科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 1
6年前、人為的温暖化仮説に否定的な槌田氏が「地球温暖化懐疑論批判」を巡って東大を被告とする名誉毀損訴訟を起こした。一方、USA では4年前に人為的温暖化仮説の張本人とも言える肯定派のホッケースティックで有名なMichael
Mann が否定派のNational
Review Online のMark Steyn とCompetitive Enterprise
Institute (CEI)のRand Simberg を相手取って名誉毀損訴訟を起こしている。こちらの方の訴訟は4年経っても始まったばかりの状況にある。
訴えられたMark Steynと言う人は科学者ではない。カナダの人で、歌を歌ったり、DJ
をしたりとなんでも屋である。彼は科学者ではないから、その訴訟準備のために世界中の著名な科学者の中から気候変動に関する資料を集めた。訴訟を待っているとそれらの資料を公表する機会がまだまだ先になるだろうと「A Disgrace to the Profession」という本にまとめてこの9月1日に出版した。この本は三冊になるらしいが今回のは最初のものである。
Vol.1 では120名近くの否定的な専門家の視点が繰り広げられる。Amazon
のKindle 版上では各々5~10ページで紹介されている。専門家による科学的記述であるから「地球温暖化懐疑論批判」よりはるかにおもしろい。
いつの頃からか「人為的温暖化」の仮説に否定的な人々を「懐疑論者」と呼ぶようになった。意見の違う人々を懐疑論者として扱いたいのだろう。温暖化に関しては科学をベースにした問題だから、そこには客観的な判断材料がなければならない。ウィキペディアの「地球温暖化に対する懐疑論」を見ると「主張」と「反論」という流れで記述されている。これは科学ではなくディベートである。そのサイトを見るとかなりくどくディベートが繰り広げられるが、客観的事実があれば簡潔に済むはずである。
証拠のない未解決の地球温暖化という科学を考えるのだから論拠は依然として仮説である。仮説だから、結局はディベートに終始し、裁判に発展する。今の時代、17世紀のガリレオの宗教裁判をつい思い起こすことになる。
「人為的温暖化」という仮説が多くの科学者を取り込み世界中の政府を虜にしたのはIPCCのプロパガンダと科学者だけではできない手法による。そのためには地球温暖化に関わるIPCCの設立経緯を考える必要がある。発端はかの有名な1968年に設立された「ローマクラブ」まで遡る。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 2
我々ベビーブーマーが学生のころの1970年に大阪で万国博覧会が開催された。私は、既にオープンから3ヵ月が過ぎ夏休み前の7月当初に訪れたのだが、どこのパビリオンも人が多くて待つだけで疲れてしまった。できるだけ人の少ないところを回った。中でもスカンジナビア館は閑散としていた。テーマは「産業化社会における環境の保護」であった。70年代は日本も含めて先進国で環境、公害に焦点が当てられ始めてきた時期である。中でも一部のヨーロッパ諸国はいち早く環境問題に関心があった。それでも1970年に環境のテーマを設定したのはかなり早かったようである。
こうした時代背景の時、1968年にイタリアにあるロックフェラー家の敷地内で「ローマクラブ」が設立され環境保護運動を世界に打ち出した。現在は、スイスのヴィンタートゥールに本部を置く民間のシンクタンクである。1972年の有名な第一報告書『成長の限界』では現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇(例えば20年で石油が枯渇)や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らした。当時の動態的な理論によってシミュレーションを行ない、時期まで予測した。
このころ日本は高度成長が熟成されようとした時期でまだまだ環境、公害の問題を真剣に考えるまでにはなかった。朝日新聞に連載された有吉佐和子の長編小説『複合汚染』で人々が環境問題に関心を持ち始めたのが70年代半ばの1975年である。
1972年に国連環境計画(UNEP:ユネップ)が設立される。ここでIPCCの核となる人物が登場する。カナダ人のモーリス·F·ストロング (Maurice F. Strong)である。
モーリス·ストロングは1929年カナダのマニトバ州で生まれたから今年で86歳である。1947年の18歳の時、国連で下働きをして以来国連とは長く関係していて、カナダと行ったり来たりしている。貧しい家に生まれたもののオイル関連のエネルギービジネスに関わり成功した人である。カナダ開発庁の長官をつとめ、実業界と公職の両方で広範な経験をつんだ。
1970年に国際連合人間環境会議
(UNCHE) の事務総長に任命された。1972年には国連環境計画(UNEP:ユネップ)の初代事務局長になった。このころからローマクラブとは関係があり強い発言力を持っていたようである。ローマクラブは人口増加とそれに伴う工業の発展が環境を阻害すると糾弾してきた。当初からの主要なテーマだったのか途中から加えられたのか良くわからないが地球温暖化もその中にあった。
1970年代は氷河期が来るかもしれないと囁かれることもあったのだが、1980年代になると一転して地球温暖化の方に関心が持たれることとなった。そこでUNEPと国際連合の専門機関にあたる世界気象機関(World
Meteorological Organization: WMO)が1988年に共同でIPCC
を設立した。こうした経緯でIPCC
はUNEP を通してモーリス·ストロング及びローマクラブの手法が色濃く反映されることになる。その中にはシミュレーションに基づいた「恐怖に訴える論証」、「衆人に訴える論証」の活用が含まれる。また、モーリス·ストロングは国連の経験から政府、メディアを動かさなければプロパガンダが有効に浸透しないことを良く理解していた。
Fig.4
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 3
井上雅夫氏による温暖化に関するすばらしいサイトがある。彼は、自称IPCC報告書研究家で、元特許庁審査官、元弁理士である。このサイトには莫大な時間が割かれている。
