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温暖化問題とプロパガンダ

1960年代は化学工業の発展とともに工業公害が顕著になってきた時代である。その象徴的な公害が水俣病であった。原因の特定とその解決と終わりのない論争が続いたのである。ついに1968年にチッソのアセトアルデヒドの製造が中止になっている。最初の患者の発見から10年以上を要した。そうした中、国連が政治レベルで地球環境問題に初めて本格的に取り組み1972年6月、ストックホルムで国連人間環境会議が開催された。水俣病患者を診た医師の原田正純、環境学者の宇井純、水俣病患者らが出席している。 下図は先月(2022年、12月)、水俣病資料館を訪問した時の写真である。この資料館は、メチル水銀を含むヘドロの上を埋めたてた大きな公園内にある。そばの八代海は今は非常にきれいである。川向こうに現在のチッソ工場があり、細々と操業している。かっての企業城下町の面影はなく、新水俣駅、町ともひっそりとしている。 Fig.1 水俣病資料館で展示パネルに見入る子供たち (2022年、12月) 国連人間環境会議ではモーリス・ストロングが議長を務め、人間環境宣言が採択された。また国連環境計画(UNEP)の発足が合意され、ストロングがUNEPの初代事務局長に選出される。人間環境宣言は、20年後に開催された地球サミットでの「環境と開発に関するリオ宣言」採択の基礎になっている。 Fig.2 モーリス・ストロング (2010年) ストロングは1929年カナダのマニトバ州で生まれた。1947年の18歳の時、国連で下働きをして以来国連とは長く関係していてカナダと行ったり来たりしている。貧しい家に生まれたもののオイル関連のエネルギービジネスに関わり成功した人である。カナダ開発庁の長官をつとめ、実業界と公職の両方で広範な経験をつんだ。 1970年代は氷河期が来るかも知れないと囁かれることもあったのだが、1980年代なると一転して温暖化の方に関心が持たれることとなる。そこでUNEPと国連の世界気象機関(WMO)が共同で1988年に気候変動に関する政府間パネル (IPCC)を設立した。こうした経緯でIPCCはUNEPを通してストロングの影響が大きく反映されることとなる。 ストロングは持続可能な生活のため、世界共同体が共有すべき価値観づくりに意欲を燃やしていた。地球サミット後、自ら「アース・カウンシル」というNGOを設立し、「地球憲章」(Earth Charter)作りにも精力を注いでいる。条約や国際機関の整備などだけでなく、人々の意識や行動そのものが変革されることが必要であるということから、行動規範の制定を求めてきた。地球憲章は2000年に決定されている。本文の1-4条を読むとその理想主義的な思いが伝わってくる。 地球と多様性に富んだすべての生命を尊重しよう。 理解と思いやり、愛情の念をもって、生命共同体を大切にしよう。 公正で、直接参加ができ、かつ持続可能で平和な民主社会を築こう。 地球の豊かさと美しさを、現在と未来の世代のために確保しよう。 地球の気温、気候変化の問題を環境問題と捉えてIPCCと言う国連組織の基に国際的に行動をしようとしたのである。CO2を元凶にした公害問題に準ずる対処法は IPCC の行動指針になっているようである。「地球温暖化を抑制するためには、CO2排出量を削減すべきだ」という結論ありきの姿勢は設立から35年経つ今も変わっていない。 しかし、下記のTIMEの1977年と2008年の表紙の変遷を見ると分かるように現在なお地球温暖化については原因を含めて科学的定説はない。水俣病などの公害は、原因物質の同定には曖昧な部分があったが、因果関係ははっきりしていた。一方、温暖化問題では地球温度とCO2との因果関係は不明である。以前にも述べたように温度変化の方がCO2変化よりも先行している。CO2変化で温度が変わるのは極めて疑問である。