温暖化論争の流れ
08/22/2022
1760-1830 | イギリスで「産業革命」が起きた。 | ||
1896 | Arrhenius が CO2 の温室効果に関する論文を発表。 | ||
1940-1970 | 地球の気温が低下傾向 | ||
1952 |
イギリスのロンドンでは、1950年代までの100年間に10回ほどの大きなスモッグがあった。その中でもっとも健康被害が大きくなったのが1952年で、ロンドンスモッグと言われる。一万人以上が死亡した。 |
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1956 |
公害病の原点である水俣病の発生が確認された。翌年熊本大学は、原因物質は有機水銀だという発表を行った。このころから除々に '70 にかけて、公害問題が大きな社会問題としてのうねりとなる。 |
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1958 |
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1962 | レイチェル・カーソンにより 『沈黙の春』(Silent Spring) が出版された。DDTを初めとする農薬などの化学物質の危険性が指摘された。 | ||
1972 |
ローマクラブが「成長の限界」を発表。深刻になりつつある公害問題、直後に起きたオイルショックと合わせて人々の不安を煽りたてる。 |
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1973 | 第一次オイルショック | ||
1975 | 有吉佐和子により 『複合汚染』 が出版された。環境汚染問題について社会に警鐘を鳴らした。 | ||
1978 | 第二次オイルショック | ||
1979 |
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1986 | ウクライナ、チェルノブイリ原発 4 号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出された。1〜 5 万人が死亡したと推定されている。 | ||
1987 |
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1988 |
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1989 | Cold Fusion (常温核融合) の騒動が起きた。 | ||
1990 | IPCC 最初の報告書 | ||
1992 |
環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)にて気候変動枠組条約が採択され、 定期的な会合(気候変動枠組条約締約国会議、COP)の開催が規定された。 |
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1997 |
京都議定書 (COP3) - 2008年から2012年までの期間中に、先進国全体の温室効果ガス6種の合計排出量を1990年に比べて少なくとも 5%削減することを目的と定める。 |
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1998 | 過去 100 年では最高の平均気温を記録する。 | ||
1999 |
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2001 |
IPCC第3次評価報告書
(AR3)
アメリカ と オーストラリア が京都議定書から離脱 |
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2003 |
CO2 の濃度は南極の温度変化より約 800
年遅れて変動することが示された。 |
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2006 | "An Inconvenient Truth" by Al Gore | ||
2007 |
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2008 | 原油価格が $145-150 まで高騰 | ||
2009 |
COP15 を前にして、いわゆる 「クライメート(気候)ゲート事件」 が起きた。 |
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2010 |
COP16 がメキシコのカンクンで開催された。2012年に期限が切れる京都議定書の扱いについては、来年南アフリカで行われる次回までに持ち越された。日本は、米国と中国が参加していないため単純延長に反対する姿勢を示した。 |
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2021 | 2021年 ノーベル物理学賞が、気候をシミュレーションするモデルの基礎を開発したとして真鍋淑郎氏ら三氏に送られる。 | ||