そのサイトによると、井上氏は環境省へ「日本の約束草案(政府原案)」関する意見(パブコメ)に対して今年の6月人為的温暖化の否定的な意見を提出した。それに対する環境省の回答が次のようだったと述べている。
IPCC第5次評価報告書は、800名以上の専門家が30,000点を超える科学的文献をレビューして執筆され、最新の科学的知見を集めた報告書であり、日本政府も含めIPCCに参加している世界195ヵ国が承認しています。
環境省が言いたいことは、要するに、IPCC第5次報告書は権威ある報告書であるから、これを信頼せよ、ということだと言う。
上記は「権威に訴える論証」の典型的なものである。井上氏は科学的事実に基づいて政府原案を否定する意見を述べているのである。専門家集団の環境省は科学的事実に基づいて返答しなければならない。
今年は戦後70年でテレビでは多くの特集番組が放映された。ほとんどの番組が戦争の悲惨さを訴えるばかりで、太平洋戦争勃発の原因については述べない。負ける戦争をなぜ始めたかということも述べない。ミッドウェー海戦で敗北したときになぜ降伏しなかったかを考察しない。
当時、戦争に反対する人々は「非国民」だという感情に訴えた世論が作り出された。統帥権が独立していたことに加えて、こうした独特の雰囲気が作り出されていたことも触れるべきである。人為的温暖化の仮説に対しても同じような「感情に訴える論証」がなされている。CO2排出量の削減に反対する人々は地球環境を顧みない不届き者だということになるに違いない。
CO2 排出量を抑制すれば気候変動が抑えられる。
穏やかな気候変動は地球環境にとり好ましい。
したがってCO2 排出量を抑制することは真である。
人為的温暖化は仮説なので、人々を納得させるために科学的証拠ではなく、いくつかの論証法が活用されている。注意しなければいけない。
モーリス·ストロングは「ローマクラブ」の手法を応用した。証拠のない仮説を肉付けするために、ローマクラブではシミュレーションが用いられた。IPCC でもこれが踏襲されている。「恐怖に訴える論証」をするためにシミュレーションを実行し、結果が如何に恐怖に満ちたものかを示そうとした。
温暖化は人為的か自然サイクルのどちらかにより起きる。
人為的温暖化なら恐ろしいことになる。
したがって温暖化は人為的に起きるのが真である。
恐怖、不安、疑念(fear, uncertainty, and doubt、FUD)は、販売やマーケティングにおける「恐怖に訴える論証」を指す用語である。企業は人為的温暖化の仮説に否定的な態度を取れば企業イメージを損なう恐怖がある。だからネガティブなことは言えないのである。
NHKが、先日「NHKスペシャル・巨大災害Ⅱ」でまたまた恐怖を煽った。シミュレーションの結果をまるで事実であるかのように報道する。CO2による人為的温暖化で異常気象、巨大災害が起きるという。科学的証拠なしに危機感を煽り恐怖に訴えるわけである。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 4
大気は気体の分子で満たされている。85,000個の気体分子のうち1個が人為的に排出されたCO2分子である。32個が自然サイクルを通して生成されたCO2分子である。人為的温暖化が起きるということは、85,000個のうちの1個の気体分子が地球温度の変動に大きく寄与し、異常気象を引き起こすということである。
「85,000個の気体分子のうち1個が地球の温度を変える」ということは科学的には非常に極端な仮説である。これが理にかなっていると主張するためには科学的証拠を示さなければならない。単にシミュレーションの結果を示すだけでは「エセ科学」である。実際に70以上のモデルによるシミュレーションの結果は実測値とは合わないのである。そして、実際の温度変化との差は開くばかりである。だから、モデルで21世紀の温度変化を推定するのは不可能である。
こうした科学的側面とは別に、人為的温暖化の仮説を真とするため、政治的には1988年のIPCCの設立以来大きく進捗した。モーリス·ストロングが議長となって1992年に環境と開発に関する国際連合会議(UNCED)を主催した。この会議は、一般には地球サミットと称される。ただし、この会議を引き継ぐ形で10年後に開かれた「持続可能な開発に関する世界首脳会議」も併せて「地球サミット」と呼ばれることがある。
IPCCの国際会議として、1995年からCOP(気候変動枠組条約締約国会議)が毎年開かれるようになった。1997年のCOP3では京都議定書が議決されている。1972年にモーリス·ストロングが撒いた種はIPCC、地球サミット、COPとして花を咲かせたわけである。彼は、1985年以降、国連の事務次長(Under-Secretary-General)と言うNo.2 の要職にあった。この時期、国連の地球温暖化関連の組織、会議は彼を中心に回っていたのである。
モーリス·ストロングがどのくらい事務次長の職にあったのか正確に辿ることができない。2005年の石油食料交換プログラムのスキャンダルまでこの職にあったのかもしれない。現在は、中国に滞在している。ネットで彼を検索すると彼に対して否定的なサイトの方が多い。まだまだ奥の深い人物のようである。
こうして国連で気候変動に関するIPCC という組織と定期的な国際会議のスケジュールが確立された。従って、科学的側面はどうであれ、世界中のメディアが人為的温暖化の仮説が正しいものと信じる下地ができたのである。要するにIPCCには「人為的温暖化は真」だという答えが当初からあったのである。答えが分かっていて問題を解くことは我々が受験で時々経験するテクニックである。しかし、入学試験は通っても「人為的温暖化の仮説」に対しては、「エセ科学」になる温床を取り除くことができないのである。
Fig.8
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 5
地球の45億年の歴史の中で一万年という時間は一瞬である。地球の歴史を一日とすれば一万年は0.2秒と言う時間になる。地球の歴史の中では、この最近の一万年前は人類の石器時代であった。その少し前まで地球は氷河期であり、海面は100m以上、現在より低かった。そのため日本海の一部は干上がっていて日本列島と大陸はつながっていた。
下の図は氷床分析から得られた一万年間のデータである。5000年以降の温暖期とともに四大文明が栄えた。温暖期には4つあり、現在は四番目の現代の温暖期である。一万年の間、温度は結構変動しているが、CO2濃度は260~280 ppmの間でほぼ一定であった。