今の所CO2の変化は温暖化の原因ではなく結果である考えるのが妥当である。温暖化の問題とかっての公害問題とを同一に取り扱うことは注意せねばならない。科学的に解明できていないにもかかわらず、持続的な地球を目指し先を急ぐと必然的にプロパガンダが蔓延することになる。そして感情的な言葉の応酬になるのである。 Fig.3 寒冷化と温暖化を警告するTIMEの表紙 グレタ・エルンマン・トゥーンベリ(Greta Ernman Thunberg)と言うスウェーデンの女性がいる。2003年1月生まれだから今年20歳である。ウィキペディアには、”15歳の時に「気候のための学校ストライキ」という看板を掲げ、より強い気候変動対策をスウェーデン議会の前で呼びかけを行ったことで名が知られるようになった”とある。以後メディアでの露出はひじょうに多いが、どこまで本人の自由意思による行動なのかは良くわからない。温暖化問題は科学の事象であり、感情論で片付く事柄ではない。グレタの感情的な行動は温暖化をCO2排出に結びつけようとするプロパガンダの一環ではないのかと言う気がしてくる。 Fig.4 緩慢な気候変動対策をなじるグレタ グレタのメディアでの露出を見ていると、ナイラ(Nayirah)と言う15歳の少女を思い出す。イラクによるクウェート侵攻の後、この少女が、イラク軍兵士がクウェートにおいて、新生児を死に至らしめていると1990年10月アメリカの議会で涙ながらに述べた(ref.)。この証言により、国際的に反イラク感情とイラクへの批判が高まり、湾岸戦争の引き金ともなった。しかし後に「ナイラ」なる女性は存在せず、クウェート・アメリカ政府の意を受けた反イラク扇動キャンペーンの一環であったことが判明した。今ではプロパガンダの一例としてしばしば採り上げられる。 Fig.5  反イラク扇動キャンペーンとして利用されたナイラ 19 世紀に小氷河期を抜け出して少しずつ温度が上がっているようだが、それがどうしてなのかは依然として明確な科学的根拠はない。今日 (1/24/2023) の朝日新聞の声の蘭に次のような記事があった。 少子化の原因はお金の問題だけだろうか。私は31歳だが子どもを授かりたいと思っていない。明るい未来が保証されていないからだ。私が小学生の時から問題視されていた地球温暖化は、近年の水害の増加や酷暑でリアルに感じられるようになった。さらに世界規模でのウイルスの蔓延(まんえん)、国家間の戦争や核兵器による威嚇―― 「地球温暖化は、近年の水害の増加や酷暑でリアルに感じられるようになった」と一般の人が言う。一方、多くの統計的データは異常気象の変化に有意差がないことを示す。こうした意見が出てくるのは、国連組織のIPCCやメディアによるプロパガンダが功を奏しているものと思われる。 1980年代は”地球温暖化”という語彙が使われていたのだが気が付くと”気候変動”、さらに最近は”異常気象”という語彙が溢れ出した。CO2と温暖化との関係については97%の科学者がCO2による人為的な温暖化に同意しているそうである。数値の出どころは全く不明である。結果的にCO2が異常気象を引き起こしているのだそうである。一気に科学を越えてしまっている。 CO2は地球環境にとり公害物質に成り下がってしまった。悪凶のCO2排出量は削減しなければならずそのためには化石燃料の使用を制限する必要があると説く。2011年の福島第一発電所の事故の後、将来の原子力発電はゼロにする方向であったのだが、いつのまにまた率先して利用して行くのだそうだ。地球環境問題と原発利用は矛盾がある。 むつ市、六ケ所村における使用済み核燃料の長期保管と再生計画は今も進展がみられない。地球環境と安全性確保のためには原子力の利用はあくまで最小限にすべきであろう。CO2排出量の削減をすべきというプロパガンダを短絡的に考えず、化石燃料の利用を冷静に考慮すべきであろう。 … Continue reading

