fig.3 ENSO(El Niño/La Niña Southern Oscillation) 指数 1979年以降人工衛星で地球表面の温度測定が継続されているが、その結果が下図のようである。ラニーニャに伴い気温が最近下降気味である。なお、付け加えておくと、1997年のエルニーニョの時に高温になったが、それ以降、25年間地球温度は横ばいである。 Fig.4 UAHの人工衛星による温度実測値 (UAH: The University of Alabama in Huntsville) … Continue reading

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温暖化問題 – なぜ原発回帰なのか

1958年、瀬戸内海の対岸の岩国(現三井化学)と新居浜(住友化学)で、ほぼ同時にフレアスタックから火が燃え始めた。石油化学の幕開けでナフサクラッカーが起動し始めたのである。今考えると両方とも日本最初のエチレン製造プラントだったが、土地のスペースはそれほど広くはなかった。それでも岩国は港をかかえ新造された麻里布丸(麻里布とは岩国の古い地区の名前)という四万七千トンのタンカーを横づけすることができた。新居浜は商店街を挟んだ社宅から耳を澄ますと「ゴー」というポンプ、圧縮機などが混ざった操業音が聞こえた。 Fig.1 三井化学岩国工場のフレアスタックを東の小瀬川から臨む。 瀬戸内海へ注ぐ河口は遠浅になっていて1958年頃は潮干狩りに最適だった。 1960年代になると石炭から石油へのエネルギー変換が進んで行く。日本の石炭は低品位炭で硫黄分が多く、需要の多い製鉄に使われるコークス製造にも向いていない。また生産コストが高いために、北九州、北海道の炭鉱は次々と閉山していき輸入にたよっていくことになる。福島県浜通り南部の常磐炭鉱も縮小され、ついには閉山になった。 常磐炭鉱の閉山の後、雇用創出のために、1966年に地元の温泉を利用した大温泉プールを併設した「常磐ハワイアンセンター」が、現在のいわき市に開設された。同じ年に五市を中心に大合併して日本一広い市「いわき」ができる。当時は初めてのひらがなの市であった。また福島県も次期エネルギーと工業化を目ぼしい産業のなかった浜通りに画策していた。 宮城県南部から千葉県の房総半島まで長い砂浜の海岸線が続く。茨城県の中央部の鹿島は砂浜を掘って港を作り(掘り込み港湾)、鹿島コンビナートとなって行く。そして三菱系(当時の三菱油化)のナフサクラッカーが作られる。北は日本鉱業から派生した日立製作所が工業地帯を形成して行く。福島に入ると常磐炭鉱が閉山された後、海岸線に沿ったいわゆる浜通りには何も産業がなかったのである。 下はいわき市にある塩屋崎灯台を訪れた時の写真である。1961年に行った時は一面砂浜の海岸だったが、大震災の後2019年に訪れた時は、人工の防波堤と新たな道路が作られ昔の面影はなかった。塩屋崎灯台は、1957年の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったところである。また岬の麓には美空ひばりが1987年にリリースした「みだれ髪」の歌碑ができていた。 Fig.2 北側の人工堤防の上から塩屋崎灯台を臨む(2019/6) 常磐炭鉱が下火になったころ、東北電力は奥只見の水力発電システムを構築した後であり原子力エネルギーまで手が回らなかったらしい。一方、東京電力はすでに水戸の北にある原子力産業の拠点となっていた東海村近辺に原子力発電所の建設を考えていたようである。そこで福島県と東京電力の思惑が一致して、浜通りに原子力発電所の建設が決まったという。原発事故の後、福島県が東京へ電力を供給するための犠牲になったと言う人もいるようだが必ずしもそうではないだろうと思える。 1970年代に入ると1973年と1979年の二度のオイルショックによりエネルギー産業の転換期を向かえる。石油エネルギーから原子力エネルギーへの多角化が図られていく。このころから原発の安全性がアピールされ始め安全神話が広がっていったようだ。2000年代に入り温暖化対策のカーボンニュートラルという世界の潮流が原発を後押ししていく。しかし、2011年に福島原発の事故が起きてしまう。そして「FUKUSHIMA」は原発事故の代名詞になってしまった。 福島第二原発の北に富岡町がある。昨年(2022年)12月にこの町を訪れた。