さらに40万年前まで氷床データを遡ったのが次のグラフである。温度のほうが、CO2濃度変化より800年も先に変わっていたのである。
以上の2つのグラフが示すように自然の力は大きく、温度は驚くほど変動してきたのがわかる。通常は気に留めない自然の力、しかし、今回のような鬼怒川の氾濫というような災害が起きると自然の力に思い知らされる。通常は、広い川原があり高い堤防がある。それが自然の力で堤防が決壊してしまうのである。私の人生で考えると、1960年のチリ沖地震津波では22時間かけて、津波がチリから日本へ地球を半周し、太平洋を越えてやってきたのである。津波がくる30分前に海が海岸線から後退して、それを見た年寄りが地区の人々を避難させたという話の記憶がある。51年後に同じ地区に津波がまた押し寄せたのである。今回も津波の前に大きな海の後退が観測された。
とにかく自然の力は我々の想定を超えたものである。自然の力、変動の原因をひとつひとつ理解できるほど、まだまだ我々は賢くない。地球温暖化をCO2のせいにして人為的温暖化の仮説を信じることは、自然を侮っているように思える。
どうしてこうまでも政府、メディア、一部の科学者が、CO2による「人為的温暖化の仮説」を証拠もなく信じるようになったのかを考えるのが当初の目的だった。
今まで手短に述べたように、IPCC、地球サミット、COPという国連主導の「人為的温暖化の仮説」を真とするための枠組みが20世紀後半に形成された。各主要国の首脳と公的機関が、「権威に訴える論証」を実行している。また、「衆人に訴える論証」を固めるために、メディアが動いている。重要なことは一部科学者の論理である。以下、この問題を上記で示した温度変化などをもとに少し考えてみたい。国立環境研究所、東京大学海洋研究所のメンバーが「人為的温暖化」の仮説を決して否定しないのはなぜなのか。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 6
「CO2による人為的温暖化」の仮説の科学的根拠を調べるために、「地球温暖化の原因」と「気象庁」のキーワードで検索するとこのサイトが出てくる。そこには、
…人間活動による温室効果ガスの増加である可能性が極めて高いと考えられています。…人間活動による…大気中の温室効果ガスの濃度は急激に増加しました。…大気の温室効果が強まったことが、地球温暖化の原因と考えられています。
とあり、仮説の科学的根拠は何も触れられていない。
国立環境研究所のサイトに「温暖化は人間の活動が原因」という項目がある。
現在の温暖化の原因は、こうした大きな気候変動や火山の噴火や太陽活動の変化などの自然要因は関与しないのでしょうか。複雑な気候の動きを完全に解明して、温暖化の原因を特定することは簡単ではありません。実験して調べることができないからです。しかし、ようやく最近になって、「大気大循環モデル」とよぶ気候モデルを使って、原因を推定することが可能になりました。
ここでも、仮説の科学的根拠はなく、モデル計算により原因を推定できると述べている。
環境省のサイト「地球温暖化の科学的知見」には
IPCCは…自然科学的根拠…において世界を主導する国際組織です。
と述べ、IPCCの報告書をリンクするのみである。環境省の下部組織にJCCCAというのがある。そのサイトの「地球温暖化のメカニズム」のところでは、
大気は温室効果があり大気を暖めている。…近年、気温が上昇し始めています。
…つまり、石油や石炭など化石燃料の燃焼などによって排出される二酸化炭素が最大の温暖化の原因と言えます。…特に過去50年の気温の上昇は、自然の変動ではなく、人類が引き起こしたものと考えられます。
と述べ、仮説の科学的根拠には一切触れていない。すなわち、日本の公的機関は、「CO2による人為的温暖化」の仮説を肯定する科学的根拠を一切持ち合わせていないのである。
こうして、日本の公的機関の「地球温暖化」に対する科学的根拠と考え方をながめているうちにこちらがおかしくなってくる。日本の大学における教育水準はなかなか高いと思っている。そこで学んだ人々が、科学的根拠もなく、作られたIPCCの政治的なプロパガンダを真に受けている。どうしてなのか。
今まで出てきた四つの経時的な温度変化のグラフをながめてみると、普通の科学知識のある人は、誰でも次のような疑問を抱くはずである。
1. 産業革命以後CO2は上昇していると言うが、19世紀後半から21世紀前半の135年間のうち温度が上昇したのは高々45%である。(Fig.3)
2. 20世紀前半と後半では、CO2濃度の違いにもかかわらず、温度上昇速度は同じである。(Fig.3)
3. 1996年から18年以上にわたり、大きなCO2排出量の増加にもかかわらず、温度は上昇していない。(Fig.7)
4. シミュレーションモデルの結果は実測値と合わない。(Fig.7)
5. 過去一万年を通して、現代の温暖期より温度の高い時期がほとんどだった。(Fig.9)
6. 過去一万年を通して、CO2濃度は260~280 ppm の間で一定だったが、温暖期と小氷河期を何度も繰り返してきた。(Fig.9)
7. CO2が温暖化の原因だと言うが、温度の変化がCO2変化より先行していた。(Fig.10)
8. 過去40万年の間、CO2濃度は180~280 ppm の間で変化してきたと推定されるが、大きな氷河期が4度も訪れた。(Fig.10)
日本の公的機関のサイトは上で示したように、これらの疑問にどれも答えてくれない。
私が大学院に入った1973年に、江崎玲於奈氏と共にノーベル物理学賞を受賞したアイヴァー・ジェーバー(Ivar
Giaever)がいる。そのノルウェー出身のジェーバーが7月1日に温暖化について講演したビデオがある。もちろん、彼は半導体の研究者であり気象学者ではない。
ジェーバーも当初ネットで調べたという。科学に興味のある人が、ネットで調べ出すと、ジェーバーのような疑問と一定の結論に行き着くのである。「CO2による人為的温暖化」の仮説はおかしいのではないか。と言っても、ネットで調べるのは結構時間を要するのであり少し問題意識を持つ必要がある。
Fig.12
人工衛星による観察は36年前の1979年に始まった。その間CO2は年1~2ppmの割合で継続的に増加してきた。ほぼ一定のCO2の濃度上昇にも関わらず、1996年12月から温度の上昇は停止している。従って観測期間の半分以上にあたる18年7ヶ月もの間地球は温暖化していない。20歳台前半以下の若者は物心ついた時から温暖化を経験していないのである。