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縄文時代は今よりかなり暖かだった

前回述べたように、およそ 7,000 年前から 5,000 年前の間は、第四紀の完新世 (Holocene) であり、暖かい時代であった。世界平均では、20 世紀半ばと比較しておそらく  0.5-2℃ 温暖だったと言われている。そして 5,000 年前から 3,500 年前にかけても温暖であり四大文明が栄えた。 この時期に日本でも北の青森、南北海道まで縄文文化が栄えた。それらの遺跡の一つである三内丸山遺跡へ、2022年12月18日に訪れた。ここは5,900~4,200年前の遺跡で、新青森駅から2.5㎞のところにある。その時は、ちょうど寒波の襲来で50㎝余りの積雪があった。当初は駅から歩くつもりだったが、雪のためバスで行くことにした。 この地に遺跡が存在することは江戸時代から既に知られていたが、本格的な調査は新しい県営野球場を建設する事前調査として1992年に開始された。その結果、県は既に着工していた野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定した。それから約30年経った 2021 年7月、三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、ユネスコの世界文化遺産へ登録された。 Fig.1 三内丸山遺跡、縄文時遊館の入口 Fig.2 三内丸山遺跡「ムラ」の外観 盛土と呼ばれるところがある。竪穴建物や大きな柱穴などを掘った時の残土、排土や灰、焼けた土、土器・石器などの生活廃棄物をすて、それが何度も繰り返されることによって周囲より高くなり、最終的には小山のようになったところである。土砂が水平に堆積しているので、整地されていたと考えられる。中から大量の土器・石器の他に、土偶やヒスイ、小型土器などまつりに関係する遺物がたくさん出土している (ref.)。 Fig.3 盛土と保護するための覆い 盛土からは木の実と動物、特にクリと魚が多く見つかっている。現在の三内丸山遺跡は海岸線から約4kmの距離がある。そこで海への漁は不便だったものと思われるが、温暖化のために海水面は現在よりも高く遺跡のかなり近くまで海が広がっていたものと推察される(縄文海進)。以下には海水面が6 m 高かった場合のシミュレーションの結果をWebから参照して示す。青い部分がその当時に予想される海の部分である。現在の市街地からかなり内部まで入り込んでいることがわかる。 Fig.4 三内丸山遺跡の回り(現在の青森市)の縄文海進のシミュレーション例 下の写真は、地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡です。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていた。地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残っていた。6本柱で長方形の大型高床建物と考えられる(ref.)。   Fig.5(a),(b) 大型掘立柱建物の柱の跡と復元物 上記写真のホースは、しみ出て来る水を排水するためである。 さらに以下に大型復元建物の写真を示す。 Fig.6 大型竪穴復元建物の内部 柱は防食のために表面は焦がしていたという。 Fig.7 … Continue reading

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気候変動と自然変動 – アメリカの実例から

7,000 年前から 5,000 年前の間は、第四紀の完新世 (Holocene) で暖かい時代だった。そして 5,000 年前から 3,500 年前にかけての温暖な時代に四大文明が栄えた。青森の三内丸山遺跡もこの時代に相当する。以後、温度が徐々に下がり、小氷期が 3,000 年前に始まった。西暦 0 年、1,000 年前後の温暖期を挟んで、小氷期は1700 年代半ばに終了し、現代の温暖期が始まる。 アラスカの州都ジュノーから北北西 20 kmのところにメンデンホール氷河 (Mendenhall Glacier) がある。このあたりは、西から吹きつける湿った大気のせいで降雨量の多いところである。私が訪れた 8月の時も雨模様のどんよりした日であった。林の木々も苔むしている。冬には多くの雪が降る。北部のジュノー氷原の積雪となりメンデンホール氷河に供給される。小氷期が終わった1700 年代半ばの時点で、メンデンホール氷河は最大の前進点に達し、その終点は現在の位置から 4 km下ったところにあった。メンデンホール氷河は 1700 年代半ばに後退し始め、氷河のかっての先端は今、湖になっている。展望台にはこの先端の後退を記した説明図がある。 Fig.1 ジュノーから20 kmのところにあるメンデンホール氷河 (8/2/2014) Fig.2 上記氷河湖から流れる川下に遡って来た紅鮭 (8/2/2014) 下図は200年以上にわたる後退の様子である。終点は 20 世紀に 3 km 後退し、氷河の下部は … Continue reading

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現代の温暖期は気候最適期

恐竜の時代は手が届きそうにない遠い昔だが、人類が出現した頃となるとどういう時代だったのか考えてみても良さそうである。その時代は第四紀(Quaternary period)と呼ばれる。258 万 8000 年前から現在までの期間で、人類の時代という意味で決められた。ヒト属の出現を基準とし、地質層序や気候変動を併用して決定している。第四紀は、氷河時代とも呼ばれるように気候は寒冷になり、約 70 万年前からは大陸氷河は約 10 万年ごとに拡大縮小を繰り返してきた。氷河期にはヨ-ロッパや北米の大半は厚い氷床に覆われていた。 下図で示すように、北米はローレンタイド氷床 (Laurentide Ice Sheet) で覆われていて、厚さが 2,400–3,000 m のところもあった。以前住んでいたコロンバスはローレンタイド氷床の南端に位置する。コロンバス郊外に氷河公園 (Glacier Ridge Park) と名付けられた所がある。14,000 年前は、氷床で覆われていたという名前の由来の説明書きがある。 Fig. 1 第四紀のローレンタイド氷床 下はこの公園で日の出を撮った写真である。このブログのタイトル写真も公園内での一コマである。 Fig.2  コロンバス近郊に Glacier Ridge という公園がある。14,000 年前の氷河期にはこの辺りまで氷床で覆われていた。(9/16/2019) ベーリング海の名前で知られる、デンマーク生まれのロシアの探検家ベーリング (Vitus Bering) は、ユーラシア大陸とアラスカが陸続きではないことを発見した。ジュノーからアンカレッジの間にベーリング氷河という北米で一番大きい氷河がある。その氷河の端には氷河湖が形成されヴィタス湖と名付けられている。氷河と湖の名はベーリング (Vitus Bering) に因んでいる。 Fig.3  ジュノーからアンカレッジの間の上空から見えたベーリング氷河と太平洋岸で形成する氷河湖のヴィタス湖  (9/11/2021) … Continue reading

