私の朝日歌壇 110首

(1993 年 - 2018 年)

  1. 五時間後 Death Certificate(死亡証明書)は完成し人間 (ひと) はふたたび法的に死す
     

  2. 老患者は死後のゆくえを探るごと日本の火葬に興味を示す
     

  3. 食卓の空席めぐり老患者ら朝の話題を死より始める

    選者評》 1/9/1994
    病院である。来るはずの一人が来ない朝の食卓。他界したのである。たんたんとした表現の奥に、老患者たち一人一人の心の旅立ちの総量を想像して、ぎくりとさせられた。
  4. 心肺蘇生終えしばかりのこの手にて温かきコーヒー患者に注ぎゆく

    《選者評》 2/20/1994
    医師の手を、自らある不思議感をもって眺める時があるだろう。心肺蘇生なし終えた手と、コーヒーを注ぎ分ける手、ともに温かな人間のいのちへの愛だと解説するのもわざとらしい。しかし、ともかく人間はすばらしい、と思えることは幸せである。
  5. 老患者は本のページをめくるごと明日を静かに受け入れてゆく
     

  6. マシュマロのような日本の留学生角なく柔く自己主張なく
     

  7. 消防士の大きなる手は神のごと児を抱きており爆破の街に
     

  8. 星条旗の横に掲げる日の丸を論ず現地の職員に
     

  9. メールマンの足跡青き影となり雪のひと日が静かに暮れる

    《選者評》 1/28/1996
    郵便配達の人しか知らなかった雪の一日。静寂がテーマである。
  10. 日本語の文字が黒板に残らぬよう消して現地の借り校舎出る
     

  11. 兵役の署名を終えて十八の吾子はひたすら楕円ボール追う
     

  12. 毒ガスを浴びし帰還兵の呼び名なく「湾岸戦争症候群」と言う
     

  13. 患者逝きゴミ箱に捨てる遺品類死とは音なく落ちてゆくらし
     

  14. 吹雪止み外に出ずれば雪かきの人の影濃く雪闇に浮く
     

  15. ひとパック一ドルと書かれし蒲公英の摘菜売られる雪国の春
     

  16. 捨てるもの多き引越しを繰り返し捨てきれぬひとつ人種日本人
     

  17. 神の名を札にぶら下げホームレス立つ病みて淋しき都会の底辺
     

  18. 胸に手を置き星条旗仰ぐとき移民にも市民にもなれず漂う
     

  19. 椋鳥の空の巣欲しき生徒いて授業の合間にくじ引き作る
     

  20. 庭の窓ノックし餌請うリス減りて木の実のしきりに落ちる秋なり
     

  21. 球根を掘り起こさぬよう諭すけど無垢な逃走繰り返すリス
     

  22. 正月の「LUCK」と言いて子らの食む一椀の餅に香る干し海苔
     

  23. 枯れ葉くわえ巣の修繕に走るリス吹雪(ストーム)の去りて樹の先は青

    《選者評》 3/8/1999
    すばやい春への変化が印象的だ。
  24. 帰国児の適応の力信じたくカードに記す一行の別れ
     

  25. 木の芽食むリスの影絵も揺れており日脚の伸びし居間の白壁
     

  26. 鈴蘭を愛でて祈りしホスピスの患者逝くを知る春の告知板

    《選者評》 6/27/1999
    ホスピスで晩年を祈りに生きた一人を思う歌。「鈴蘭を愛でて」がかなしい。
  27. 両の手に開きし聖書が重いと言うホスピスの患者にモルヒネを与う
     

  28. わが庭を喰い荒らす鹿の子連れ一家に散歩の道で出会ってしまえり
     

  29. 歳月はめぐりて帰化をする明日湯上りの夜に「神田川」聴く

    《選者評》 9/26/1999
    アメリカに帰化する日の前夜である。「神田川」という曲の感傷性は作者の世代の感傷性だとの思いがあるのだろう。一生に一度しか作れない短歌。
  30. 四頭の子鹿が花を食む間母を道側の芝を食みおり
     