ハワイのマウナロア観測所で1957年よりCO2濃度を測定してきた。それ以来CO2は毎年1~2ppmの上昇率で増加している。一方温度の変化は下図で示すようにCO2変化と良い相関があったとは言えない。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 7
前回紹介したノーベル物理学賞受賞者アイヴァー・ジェーバーが彼の講演で述べている。「CO2による人為的温暖化」の仮説は肯定派にとっては、incontrovertible(疑いのない)真実で、仮説を否定する人々にとっては、肯定派と議論ができない、宗教と一緒だという。
彼は1880~2015年の間の0.8℃の温度上昇は、288Kの僅か0.3%だという。そして観測地点が均一ではない。たとえばUSA本土の2倍もある南極大陸の観測点は僅か8箇所のみだと指摘する。なるほど、地球表面の70%を占める海洋の温度観測点は陸地にくらべ非常に少ない。
南米のパラグアイはアルゼンチンとブラジルに挟まれた小さな国である。この地域の観測点は上の図からわかるように非常に少ない。Paul Homewoodは人里離れた三点に着目した。GISS(ニューヨークのコロンビア大学にあるNASAの研究所が管轄するデータベース)のデータによるとその中の一地点で、1950年~2014年の間、全地球の平均よりかなり大きい1.5℃温度の上昇を示していた。
そこで、彼がGISSの元のデータを調べてみるとこの間の温度は低くなっていたのである。他の2地点の結果も温度は下がっていた。データの取捨選択が行われていたのである。
これと似たデータの改ざんはNASA、NOAAで限りなくあり、近年多くが指摘されている。Real Sicenceのブログでは、ほぼ毎日のように報告されている。NASA/GISSの大元のデータはNOAA(アメリカ海洋大気庁)のGHCNである。改ざんされたデータは日本の気象庁でも使われている。気象庁のサイト上で載せられている世界の年平均気温の変化は、NOAAの同一のデータベースからのものである。だから昨年の2014年が1890年以来の最高気温を示す。
NOAAのデータの改ざんは、NASAと気象庁にとり非常に都合の良いものになっている。「CO2による人為的温暖化」の仮説を肯定するというincontrovertible
の態度を取るアメリカと日本の公的機関の殻は固い。そこで働く研究者は科学から遠ざかるのみである。彼らにとり北極熊は気候変動の影響でやせ衰えていなければならない。これが当初モーリス・ストロングの望んでいた状況なのかどうかはわからない。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 8
1930年代、アメリカのグレートプレーンズでダストボウルと呼ばれる砂嵐が頻発した。第一次世界大戦後、農家は利益を得るため、土地は過剰にスキ込まれ草が除去された。肥沃土は曝され、土は乾燥して土埃になり、それが東方へと吹き飛ばされた。離農する人々が増え、多くの土地が捨てられた。こうした耕作放棄地が乾燥し、さらに砂嵐の発生源となった。
アメリカではダストボウルが頻発した1930年代に何度か熱波が観測されている。そして、1998年ではなく1934年がこれまでの最高気温が観測された年だとされていた。ところが、下のアニメーションgifに示すように、GISSのデータが書き換えられていることが2007年に分かったのである。
ここで、地球温暖化問題を科学から遠ざけた第二の人物が登場する。ジェームス・ハンセンである。ジェームス・ハンセンはニューヨーク、コロンビア大学内にあるNASAのGoddard
Institute for Space Studies (GISS)のディレクターであった。2年前に引退している。1988年に上院の委員会の参考人として出席し、人為的温暖化が99%の確かさで起きていると証言を行ったことで知られている。
GISSのデータはNOAAが管理するUSHCN(U.S. Historical Climatology Network)の実測値をもとにしている。地球規模のものがGHCN(Global
Historical Climate Network)であって、気象庁でもこのデータを気象庁のサイトに示している。これが、前回示したFig.18である。
1990年頃、高緯度、高所、遠隔地のGHCN観測点が除かれ、6000箇所から1500箇所へと減らされた。現在も除かれた観測点の多くは測定を続けているが、データは使われていない。下図で示すように、測定点の減少とともに解析された平均温度は上昇を示している。
この取捨選択の問題に加えて、GISSではジェームス・ハンセンの主導によりデータが改ざんされたのである。2008年、Michael Mannのホッケースティック曲線の欠陥を暴いたSteve MmcIntyreが、GISSの改ざんを指摘した。
地球表面の72%が海である。NOAAは、観測点の乏しい海水表面の温度を、まばらな測定点の内挿により推定している。GISSの結果はこれら三つの誤差、あるいは人為的な改ざんにより信頼度の低いものとなっている。従って、1880年からのGISS温度変化(Fig.3)、気象庁の世界の年平均気温偏差(Fig.18)は、信頼できるものではない。
現在160個以上の気象衛星が飛んでいる。地球表面の平均温度変化を表すものとしてはそのうちの二つのデータ、RSSとUAHが代表的である。Fig.13のRSSによる結果で示すように、気象庁のいう、昨年2014年の温度が1890年以来の最高気温だったということは誤りである。さらに、気象庁は“都市化による昇温が世界の平均気温に与える影響は、ほとんど無視できると考えられています。”というがしっかりした根拠を示す必要がある。RSSとUAHについては海面表面温度が考慮されているが、NOAAの元のデータは地上の温度で、海面表面温度を如何に補正したかを明確に示さなければならない。それにしても、RSSとUAHによる人工衛星による結果についても述べることは必須である。
現在、代表的な五つの地球表面の平均温度がある。GISS、NOAA、HadCRUT(イギリス気象庁管轄下のUniversity
of East Anglia/Hadley Centre)、RSS、UAHである。前者の三つは直接測定したもの、後者の二つは人工衛星で遠隔操作により測定したものである。前者三つは上で述べたような問題がある。