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気候変動に及ぼす主な自然変動

これまでのブログで地球の温度が変化し、その結果 CO2 が変わると言うことを述べてきた。現代の地球の温度は、CO2 の影響ではなく自然のサイクルで変わっているという主張である。そして、自然サイクルについて分かっていることをまとめようとすると、詳細について我々はまだまだ解明できていないことに気がつく。 気候変動とは地球表面のエネルギーが変動することであり、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの変動に密接に関係している。また太陽エネルギーを受け取る側の地球の公転、自転の変動も関わってくる。地球は水の惑星であり、水は比熱、熱容量とも地球上では圧倒的に大きい。海は非常に大きなエネルギーを蓄えていて、表面、上下の方向へゆっくりと動いている。海が気候変動に大きく関わっていることは間違いない。 以下では、太陽の変動、地球の変動、海の変動について重要と思われることをまとめてみた。さらに、それら以外で最も影響の大きい火山の噴火について触れてみる。 1. 太陽の変動 太陽周期活動 – 太陽の活動が活発になると黒点の数は増える。そして黒点の数は 11 年周期で変動する。ある周期と次の周期では、先行黒点と後行黒点の磁場極性や極磁場の極性の反転があり、この効果も考えると周期は 22 年になる。11 年周期の変動と地球温度の変化には相関がみられる。11年周期は太陽の活動が大きいとやや短くなり逆に小さくなるとやや長くなる。下図は、その変動周期と北半球の平均気温変化を比べたものである。 Fig.1 太陽黒点数の変動周期と北半球の平均気温変化 太陽磁場とそれに伴って、地球磁場が変わると地球に到達する宇宙線の量が変化する。そして、宇宙線の量と雲の量には相関があることが見いだされている。雲の量が変われば温度も変わる。   Fig.2 黒点数(黒)と宇宙線量(灰)の変動   Fig.3 低層雲量(青)と宇宙線量(赤) 太陽の極小期と極大期 – 通常より弱いいくつかの太陽サイクルが数 10 年あるいは 100 年間重なると極小期として知られる現象が起きることがある。この極小期が過去 11,000 年の間 25 回起きた。最近の良く知られた例が、1645 年と1715年の間に太陽黒点が消失したマウンダー極小期である。日本では、マウンダー極小期に、享保、天明、天保の三大飢饉が起きた。下表で示すように、ローマ温暖期、中世温暖期さらに現代の温暖期は極大期に関連している。 Fig.4 太陽黒点の変化  Table … Continue reading

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現代の温暖期の整理 – CO2 濃度変化は原因ではなく結果である

******************** 産業革命以降、人為的な CO2 の排出量が増えてきた。19 世紀後半になると、小氷河期が終わり少しずつ温暖化が始まった。気温上昇とともに自然界の CO2 の排出も徐々に増えてきた。炭素バランスによると、自然界の CO2 排出量が圧倒的に多く、人為的な CO2 排出量は 5 % 以下に過ぎない。CO2 のバランスは、人為的排出と自然の排出からなる排出プロセスと、吸収プロセスからなる。大気のプロセスを解析すると、自然界の正味の CO2 年間排出量は温度変化により決められる。また吸収プロセスは、CO2 濃度に比例する一次速度式になる。産業革命以前の CO2 濃度は 280 ppm だったが、2020 年の CO2 濃度は 130 ppm 増えて 410 ppm である。解析によると、増加分 130 ppm のうち、18 ppm (14%) が人為的な増加分、そして 112 ppm … Continue reading