  31. メープルの樹したに鹿の親子来て緋色の庭の夕べに染まる
     

  32. 艦長の椅子に座りて笑む夫指揮する男の孤独の部屋に
     

  33. カイゼルの髭の車掌を藍に染め海辺の駅がひたひた暮れる
     

  34. 花嫁のドレスがチャペルに消えるまで生徒(こ)らは窓辺に肘つきて見る
     

  35. 焼け跡に半旗を掲げ夜も昼も埋もれし希望を人は掘りゆく

《天声人語》 10/16/2001

こんなとき朝日歌壇を眺めて人の心の動きを追う。大きな事件が起きると、歌詠みたちは筆を執る。とりわけ心揺さぶられる事件のときには。

14日の歌壇は、多くが今回の同時多発テロをめぐる作品だった。複数の選者が選んだ歌がいくつかあったが、そのひとつがこれ。〈報復は航空母艦の形して浦賀水道の秋を分け行く〉。同じ光景を別の角度から見たのが次の歌だ。

〈「I don't Kill」とヨット「おむすび丸Iはたった一隻巨大空母に揺れつつ抗議す〉。ほとんどが、非戦、反戦の歌であるのは、いまも昔もあまり変わらない。〈報復も部差別のテロアフガンのおさな児らはいずこ逃るる〉。

海外からの投稿がふえているのが最近の特徴だ。アメリカからは〈焼け跡に半旗をかかげ夜も昼も埋もれし希望を人は掘りゆく〉。フランスからは〈破壊と報復に埋め尽くされたルモンドを辞書引き一つずつ気を締めて読む〉。

インターネット上にも「武力報復反対」「戦争反対」の訴えが飛びかっている。かって「反戦」といえば、街頭でのデモだったが、いまは情報ハイウェーでの「デモ」が加わる。

そうしたなかから10月9日のニューヨークタイムズ紙への反戦広告も実現した。米国の退役軍人が書いたブッシュ大統領あての手紙の掲載だ。日本女性らが各国に呼びかけて募金をし、実現させた。

「これ以上無実の人を犠牲にしてはいけまえん」と大統領に「武力報復」の自重を求めた内容だった。訴えもむなしくアフガン攻撃は続く。だが、新しい「反戦運動」の方も続いている。
  1. 生徒待ちし運動会は取り止めてテロの被災者の義援金募る
     

  2. 星条旗を頭に巻ける若者が夜の片隅にキャンドルみつむ
     

  3. 爆弾や破壊の語彙の多くなり生徒が綴る秋の作文
     

  4. ハリソンの逝きて流れるビートルズテロなき時代の平和を歌う

    《選者評》 1/14/2002
    ビートルズを構成していたジョージ・ハリソンも死んだ。その音楽が世界を風靡した1962年から約10年、若者の心を掴んだ「イエスタデイ」などが流行。いまアフガンや中東などの紛争の激化の中で思う少し前のよき時代への切実な回想。
  5. 授業終え解放されし男児らが「おにごっこ」ならぬ「テロごっこ」始む

    《選者評》 2/25/2002
    アメリカの小学生たちの現在。
  6. 両腕を広げて風を切る生徒(こ)らが飛行機となり「テロごっこ」始む

    《選者評》 3/25/2002
    アメリカの小学生のテロごっこ。複雑な思いで見る作者。
  7. 果てしなき農場(ファーム)の綿の花揺れて奴隷史は白き風のごと過
     

  8. 幾度も子山羊がホーンをぶつけあう音の弾ける初秋の牧
     

  9. 無作為に市民・子どもが撃たれても銃の規制を叫ばない国
     

  10. 鹿渡る標識の立つ道の辺の鹿の躯(からだ)に朝霜の降る
     

  11. Zenというちいさき箱庭売られいる瞑想好きのアメリカンのため
     

  12. 出征の兵を見送る家族あり既視感のごとWarの波来る

    《選者評》 2/3/2003
    「既視感のごと」の「ごと」が微妙。かってとおなじようでもあり、あらたな状況に踏み込みつつあるようにも見えるのだ。
  13. オレンジに危険レベルが上昇しテロ警戒を報ずる朝
     