人工衛星による観測の始まった1979年以降は両者の値を比較できる。たとえばUAH(Fig.24)とGISS(Fig.3)を比較すると、GISSでは1979年以降の温度上昇がオーバーに調整されているのがわかる。ジェームス・ハンセンの責任は大きい。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 9
安倍首相は今回成立した安全保障関連法について「戦争法案、徴兵制になるという無責任なレッテル貼りが行われたことは大変残念。安全保障は冷静な議論をしていくべきだろう」と述べた。温暖化についても、「CO2は地球温暖化、異常気象を引き起こす」というレッテル貼りが行われていると私などは思う。
こうしたレッテル貼りをしているのは政治家、環境団体、メディアだけではなく、多くの科学者、公立研究機関も含まれる。この大きな要因のひとつが定量的な考察が欠如しているからだと思う。
日本の面積は378,000 km2 である。地球の表面積は510,100,000
km2なので700 area ppm (0.07%) である。700
ppm という点の気候の変化で地球の温暖化を論じるのは無意味である。
日本近海は太平洋の西の端に位置しているので、太平洋の10年規模振動(PDO)及びエルニーニョ現象など(ENSO)の影響で海水温度が変わる。エルニーニョ、ラニーニャ現象では1,2年の短期間、PDOでは10年以上に及ぶ期間にわたり海水温が変化する。サンゴ礁が北上しているとか、今年はサメが海水浴場で多く目撃されたというのを海水温の上昇のせいだと言う。しかし、点で起きている事象で地球温暖化を論ずることはできない。近年の点における大雪の原因を、地球温暖化の影響で冬爆弾低気圧の発生が増加しているからとも言えない。
CO2は温室効果ガスの約3.6%である。全CO2のうち人為的に排出されているCO2は約3%である。CO2は大気中に約400ppm存在するから、人為的に排出しているCO2を地球の面積に換算すると、日本全体の面積が地球の700ppmだから、人為的なCO2は秋田県と同じぐらいになる。地球儀で眺めて見ると、日本の事象とか、まして秋田県の事象で、地球全体を議論することが、いかに馬鹿げたことかがわかる。メディアとか、ややもすれば専門機関までも日本の気候変動を地球温暖化と結びつけようとする。
Fig.25
0.7℃/100年という温度上昇率が大きくて、危険なのかどうかは主観的な問題ではなくて、実際の自然変化に照らして実証的に判断すべきである。私の住んでいるオハイオは、気温は一年で-15℃から30℃まで変化する。一日では15℃変化することも多い。明治維新から現在まで約1℃温度は上昇した。その間、大きな気候変動で破滅的な事態になったわけではない。桜の開花時期は年によって変わっているが、台風の発生頻度は増えていない。
3000年前に栄えた4大文明の時代は、現代の温暖期より暖かだった。GISSの温度変化のグラフを一日の温度変化のスケールで書くと下の右図のようになる。だから、0.7℃/100年という温度上昇率は決して大きくはない。むしろ、温度の変化は明治維新以降、驚くほど安定しているのである。
点の気象変化を地球規模に拡大して解釈したり、温度変化、CO2濃度などの誤差範囲の変化を定性的に拡大解釈したりしているのである。留まる事のないGISSのデータの改ざん、日本の公共機関による冷静さを逸失した国民への脅しは終わりそうにない。
それにしても、アル・ゴアや国連事務総長は、科学的側面を抜きにして、人為的温暖化を疑いもなく信じているようである。迷いがないということは、うらやましい。本来は、人為的温暖化に注ぎ込んでいる税金は、途上国の貧困対策へ回すべきである。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 10
温暖化問題を科学から遠ざける要因のひとつは、地球温度変化という非常に小さい物理量を取り扱うこと、その原因として仮定するCO2の大気濃度がこれまた極小であることである。「温暖化」が人為的に排出されるCO2に起因するというのはあくまで仮定であって、他にも入力される太陽エネルギーの変化、海流・海水温の周期的な変化、二桁も多い自然サイクルのCO2バランスなど多岐にわたる自然現象がある。学際的で定量的評価が難しいので、「エセ科学」がまかり通るのである。
CO2の気候感度とか温室化効果が飽和状態ではないかという基本的な疑問がある。これも地球環境の中ではこれらの因子に関係する実験ができないので、科学的根拠をベースにした評価は難しい。くどくなるかも知れないが、定量的な考察の糧にするために、以下大気中のCO2の化学を整理しておきたい。
銀行に元金
a を、利率
b で x 年間預けると総額
yは複利計算で
y = a (1 + b) x
となる。これは
y = a e bx
で近似できる。なぜなら
e が次式で定義されるからである。
同様に、最初の結果が次回の結果に影響を及ぼす場合は指数関数e で表されることが多い。駅の100個のコインロッカーに10個のかばんが預けてある。ロッカーをひとつひとつ開けていく時にかばんを見つける確率は、最初の一個のかばんについては10%である。しかし、二番目のかばんを探し出す確率は10%より小さい。三番目、四番目になるとさらに小さくなる。これらの確率は指数関数
e で表される。
地表で反射された電磁波の一部は CO2 により吸収されて
CO2 分子のエネルギーを励起する。励起した
CO2 は基のエネルギー状態に戻るまで電磁波を吸収しない。励起されていないCO2
により電磁波が吸収される。励起されていないCO2
は急激に減っていく。この吸収量と濃度の関係は、コインロッカーの中のかばんと同様の指数関数または対数関数の一次式で表される。
y = a e -bx
または
ln y =
ln a - bx
吸収量の代わりに透過量で置き換えると
bx = ln a – ln y
これは化学の分光学でよく知られている Beer の法則で下のように示される。
複利計算の場合、元金が倍になるのは
2y = a e bΔx or ln 2y =
ln a + bΔx
すなわち
Δx
= ln 2y – ln y
Δx
= (ln 2) / b
= 0.696 / (interest) or
≒ 70 / (interest %)
70 年は doubling time と言われる。利率が 5% ならば 70 ÷ 5 = 14 なので、14年で元金は倍になる。人口の増加率が 2% ならば70 ÷ 2 = 35 なので、 35 年で人口は倍になる。細胞が繁殖する場合もこの doubling time で倍になる繁殖時間が計算される。同位体が崩壊する時も同様だがこれは減少して行く過程なので、0.696 を半減期で割れば半分になるまでの時間が求められる。因みに家のローンの計算も同様である。