2011年、富岡は震度6強を記録している。富岡駅は海抜9 mであり、この地区は最大21 mの津波被害を受けている。さらに原子力災害という三重苦を負った。駅舎、駅の回りの家々は全て新築であった。常磐線は、2020年3月、富岡―浪江間で運転を再開し、9年ぶりに全線がつながっている。 この富岡町に2018年東京電力廃炉資料館ができた。現在は予約した上で案内係の人と共に見学することになっている。写真撮影は案内係の人の前でのみ可能である。下の写真は事故後を写したスライドの前で説明する案内嬢である。 Fig.3 事故後の第一原発を写したスライドの前で説明する案内嬢(2022年、12月) この資料館が、現在見学者へ伝えたいことはやはり汚染水の処理にについてと思われる。汚染水は淡水化装置を経て濃縮される。さらにALPS(Advanced Liquid Processing System)という独自のプロセスでトリチウム以外の62種類の放射性物質が規制基準を下回るまで浄化処理される。この装置は、沈殿処理と吸着処理からなっているようである。汚染水中のトリチウムは水すなわちHTO(通常の水はH2O)として存在する。トリチウム水は通常の水と化学的性質が同じなので、煮ても焼いても汚染水から取り除くことはできない。そこで最終的な処理水は海水で希釈された後、海へ放出されることになる。100倍近くに希釈するようである。処理しても含まれるトリチウムの絶対量は変わらない。 どのようなプラントも二重、三重の安全対策が施されている。圧力容器は必ず非常時の高圧を逃すためのデバイスがついている。弁や板が使われる。原子炉の圧力容器、格納器も同様のはずで、ニュースで耳にしたベントもそうであろう。従って、異常時には少なからず汚染物質が外へ放出される。原発は限りなく安全に近いのだろうが、事故が起きてしまうと福島のように取返しのつかないことになる。 地球温暖化が重大であり、化石燃料からのCO2排出が原因だと信奉する人々にとって、エネルギー源を何に求めるのかは、ジレンマに陥る問題に違いない。彼らにとり化石燃料はCO2を排出する悪役、原発はCO2を出さない善役である。しかし、現代の科学データは「温度変化の結果がCO2の変化である」ことを示している。この立場に立つと今後のエネルギー対策と地球環境の方向性が180度変わることになる。化石燃料は今後数百年の可採埋蔵量がある。特に石炭は広く分布し日本にもまだ埋蔵量がある。 今後石炭は、以前のように日の目を浴びても良いはずである。日本の火力発電所は排煙処理が行き届き、発電効率も高い。下図は横浜にある磯子火力発電所におけるSOx(硫黄酸化物),NOx(窒素酸化物)の排煙処理の例である。世界の他のプラントに比べ排煙処理は高い効率である。 Fig.4 横浜の磯子火力発電所の廃ガス中のSoxとNOxの処理能 20 世紀後半から石炭ガス化複合発電(IGCC: Integrated coal Gasification Combined Cycle)がアメリカと日本で研究されてきた。実証プラントがアメリカのエネルギー省のサポートで建設されている。日本では、1980年代以降三菱重工、電力会社、NEDO(オイルショック後に作られた新エネルギー関連の国立法人)の国家プロジェクトとして開発されてきた。 微粉炭のガス化は既に1950年代に確立されていて生成された合成ガスの水素はアンモニア合成に利用される計画もあった。この計画は石炭から石油へのエネルギー変換でたち切れになっている。このガス化プロセスがIGCCに組み込まれている。酸素を制限した部分酸化によりCOと H2の合成ガスが生成されて、高温高圧のガスでタービンが回される。さらにこの高温高圧ガスを燃焼させてスチームを発生させタービンを回す。全発電効率は48%とのことである。現在、実証プラントは勿来IGCCパワー合同会社に引き取られ商業運転が続けられている。おそらくIGCCの商業運転をしているのは世界でここだけだと思われる。 Fig.5 IGCCプロセスの概略 かってのバイオマスであった石炭と石油、そして原子力エネルギーへの流れを手短に述べてきた。バイオマスの産物を元のCO2へ戻そうとすると大きな非難を浴びるようである。一度事故が起きたら取返しのつかない事態になる原発へ回帰すべきなのだろうか。IPCCのプロパガンダを鵜呑みにせず、科学的事実に基づいて今後のエネルギーの方向性をじっくり考えていきたいものである。