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CO2 変化より先行する温度変化

大気温度の上昇が CO2 の放出を促す。Thermally-induced CO2とも言う。人間活動を含む環境では、CO2 のバランスは自然界の放出と吸収で決まり、そこに人為的な放出が加わる。温度が上がると、温度に依存する CO2 の放出が増える。この放出は、自然界のあらゆるプロセスを含む。海からの CO2 の放出、生物体の分解、地面からの放出、生物体の呼吸などである。 太古のアイスコアの分析データは大気温度の変化が CO2 の変化より 1000 年程度先行することを示す。しかし、IPCC 初め多くの人は逆に CO2 の増加が温度上昇の原因であると考える。以下、温度変化と CO2 変化の相関に関して、注目に値する下記の論文からまとめる。 Ole Humlum, Kjell Stordahl, Jan-Erik Solheim Global and Planetary Change 51, 100, 2013 この論文では、よく知られているデータセットで、1980 年 1 月から 2011 年 12 月までの期間の … Continue reading

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大気中のCO2の放出、吸収の速度論

Salbyの講演を辿りながら現在と将来の CO2 の変化を整理していく。なお、大気科学ではモル比(およその濃度を表す)の代わりに次式で定義される mixing ratio が使われる。              (1) 彼の講演においても CO2 の濃度の代わりに mixing ratio という用語および r が使用されている。 CO2 の収支は放出と吸収のバランスで決まる。下に示す IPCC の炭素バランスから人為起源の CO2 (anthropogenic CO2) は  5 GtC/yr、そして自然界で放出、吸収される CO2 は  150 GtC/yr である。これらの収支で決まる量がCO2 の増減速度である。 Fig.1 CO2バランス(Salby の講演スライドから) 従って、       (2) Fig.2 CO2サイクルにより決まる炭素バランス(講演スライドより) 人為的 CO2(SourceHuman) の放出は自然放出の CO2(ΣSources) より小さいので無視できる。さらに、今まで整理してきたように自然放出の CO2 は温度で決まる … Continue reading

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自然放出と人為放出のCO2

温度と CO2 の相関関係を考える上で、大きな誤解があるものと思われる。 CO2 の発生源についてである。今も増え続けている CO2 は、その全てが燃料を燃やして発生した人為起源の CO2 (anthropogenic CO2) だけではない。これまで述べてきたことを整理すると次のようになる。 炭素サイクルの質量バランスにおいて人為起源の CO2 は 5% 以下である。 人為起源以外の 95% 以上の CO2 が自然サイクルに関連する。 温度と CO2 濃度には相関があるが、温度変化が先行する。 温度変化は CO2 の正味の変化(たとえば一年ごとの濃度の増減)と良い関係がある。 温度が上昇すると自然サイクルによる CO2 の放出が増える。 これらの事実に基づくと、人為起源の CO2 が地球を温暖化しているということは誤りになる。地球上には下の写真で示すように動植物で溢れる。最初の写真は昨年訪れたアリゾナ、フェニックス近郊のサボテン公園、そして次の写真は多くのカナダ雁が凍った川面で休んでいるところである。 Fig.1 Cactus Park in Scottsdale, AZ (10/28/2021) Fig.2 凍った川の水面で羽を休めるCanadian Geese (2/24/2015) これらの生物体は、発生してもいつか死滅、分解して生物体として平衡状態を保つ。この分解過程は日々の生活の中では目立たないので、大した量ではないと思うかもしれない。しかし、成長する植物と同量の朽ちた植物が分解していくのである。IPCC の炭素バランスを見てみると、循環している炭素のおよそ … Continue reading

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大気中のCO2による赤外線吸収は吸収の上限に近い

温度とCO2濃度は相関関係がある。どちらかが卵かニワトリである。19世紀末に Tyndall と Arrhenius が提唱して以来、 CO2 が増減して温度が変化するという概念が受け入れられてきた。これを国連組織の IPCC が強く主張するに至り、ほとんどのメディアおよび国の機関が追随するという図式が確立している。しかし、下図で示すように何十万年という長い期間温度が周期的に変わってきたのだから、現代の温暖化もその周期の一過程なのかも知れない。温度は太陽エネルギーの変化等で変わるが、CO2 が自然に周期的に変化してきたとは少々不可解なことである。 Fig.1 南極のアイスコアサンプルの解析から得られたCO2と温度の変化 現在の CO2 による温暖化の概念は、そもそも 1896年 の Arrhenius による指摘に基づいている。彼により、 CO2 の赤外線吸収の特性とそれによる温暖化の可能性が、論文 (Phil. Mag. 41, 237, 1896) で報告された。 Fig. 2  Arrheniusの論文 一方、当時の標準教科書、”Physics of the Air” (W. J. Humphreys, 1929, McGraw-Hill) の 564 … Continue reading

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