CO2濃度が上がっていくと、地表で反射した電磁波のCO2による吸収量が減少していくので、CO2の温室効果による温度変化は小さくなる。上記のBeerの法則とは逆の関係となり以下のグラフで示される。CO2濃度と温度変化の絶対値は実測により求められる。現時点では確かな値は未知である。
絶対値は未知だが、このグラフはCO2濃度が50ppmから100ppmへ倍になる時と、500ppmから1000ppmへ倍になる時の温度変化は同じだと言うことを示す。倍になる時の温度変化は気候感度 (climate sensitivity) と呼ばれている。上で述べたdoubling time と同じ概念である。
CO2 の濃度が倍になる時の温度の変化は一定である。また、温度変化はCO2濃度が小さい時ほどその変化対して大きく影響を受ける。CO2濃度が大きくなると温度変化は小さい。上記グラフの計算値では現在の400ppmというCO2濃度は、多少CO2濃度が上がっても温度は変化しないことを示す。これがすでにCO2の温室効果は飽和しているかもしれないというゆえんである。
CO2 の濃度が倍になる時の温度の変化は 0.5~1.0 ℃といった値のようだが、人為的温暖化の仮説を肯定する者と私のように否定する者とでは大分違うようである。過去19年弱の間、大気中のCO2絶対量は小さいものの、10%も増加している。しかし、地球の表面温度は一定で上昇していない。だから気候感度はかなり小さく、飽和しているかも知れないという推論が導かれる。
Fig. 30
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 11
下記は、ある環境団体のホームページからの引用である。
近年、温暖化によって地球全体の平均気温が上がり、北極を覆う大量の氷が少しずつ薄く小さくなっています。北極の氷が温暖化によって少しずつ減ることにより、白熊などの野生動物たちの生息域も狭くなっていたりもします。海抜の低いツバルなどの地域では、すでに海面水位が上昇することによって水没した陸地が増えています。このまま温暖化による海面上昇が進んでいけば、ツバルという国自体が海の底になってしまうのも時間の問題です。
最近も、太平洋上の島々は沈むどころか、一部は大きくなっている。キリバス、ツバル、ミクロネシアの島々は、さんご礁、埋め立て、堆積物などにより大きくなっているのである。オークランド大学の研究チームが27の島々の空中写真、衛星写真を過去20-60年にわたって比較した。その結果は、多くの人々が言う温暖化で海面レベルの上昇により沈下していることとは反して、80%の島々は同じか大きくなっていた。いくつかの島は20-30%も大きくなっていた。これらの島々が100年は存在するだろうことは確かである。
一万年前の氷河期が終わった後、海面は7000年の間極めて安定している。最近100年でみても海面上昇は高々20cmである。これも小さい物理量の変化に対する取り扱い方の問題である。テレビで国立環境研究所と海洋研究開発機構の人が海面上昇について述べる番組があった。モデルに基づいた計算で、非現実的な島々が水没するという恐怖を視聴者に与えただけだった。事実を正直に伝えるのか、「恐怖に訴える論証」を続けるのかは、科学者の倫理観にかかっている。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 12
ペンシルバニア州には東と西にフィラデルフィアとピッツバーグという二つの大きな町がある。あとは森と小さな町が点在するのみである。その中間に州都のハリスバーグ (Harrisburg)がある。ハイウェイで東から西へ向けてドライブするとハリスバーグを過ぎたあたりから正面に南北に連なる盛り上がった山が目の前に立ちはだかる。これがアパラチア山脈で、オハイオ州まで続く。
ハリスバーグの南東10マイル
(16 km) のところのサスケハナ川
(Susquehanna R.) に中州がある。これがスリーマイル島
(Three Mile Island) である。長さはスリーマイル
(約5 km) で左下の写真で見るように大きな中州である。
Fig.1-6
中州の中に1979年に事故で有名になった右上に示すような原子力発電所がある。二つのユニットがあり、右側のユニットで事故が起きた。TMI-2
(Three Mile Island Unit 2) として知られる。この事故は、オイルショック直後に、期待された原子力エネルギーに対しネガティブの印象を与えることになる。事故の概要は以下のようだった。(この部分は、私自身の備忘録ですので悪しからず)
事故は 1979年3月28日早朝四時に起きた。計装用空気系に不純物が混入して脱塩塔出入口の弁が閉じ、主給水ポンプ①が停止した。その結果、ボイラーの温度が上昇し、原子炉とボイラーを循環している冷却水の温度が上がり、そして圧力が上昇した。さらに、圧力を抜くために緊急バルブ②が開いた。運転員はバルブ②が開いたのを認識したが、圧力が抜けた後閉じたものと考えた。バルブ②の開度を示す計器はなかった。実際には、熱により開いたまま固着してしまったのである。原子炉とボイラーを循環している冷却水③を補給するために、補給ポンプが起動した。冷却水の圧力が下がり沸騰していたため、冷却水系④のレベルは100%を示していた。運転員は補給ポンプを停止した。また運転員は、冷却水③の循環ポンプも振動による破壊を防ぐために停止した。バルブ②が開き、冷却水③の量が圧倒的に不足して原子炉の温度が上昇した状態が続いた。ボイラー、タービンを循環している水⑤を補給する緊急の補給ポンプがあった。しかし、この補給ポンプは二日前のテストの後、バルブが閉められたままになっていたのである。冷却水③の循環ポンプが再起動されて冷却されるまで15時間高温の状態が続いた。
(TMI-2:
左から原子炉、ボイラー、タービン、冷却塔で構成される)
Fig.1-7
サスケハナ川に沿って北西へ北上し、途中から西のアパラチア山脈へ向けて行く。小じんまりしたいくつかの町中を過ぎる。昔は、そのうちのひとつの町にサンヨーの工場があった。なぜこのような山の中の小さな町に、というようなところである。大きな峠を越えてさらに30分進むと大学の町へ導かれる。これが州のほぼ中央にあるペンシルバニア州立大学である。フィラデルフィアにも同じ名前の私立のペンシルバニア大学がある。フィラデルフィアの方は、昔、野口英世がアメリカへ来た時に研究を開始したところである。
