温暖化ショックとオイルショックと (3)

温暖化ショックのはじまり

1983年にアメリカに来たのだが、それまでは終戦後からずっと寒冷化していると言う意見があった。CO2 濃度と温度の記録を遡れる1880 年からの両者のデータは下記のようである。1880-1915 と 1945-1980 の期間は温度が下がっている。1983年当時に戻って 1880-1980 の100年間についてみれば、現在の多数意見とは異なる見解になる。

ところが、私の「黒もの」の研究が軌道に乗り出したころの ’80 年代の後半から、地球は温暖化していると言われ出した。化石燃料が燃焼されて生成する CO2 が地球温暖化の原因であるらしい。CO2 には温室効果があるという知識は持ち合わせていたから、そういう可能性もあるだろうと思った。

90年代の半ばに研究室が閉じられて職を失った。それから食べることが先決となった。それでも折をみてそれまでのデータを使って遣り残しの研究をまとめて4報の論文を出すことができた。米国化学会から出ている由緒ある論文誌のひとつである。今は、その米国化学会の一組織で働いているので人生もわからないものである。論文には著者の住所も書かねばならない。研究というのは、大学なり会社でするものだから、論文に載せるのは大学か会社の住所である。私はそうしたものに所属しなかったから自宅の住所になっている。通常載せるべき所属機関の名前もない。多くの論文は数名の連名である。しかし、私の場合は、著者名がひとりで、自宅の住所だけであった。気が向いた時にまとめたものだから足掛け7年経ってしまった。

本職とは関係のないプログラミングの仕事を長い間していたので、論文をまとめる以外に、化石燃料関係の分野を振り返る余裕はなかった。気にはなっていた地球温暖化の問題も腰を入れて調べるようなことはなかった。時々マスコミで流れてくる情報を鵜呑みにしていた。国連に温暖化を調査し現状の問題に対して、何をすべきか提言している機関ができたことは聞いていた。IPCC (Intergovernmental Panel on Climate Change - 気候変動に関する政府間パネル) という名前などは覚えるまでには至らなかった。

人生には流れがあるらしく、流れから外れてしまうと、落ちるところまで落ちてしまう。淀みに入るともとの本流に戻るには至難の業らしい。生き残らねばならない。一年弱、日本で働いたりもした。渋谷に国連大学というりっぱな建物がある。日本滞在中にそこを訪れる機会があった。ゼロエミッション、持続する地球がテーマだった。1995年のことである。IPCCができる数年前だから、CO2 のことも話し合われたはずだが詳細は記憶にない。余分なことを述べているのだが、要するに普通の人に限らず、理系の人とっても科学の話題を少し掘り下げて考えるのはなかなか難しいと言うことである。

(渋谷区神宮前の国際連合大学)

先に述べた米国化学会から出ている論文誌は“Energy & Fuels”である。1987年に創刊された。編集者の第一の仕事は論文採否の決定である。通常は三人にレフェリーとして査読を頼む。レフェリーからの査読結果により採否を決める。査読のある論文誌に採用されることは最低限、科学的に相応しいということである。温暖化について多くの意見がある。それらの科学的価値を判断する目安は、査読のある論文誌に載ったかどうかである。この新しい論文誌の編集者が、実はその時の私のボスであった。そのボスとは科学上の見解で後にかなり陰鬱な関係になる。

この論文誌の各号の最後に新刊の書評欄がある。そこで2003 年頃 ”The Real Environmental Crisis” (2003, by Jack M. Hollander) という本が紹介されていた。温暖化の問題にもスペースを割いているとある。かねがね気になっていた問題なので取り寄せてみた。

5章が “Is the earth warming?” である。「温暖化は起きている。しかし、人為的に温暖化が起きているのかについては、証拠はない。」と明言する。どうも温暖化の問題は単純ではないらしい。少し詳細に当たる必要がありそうである。日本からも何冊か取り寄せて読んだのだが、人為的に温暖化が起きている証拠について述べた本は皆無であった。

それまでは 300-400 ppm のCO2 が地球の温度を変えるのだろうかと思いながら,少なからず人為的に温暖化が起きる可能性があるのだろうと思った。だが、その頃からCO2 の温暖化説を少し注意してみるようになった。

1988 年という年は温暖化問題の流れができた時代と言えるだろう。前年には、南極のロシア基地 Vostok から採取した氷床の最初の分析結果が報告されている。この年、NASA のJames Hansen がアメリカの議会で証言した。また、国連に IPCC が設立された年でもある。私は、1988年を温暖化ショックが起きた年と呼びたい。