  14. 三度まで解雇されたる夫支えアメリカの地に踏ん張りている
     

  15. 義歯をはめ化粧を終えてゆるやかにホスピス患者の一日始まる
     

  16. われの名を覚えてくれしホスピスの老は忘るる今日という日を
     

  17. 今もなお湧きて流るる清水ありリンカーンの生(あ)れし小屋の近くに
     

  18. リンカーンの生まれし土地を訪ねれば春の森ふかく啄木鳥(きつつき)響く

    《選者評》 4/26/2004
    民主主義の理想を説いたリンカーンの生地に何事かを訴えるような啄木鳥の響きが印象的。
  19. 「わたつみのこえ」にもかよう文遺しイラクの砂塵に散りし米兵

    《選者評》 5/3/2004
    イラクで死んだ若い米兵の遺書は、「わだつみのこえ」にも通い、いかなる戦争も悪だといっている。
  20. ふたり子の手をとり朝の散歩するジョンはイラクの帰還兵なり
     

  21. またひとり目隠しをされ消されるを画像に見つめ朝が始まる

    《選者評》 10/18/2004
    オハイオ州の朝。日常的に放映される人質の映像。「また」がおそろしい。
  22. うずたかく路肩にゴミの続く道聖夜の明けしアメリカの顔
     

  23. 洪水に流されし実を掘りいるか川辺のリスにまた雪がふる
     

  24. 雪掻きの暮らしになじみ二十年銀の狐の雪靴ぬくし
     

  25. 小石より蹄(ひづめ)に伝わる春ならん鹿ゆったりと川べりをゆく

    《選者評》 4/18/2005
    春の鹿のやさしさが鹿の感覚を共有するようにうたわれる。
  26. 母国語に閉店までを浸りおりニューヨーク街の「ブックオフ」にて
     

  27. インディアンの棲みいし川沿いの道ゆけばとうしみとんぼが水面に遊ぶ
     

  28. 楽焼をカナダに伝えし民のあり名もなき町の工房(アトリエ)に寄る
     

  29. ローズマリーの細き青葉を摘みてより森のかおりの秋にさまよう
     

  30. 天気図にサボテン・マークのゆれる朝アリゾナ州は雨をこがれる
     

  31. バスケットボールつく音の響ききて夕べ明るき「夏時間」なり

    《選者評》 5/8/2006
    夏時間になって間もない時期の、夕刻から夜の時間の雰囲気をとらえて巧み。バスケットボールドリブルの音が、アメリカの都市らしい。
  32. 「ライアンの娘」の石碑読みおれば風の岬に通り雨くる
     

  33. カーニバルの去りし跡地の芝原に光のごとく蝗虫こぼるる
     

  34. 年を取ることは乾いていくことかテスト用紙をなめなめ配る
     

  35. チョコを食む少女のしぐさリスに似て唐突にくる思慕をしらざり
     

  36. ガソリンの給油を終えし霊柩車朝のラッシュにすべり入りたり

    《選者評》 5/28/2007
    死者への思いまで乗せ運ぶ霊柩車と、現実的なガソリン給油が微妙な組合せで朝のラッシュの中に溶け込む。
  37. ミドルネーム無き名の呼ばれ壇上に医師となる子が卒業証書(Diploma)を受く

    《選者評》 6/18/2007
    西岡さん、次々と呼ばれる名前の中で、我が子にだけミドルネームが無いことを思う。困難を乗り越えて、晴れの場に、親も子も誇らしく顔が輝いている。
  38. 州の名をひとつ言いては縄跳びの輪を出でてゆく黒髪の子ら
     

  39. 妖怪にまじりてるてるぼうずありハロウィーンまでを吊るされて待つ

    《選者評》 11/11/2007
    「てるてるぼうず」ハロウィンの不気味な妖怪仲間のようだ。
  40. するめ・昆布細かく切りてゆく夕べ吹雪きているか「松前」もまた

    《選者評》 3/10/2008
    遠くアメリカで作る松前漬け。窓外の吹雪がしぜんに思いを松前にはこぶ。
  41. 雪の上のカナディアン雁の糞の色緑となりて春を告げおり

    《選者評》 3/31/2008
    南下して越冬する鴈の糞が萌える春草を食べ緑色になっているのを見つけたのである。珍しい春の発見で嬉しくなる。
  42. 原発の冷却塔(クーリングタワー)のそびえおり少年リンカーンの住みいし土地に
     