ペンシルバニア州立大学の方には、地球温暖化問題を科学から遠ざけた第三の人物、マイケル・マン(Michael Mann)がいる。彼は現在50歳で、地球科学センター長を務める。
エール大学でPhDを取った後、マサチューセッツ大学でポスドクとして研究を行った。その時、1998年にNatureから出した論文が世を騒がすことになる。この後の2000年に出たIPCCの第三次の報告書を含む一連のプロセスは、”科学とは如何にあるべきか“というすべてのエッセンスが含まれているように思える。次回にまとめたい。
STAP細胞事件の方は、半年の間、非常に密にしかも、ネットを通して多くの人々の面前で種明かしが繰り広げられた。STAP細胞の事件は終了したが、「人為的温暖化仮説」のできごとは依然として進行形である。両者には共通する要素があると私は思っている。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 13
「人為的温暖化」の仮説を支えたのがホッケースティック曲線である。ホッケースティック曲線の歴史の流れをこの資料をもとにまとめてみる。
人為的温暖化の仮説を肯定する人々の主張の核心は、19世紀に始まった現代の温暖期が前例のない程、温度が上昇しているという推定である。もし同様の温暖化が人為的なCO2排出量が増加する前の古代から近代に起きていたなら、現代の温暖化が自然現象であり人為的に排出されたCO2とは無関係である可能性が大きい。
大気中のCO2が温室効果を持っていることは物理的に良く理解されている。(“CO2 the
basic facts“)。重要な事は自然界のシステムにおけるCO2の定量的な寄与である。
定量的に答えることは非常に困難である。だから前例のない温暖化が現在起きていてCO2による人為的な温暖化がただひとつの可能な因子だということを示すことはひとつの方法である。
1990年代までにAD 800–1300年における中世の温暖期(Medieval Warm Period)(MWP)に関する多くの文献があった。その後小氷河期(Little
Ice Age)と言われる寒冷期が続いた。温度の指標となるデータ(proxy measures)と多くの文献に基づいて、中世の温暖期は現代の温暖期より気温が高かったものと考えられてきた。1990年代半ばまでは中世の温暖期は気候学者にとっては議論の余地のない事実だったのである。1990年のIPCCの報告でも明記されている。202ページのグラフ7cに見られる。そこには中世の温暖期の温度が現代の温暖期よりも高く記されている。
1995年の二次の報告書では、温暖化に対してCO2がより影響力の大きい因子として担ぎ出された。中世の温暖期はもはや二次的な意味しかなくなった。中世以降の温度軸が短くされ、小氷河期以降の長くてゆるやかな現代までの回復曲線となった。IPCCのメンバーだったJay
OverpeckからDeming教授への”我々は中世の温暖期を取り除かねばならない。”というemailで明らかである。
1995年のIPCC二次の報告書と2001年の三次の報告書の間で大きな変更があった。気候変化の歴史の改変と中世の温暖期の除去は有名なホッケースティック曲線を通して行われた。
下の二つのグラフを比較するとその過程が明らかになる。左は1990年の報告書の202ページ7cである。中世の温暖期の温度ははっきりと現代よりも高く示されている。右側は2001年のIPCC報告書 である。中世の温暖期と小氷河期は消滅している。そして現代の急激な温度上昇となっている。
Fig.1-9
広く受け入れられてきた概念に対する最初の一撃は1995年だった。イギリスの気候学者Keith Briffa がNatureにセンセーショナルな結果を発表した。Siberian
Polar-Uralの年輪の解析に基づいて、中世の温暖期はなく1000年の後、突然温暖な気候が現れたものと報告した。
Briffaらは20世紀が百万年で最も温暖だと大胆にも提案した。この提案はCO2の影響に関する論争の中心になっている。これは5000-9000年前の完新世の気候最温暖期(Happy Holocene参照)をも無視するものである。
Briffaの研究はある程度の衝撃を与えたが、さらに大きな真の衝撃がついに1998年のNatureで公表された。Mann、Bradley、Hughesの”Global-scale
temperature patterns and climate forcing over the past six centuries”と題する論文である。
(ここでダウンロードできる)。
Michael Mann はこの論文の筆頭著者だった。彼がマサチューセッツ大学でポスドクをしていた時の研究である。1,000
AD までさかのぼる温度を推定するために年輪の指標が使われた。Mannは気象学の歴史を根本的に変えた。中世の温暖期とその後の小氷河期は取り除かれた。1900年までほぼ直線で温度が下がり、その後20世紀になると急激な温度上昇とした。
2001年のIPCCの第三次報告書では詳細な検討もなく`ホッケースティック’曲線が採用された。IPCCはこの無名の若い科学者の研究を持ち上げた。“20世紀は過去1000年のうちで最も暖かい時期である。1990年代は最も暖かい10年であり、1998年は最も暖かい年であった。”
IPCCは1995年の記述を変更し`ホッケースティック’を新しい規範とした。お詫びも説明も一切なかった。科学的裏づけもなかった。Mannらのホッケースティックの論文が、BriffaのSiberian 年輪の研究以外には何も新しい概念を確認する方法はなかったのにである。
IPCCのドラフトがリリースされて数ヶ月でアメリカの`National
Assessment’ Overview が`ホッケースティック’を最初のグラフとして取り上げ、CO2による人為的温暖化のキャンペーンが大々的に始まったのである。
アルゴアの有名な”不都合の真実”という映画もホッケースティックを基に構成していた。
科学から遠ざかる地球温暖化問題
– 14
2001年のIPCC 報告書が突然ホッケースティック曲線を受け入れて、過去の気候モデルとした。一部の科学者は過去の気候が急に変えられたことを心配していた。他のプロキシデータは依然として中世の温暖期の方が現代より暖かだったことを示していたからである。それらは声にはならなかった。彼らは地球温暖化の拒絶者としてみなされるのを恐れた。