(James Hansen のアメリカ議会での証言)

James Hansen は「CO2 が地球の温暖化と関係していることは、99% の確率で正しい」と証言した。99% の確率で正しいとは言ったものの証拠を示すことはできなかった。コンピューターによる三つのシナリオのシミュレーションの結果を示したのみである。科学の世界で何%の確率で仮定が正しいとは言わない。議会向けの証言であったので、こうした表現はやむえないところもあった。この誇張した言い方はマスコミが好むもので、温暖化問題の流れができたのである。

オハイオ州の州都であるコロンバスの西 30 マイル (50 km) のところにホンダの工場がある。そのためコロンバス周辺には多くの日本人が住む。

(コロンバスのダウンタウン)

その恩恵で、日本食料品店で日本のビデオ、今では DVD を借りることができる。四年前、そこからNHKスペシャル「気候大異変」 を借りて来た。これは二夜連続の番組 (2/18/'06) で、世界屈指の計算速度を誇る日本のスーパーコンピューター「地球シミュレータ」を駆使した結果を報告したものであった。科学的に温暖化の原因まで掘り下げてくれるだろうという期待があった。しかし、裏切られた。地球温暖化なり、CO2 による影響の根拠、原因は一切触れない。ただ計算の前提を良く示さずに、温暖化が進めばという予想結果と、コンピューターによる計算結果をアニメーションにして映すだけであった。一体科学はどこにいったのであろうか。

「コンピューターによる複数のシナリオに対するシミュレーション結果」と言うストーリーは、ローマクラブが1972年に出した報告書『成長の限界』と同じである。ローマクラブもコンピューターにより、シナリオに基づいてシミュレーションを行った。その結果、現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境の悪化によって21世紀前半に破局が訪れると言った。翌年にオイルショックが勃発したことで資源枯渇というタイミングがこの報告書を盛り上げた。当時大きな話題を呼んだのである。

将来のシミュレーションはあくまで、ある前提に基づく予想であって、科学ではない。将来の温暖化のシミュレーションも仮定に基づく予想である。科学ではないし、CO2 と温暖化を関連づける証拠とはならない。

計算のもとになる理論がはっきりしない。物理の確立された分野のように、確固たる理論がないから、少なからず仮定が必要である。仮定となる前提条件が第三者にはよくわからない。計算のアルゴリズムがこれまたわからない。プログラミングのコードもチェックのしようがない。警告という無責任な行為のために使うのならばそれでも良いかも知れない。しかし、仮定に基づいた曖昧な議論で全地球の運命を決めるわけにはいかない。

今の人口増加のペースでいけば、2100年に人口は100億人を越える。新たに増える40億人を養うためには,食糧生産を80%増やさなくてはならない。1798年,マルサス(Malthus)は,”食糧生産は線形にしか増大しないが,人口は指数関数的に増大するので,いつか人口増加は食糧生産を追い越す” と主張した。これに対し,ボーズラップ(Boserup)は,食糧の増産が人口増加を可能にしたと反論した。下記は人口と時間の変化を両方対数で示したものである。グラフが示すように、人口は12,000から10,000 年前の間に定常的には増えなかった。これは農耕の開始と関係がある。人口が増加するから食料を増産せねばならないのではなく、食料が確保できなけらば、人口は増加しないのである。従って100億を越えて人口が無限に増えることは決してありえない。実際の結果は、ボーズラップ(Boserup)が正しかったのである。

http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/rika-b/htmls/population/index.html

1970年代に活躍した、アメリカのソングライターのジョニ・ミッチェルの代表作の一つに Both Sides Now という曲がある。「青春の光と影」と訳されている。天使の髪やアイスクリームを作ってくれる楽しい雲。でもあるときは太陽をさえぎって雨を降らせ雪を降らせる。このように物事には二面性があるという歌詞からなる。四年前、この歌を、Hayley Westenra が歌っている DVD を偶然見つけ、その歌声には感動したものである。当時彼女は17歳だった。温暖化の問題も同じである。二面性に気をつけるべきだ。

(Hayley Westenra)

以上まとめると、

(1)

人口問題、オイルショック、温暖化の問題とも不合理な悲観論が前面に出た、

(2) 

オイルショック、温暖化ショックとも、良くわからぬシミュレーションの結果をオーバーに表現し、不安を煽った、

のである。

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