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温暖化問題 – 重箱の隅をつつく

自宅の近くにイリノイ大学 (University of Illinois at Chicago: UIC) のシカゴキャンパスがある。自宅周辺はシカゴのダウンタウンに近く散歩するのも大都会の中なので緊張感がいる。しかし、大学 (UIC)のキャンパスだけは緑も多く車を気にする必要もない。散歩するのには良いところである。 Fig.1 イリノイ大学キャンパスの一角(2022/8) その大学(UIC)のフェイスブックのアカウントにSustainability at UICというグループがある。2015年9月の国連サミットでSDGs(Sustainable Development Goals: 持続可能な開発目標)が採択された。そのSDGsにならって温暖化問題を中心に環境保護のために行動をしようということらしい。 先日このサイトに次のような主張があった。”クリスマスツリーを一般ごみと一緒に処分すべきではない。一般ごみは埋め立てられ、分解して温室効果ガスのメタンを発生する。温暖化に対してメタンはCO2よりも影響が大きい。だから、クリスマスツリーは粉砕してマルチにすべきだ。そのための市が決めた場所に捨てよう。” この主張を読んだ時、随分と「重箱の隅をつつく」話だなあと思った。なぜかを説明するために、温暖化とCO2の因果関係を整理しておきたいと思う。詳細は全てこのブログで以前述べてきたことである。 Fig.2 廃棄されたクリスマスツリー Fig.3 マルチの例 整理-1 IPCCの地球上の炭素バランスによると全炭素のサイクル量が150 Gt、そのうち光合成に関与している炭素が60 Gt、残りの90 Gtが地球上のCO2の放出、吸収に関与している量である。90 Gtのうち化石燃料の燃焼で排出されるCO2は炭素換算すると5 Gtである。従って、人為的に排出されるCO2の量は、全炭素サイクルの約3% である。 整理-2 光合成で固定されたCO2起源の炭素60 Gtは究極的にはCO2またはCH4に微生物で分解される。莫大な量であるが、太古から延々と続いている自然サイクルの一環である。空気が存在する好気的分解ではCO2に、空気が制限された嫌気的分解ではCH4になる。タンパク質などの窒素を含む生物体の分解ではN2Oが発生する。 整理-3 主要な大気中の温室効果ガスは、H2O、CO2、CH4、N2Oである。大気中の濃度はH2Oが数%、CO2が数百ppm、CH4が数百ppb、N2Oが数百ppbである。従って、温室効果はH2Oによってコントロールされ、CO2の影響は小さい。さらにCH4とN2Oの効果は無視できる。 整理-4 微生物による分解では、CO2の発生量は温度に依存する。温度が高いほど分解速度は速い。人工衛星による観測によると、熱帯の方が工業地帯よりCO2濃度が高い。微生物による分解速度が速いためである。 整理-5 気温の変化から10ヶ月遅れて大気のCO2濃度が変化する。エルニーニョ現象がおきると地球の温度が上がるが、2015年のエルニーニョの時にCO2が熱帯地方で増加した。氷床コアの分析でも、温度変化から1000年余り遅れてCO2が変化している。また、氷床コアの分析で、CH4も温度変化に追随して変化していた。 … Continue reading

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