そうした時Stephen McIntyreという型破りのヒーローが現れたのである。彼はトロントの引退した鉱物学者だった。McIntyreは科学者でもなく経済学者でもなかった。しかし、統計学、数学、データ解析を良く知る人だった。当初は、決して懐疑論者ではなかった。気候変動として騒がれている基本的な概念に好奇心があった。ホッケースティック曲線がどうやって作られたのかを見たいものだと思った。2003年の春、Stephen McIntyreはMann
にホッケースティック曲線の元となるデータをリクエストした。しばらくしてMannはデータファイルを提供した。
Steve
McIntyreはRoss
McKitrickと一緒に解析にあった。McKitrickはカナダの経済学者で、環境経済と政策解析を専門にしていた。ホッケースティック曲線のための平均値を作成するために統計的手法を採用した。かれらは直ぐに問題を見つけた。
位置のラベル、古い編集、シリーズの切り取りなど多くの小さな誤りがあった。これらの誤りは、Mann らの結論には大きな影響を及ぼさなかった。
しかし、McIntyreとMcKitrickは大きなエラーを見つけた。これは論文の結論を全く覆すものだった。
Mannは多くの異なるプロキシデータを過去1000年にわたり混ぜ合わせ、平均値を計算し、ひとつのグラフ上に傾向を示した。この単純な方法が適切でないことは明白であった。このような性質の異なるデータを混ぜ合わせることは統計計算ではごく一般的である。良く確立されたテクニックがあり‘principal
components’と言われる。
(詳細はMcKitrickらの論文をダウンロード). McIntyreとMcKitrickはMannが異常なprincipal component値を使っていたことを発見した。この値は算出した平均値をゆがんだものにした。Mannらの方法ではどのようなデータもホッケースティック曲線となった。
ここに例を示す。
Fig.1-12
二つの再現した温度曲線は共に1400ADまでさかのぼる年輪を基にしたものである。ひとつはカリフォルニア、他はアリゾナからのものである。両方ともMannによって使われている。上図は20世紀の後半で温度が上昇している。下の図は20世紀に入ってもフラットである。Mannらの統計トリックでは上の図のようなホッケースティック曲線となる。下の図に比べて390倍も大きい重みをつけることになる。どのようなデータを使ってもMannらの統計処理ではホッケースティック曲線を生成するのである。
McIntyre と McKitrickはさらに解析を進めた。多くのデータを処理する場合、データを歪めず、新しい間違ったものを取り出していないかを見極める必要がある。ひとつの方法はランダムにデータを取り出すことである。(しばし、Red Noise テストと言われる)
McIntyreとMcKitrickはMannが解析したデータ群に対してこれを実行した。その結果は、食い違ったものであった。
Mannの手法を使っていろいろなデータ群を解析すると99%、ホッケースティック曲線を生じた。これはホッケースティック曲線が過去の気候を反映しているということに疑問を投げかけた。
例でもって示す。下に八つのグラフがある。七つはランダムのデータをMann の方法で解析したもの、それと実際のホッケースティック曲線である。どれかを判定できるだろうか。
Fig.1-13
McIntyreとMcKitrickはホッケースティック曲線の論文の重大な誤りについてNature
へletterという形式で論文を提出した。8ヶ月という長い審査期間の後Natureは公表できないということを知らせてきた。
その代わりNatureは、Mannにオンラインの補足版として訂正する機会を与えた。そこで彼は標準的な手法を用いなかったとしたが、結果には影響がないと述べた。
結局、2003年に McIntyreとMcKitrickは“Corrections
to the Mann et al. (1998) Proxy Data Base and Northern Hemisphere Average
Temperature Series”と題する論文をjournal Energy and Environmentに発表した。
McIntyreとMcKitrickは、Mannがデータの抽出に対してランダムではなく、また1993年のGraybillとIdsoによるbristleconeという松の常軌を逸したデータをも抽出していたことを指摘した。GraybillとIdso は元の論文でこれらbristleconeという松のデータはしばしば異常であり、プロキシのサンプルには相応しくないと言っていた。McIntyreとMcKitrickはもしこのデータセットをMannのプロキシセットから除いて平均するとホッケースティック曲線が消失することを見出した。過去の気候に関して整理した結果はもろくホッケースティック曲線が故意の操作で変わるものだということを示した。
下図の点線はMannらのオリジナルのホッケースティック曲線である。実線は正しく統計的処理を実施した場合の結果である。中世の温暖期を見てとることができるし、1990年代はもはや最も暖かな時ではない。
Fig.1-14
McIntyreとMcKitrickはMannの使用したサーバー上のデータにアクセスしたところ、bristlecone
のデータが“要注意”のフォルダーに入っているのを見つけた。Mannは彼自身の実験のために使用したのかもしれない。これらのデータを除くとホッケースティック曲線が表れないことを自覚していたのかも知れない。しかし、Mannは欠陥のある結果を公表しなかった。McIntyreとMcKitrickによる調査により見つかったものである。
上記の詳細な内容はダウンロードできる。(here ,web page)
アメリカの上院の委員会はEdward Wegman (数学、統計学の権威)
の下で報告書をまとめた。(ダウンロード)
報告書が指摘しているように、最初の研究、論文の査読に誰ひとり統計学の専門家がいなかったのは驚きである。比較的少数の専門家によりやりとりされていたのである。またその報告書の中で、Mannは彼が展開したコードの詳細は彼自身の知的財産で、詳細なレビューのために開示するつもりはないとば述べている。
その後もIPCCが国連組織ということで、ホッケースティック曲線はCO2排出による人為的な温暖化を支持する人々により使われ続けてきたのである。
前へ 次へ