  43. ペン胼胝(だこ)をもうつくることないだろう電子チャートの看護となりて

    《選者評》 7/13/2008
    病院もすっかり変わった。昔はペン胼胝があったのだ。システムが変われば、職場の空気も人間関係も変わる。チャートは、ここではカルテの意味。
  44. 旅行族の長く並べるゲート隅帰還の兵を囲む輪のあり
     

  45. 野生へと育ちゆく朱鷺を応援す職場にトキと呼ばれるわれは
     

  46. 三万の兵を増やして六千を柩とともに帰す国なり

    《《選者評》 1/4/2010
    西岡さん、結句「国なり」に単なる批判だけではない強い思いがこもる。
  47. トラックの鉄のシャベルは火花放ち吹雪の道の雪を搔きゆく
     

  48. センチよりインチの似合う暮らしなり雪の上にまた雪を積み上ぐ
     

  49. ここからは教師の顔となる朝チュウインガムは車に捨てて
     

  50. ぬんるりと原油を浴びしペリカンの項垂れおりメキシコ湾に

    《選者評》 7/5/2010
    アメリカ南部のルイジアナ州沖の石油流失事故から。
  51. 洗われるペリカン映し鳥類の六割はDEAD締めくくるアナ
     

  52. その瞳にヒトを映して静かなる老いしダービーの鼻筋に触る

    《選者評》 9/6/2010
    ダービーの老馬はケンタッキーに暮らしている。静かさに共感が漂う。
  53. 二百人の子どもにインフルエンザの注射終えインディアン・サマーの夕を帰りぬ
     

  54. 被災地に帰国して行く子も交り全校生徒が黙禱ささぐ
     

  55. 移住者の募金・チャリティの続きおり羅府新報の隅々にまで

    《選者評》 5/23/2011
    故国支援の熱気を詠む。羅府はロサンゼルス。
  56. 「がんばれ」は書かず「元気で」と書き添えて帰国の生徒へカードを閉じる
     

  57. 「20分、10ドル」の散歩を追加して犬を送れりペットホテルに
     

  58. 三社より一社となりて日系の新聞もまた生き残り賭く
     

  59. グラウンド・ゼロの石碑に触れゆけばミドル・ネームの無き名にも触る
     

  60. チェインソーメープルを切る太き腕ゆれればタツ―の紅葉もゆれる
     

  61. 「bonsai」の切手をしろき封に入れちさき緑を獄に送りぬ
     

  62. 冬眠を終えし二匹のオポッサムが芝原に出て陽を浴びており
     

  63. トラックが一ダース余の簡易トイレ運びてゆけりゴルフの闌(た)けて
     

  64. 芝うえをバグパイプの音の流れれゆき夏の祭りは哀愁を帯ぶ
     

  65. プレツェルの店の男の刺青の鯉鮮やかに夏を呼びいる
     

  66. 消しゴムのかすを片づけ日本語を消して借用教室を出る
     

  67. 晩秋のわが家を幾度もノックする啄木鳥のいてほうきふるわれ
     

  68. トランプの当選の報駆ける朝可燃と不燃のゴミを出しおり

    《選者評》 2/5/2016
    トランプ当選という嵐の駆けめぐる米国で、淡々とゴミ出しをする西岡さん。それも受容の一形態か。
  69. 帽子かぶり授業をすればなぜと聞く子らには言えぬ病と生きる
     

  70. 校内にガンマンが来たら逃げること散り散り逃げる訓練なりき

    《選者評》 5/29/2017
    アメリカのオハイオ州の学校での驚くべき訓練。世界のきびしさはここまできたのか。
  71. もろこしを買い来る人ら見ておれば民族に隔てなきと思えり
     

  72. ベランダを胡桃をくわえ往き来するリスに来ておりハーベスト・タイム
     

  73. 無作為に抽出されしアンケートの人種の欄にて止まるペンなり
     

  74. 裏庭にひなたぼこする狐おり教師に銃を持てという国
     

  75. ゲートにてわが子を高く抱き上げて兵士は母の顔となりゆく

    《選者評》 11/18/2018
    西岡さん、海外勤務から帰った女性兵士。子を抱き上げたとき、親子共に待ちわびた母の顔となる。リアルなアメリカ。女性兵士は母親でもあった。