青森県六ケ所村

青森県の下北半島の付け根に六ヶ所村がある。先月(5/23/2023)、六ヶ所村にある原燃PRセンターを訪れた。比較的大きな村だがアクセスは不便である。青森県内の旧東北本線は第三セクターの青い森鉄道へ移管されている。そのため東北新幹線で八戸に降り立ち青い森鉄道に乗り換える必要がある。さらに野辺地で降りて一日数本しかないバスで一時間半かけて行った。野辺地市内で数人バスに乗ったがしばらくして降りたので、かなりの間私ひとりであった。

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Fig.1 六ケ所村の原燃PRセンター周辺、エネルギー関連の施設が軒を並べる

やがて公園、体育館、郷土館の集まったところに降り立った。その公園の前に原燃PRセンターがある。

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Fig.2 六ヶ所村の公園コンプレックス、後ろに風力発電の施設が見える

六ヶ所村には、原子力発電所からの放射性廃棄物と使用済み燃料を処理することを目的に設立された電力各社が株主の日本原燃(株)がある。従業員は3,000人なので村としては非常に大きな組織である。この立派な公園を見ていると法人税、助成金で整備されているのだろうなと思う。原燃PRセンターは、原燃が扱う放射性物質処理の衆知を目的にしているようである。誰でも自由にアクセスできるが、予約しておくと一人でもガイドをつけてくれる。私に説明してくれたガイド嬢は、遠く三沢から一時間かけて通勤しているということだった。

原燃PRセンターの回りはさえぎるものがないので、中央にある窓から景色を良く見ることができる。南西地区には石油備蓄センターがあり海岸部からパイプラインで運ばれるようになっている。あちこちにソーラーパネル、風力発電の建造物がある。バスからも多くを見ることができる。

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Fig.3 原燃PRセンター

原燃PRセンターでは、二点焦点をあてて紹介されている。ひとつは、高レベル放射性廃棄物貯蔵施設で、再処理工場でガラス固化体にされた高レベル放射性廃棄物を、最終処分に向けて30〜50年間冷却・貯蔵する施設である。つぎに、MOX燃料(混合酸化物燃料の略称)の製造で、原子炉の使用済み核燃料に含まれるプルトニウム再処理により取り出し、二酸化プルトニウム(PuO2)と二酸化ウラン(UO2)とを混ぜてプルトニウム濃度を4-9%に高めた核燃料である。主として高速増殖炉の燃料に用いられるが、既存の軽水炉燃料ペレットと同一の形状に加工し、適切な核設計を行ったうえで適切な位置に配置することにより、軽水炉のウラン燃料の代替として用いることができる。これをプルサーマル(和製英語で国際的には通用しない)利用と呼ぶ (Wikipedia)。

ガイドの説明を聞いていると、あたかも全てが確立されたプロセスのように聞こえるが実際は違う。原燃の再処理工場は、様々なトラブルや安全審査の遅れなどで、完成予定が何度も延期されている。当初は1997年の完成予定だったのが、現在は2024年度上期となっている。総事業費も14兆4400億円に膨らんでいる。安全性や経済性には多くの課題があるのか、2000年以降プルサーマルを実施したのは伊方発電所3号機や玄海発電所3号機など4基のみとなっている。

一方、高速増殖炉の「もんじゅ」は1983年に建設が始まった。1995年、2010年に事故が起きて本格運転をすることもなく2016年に廃炉が決まっている。福島第一発電所の事故で原子力利用は可能な限り最小限にするはずであったが、ウクライナのロシアによる侵攻でエネルギー価格が上昇したこと、CO2排出量の削減の取り組みなどで、いつのまにか風向きが変わっている。再び原子力利用の声がかかり始めている。しかし、以上述べたように使用済み核燃料の廃棄処理、再利用のプロセスは確立されていないのである。

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Fig.4 原燃PRセンターの地下にある模擬装置

青森県六ヶ所村には富ノ沢遺跡や大石平遺跡など、100ヶ所以上の縄文遺跡群がある。遺跡群地図で一部を確認できるがその数には驚くばかりである。そのうち、富ノ沢遺跡は、約500軒から成る県内でも最大級の集落跡で、青森市の三内丸山遺跡と同時期の4700年前から4000年前にかけて存在したと考えられている。縄文時代前期は現代より暖かく、縄文海進で遺跡群の近くに太平洋の浜辺があったようである。村立郷土館によると、村内の遺跡の大半は1970年代の「むつ小川原開発」に伴う発掘調査で見つかった。しかし、核燃料関連施設や道路整備が優先されて遺跡は調査後に取り壊されたので、ほとんど残っていない。それで、世界遺産の構成対象にはなっていない。

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Fig.5 六ケ所村郷土館

以上、わざわざ六ケ所村を取り上げたのは、六ケ所村周辺が温暖化の問題に間接的に関係しているからである。CO2を排出しないための原子力エネルギーの利用は、再生処理設備が完成し、定常な運転が確立されない限り将来に悔恨を残すことになる。縄文時代は現代の温暖期よりもさらに暖かだった。皮肉にも六ケ所村には多くの遺跡が見つかっているが、多くが現代の土地開発の過程で保存されず壊されてしまったのである。

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