「鹿島」NYへ寄港

 朝の光を弾くように、馬に付けられた蹄鉄の音が軽い。よく手入れをされた観光客用の馬車が、セントラルパークをリズミカルに進む。ジョギングをする人、犬と散歩をする人、スーツ姿でオフイスに急ぐ人、様々な人々がニューヨークの顔を作り、躍動の朝が始まる。夫と私はパークの前のホテルを目指して、歩を進めていた。ここで夫は、二十五年振りに幼なじみの上田勝恵さんと再会した。男同士の再会はどんなものだろうかと期待していたが、「オウ」「オウ」と互いに交わしあっけなく終わった。近況を伝え合い、そして、その日の日程を確認して、私たちはニューヨーク港へと向かった。

 歴史上最大というOperation sail 2000が、アメリカの独立記念日に寄せて入港していた。その日も港では、NY市の警察が厳重な警備を敷いていた。私たちの乗った専用車はシェパード犬のチェックも受け、一般市民は通行禁止の区域を抜けて、停泊中の船の近くの埠頭まで運んでくれた。手前側の巨大な軍艦はイギリスの「マンチェスター」、その向こうに日本の練習艦「鹿島」が停泊していた。一等海佐上田さんは鹿島の艦長で、多忙なスケジュールをぬって、私たちのために船のガイドを引き受けてくれたのだった。

 デッキに着くと、日章旗が潮風にぱりぱりとはためいており、それは目に痛いほど新鮮に映った。日焼けをした夏服の隊員が、艦長に向かって挙手をした。何か異次元の世界に入っていくような興味をそそられた。艦内の急で狭い階段を昇ったり降りたりして艦内を見学した。ある一ヶ所に、鹿島神宮の祠が祭られていて驚いた。日露戦争当時の初代の鹿島から、現在の三代目の鹿島の命名の由来がここにあるという。来賓室には初代当時の銀の水差しと並んで、東郷元帥の白黒の写真が飾られており、海軍の時代の歴史の重みを感じた。乗組員部屋の通路の掲示板には、「セクハラのカウンセリング」という見出しがあり、女性の隊員もいるので、掲示が義務づけられているという。「酒保」という聞き慣れない名札が付けられた場所があった。海軍時代の売店の名残りだという。軍艦「長門」に乗っていた父も、こうした場所に来たのだろうかと懐かしく感じた。隊員の訓練を兼ねた鹿島は、時々、皇室関係者の高覧があるという。その部屋は優雅で美しく、波間に千鳥が舞う模様の絨毯が敷かれていた。続く風呂場は、総檜作りであった。

 艦長室、操縦室、機関室、研修室、医務室、大食堂、その他覚えきれない数々の部屋の案内を受け、全長一四三メートルの艦内を行き来した。デッキの望遠鏡で一巡した半分は、摩天楼の下の活気であり、残り半分は、どこまでも続く青い海と空ばかりであった。軍艦「マンチェスター」のデッキを通って降りる時、艦上のヘリコプターのドアに女性のヌードの絵が描かれているのに気づいた。日本の海上自衛隊がこんなことをしたら、どうなるのだろうと思いつつ埠頭に降りた。

 航海に終着の港はあるのか。防衛という航海に終りはない。ニューヨーク港に停泊中のどの艦船も夏の祭典の最中、絵のように美しかった。防衛に揺れる祖国へと、帰航を続ける鹿島の使命を思う時、灰色の巨艦は、孤独な姿と化した。

●  うつくしいと思うは罪か艦上に挙手する男の指の先まで (NHK全国大会入賞)

●  艦長の椅子に坐りて笑む夫指揮する男の孤独の部屋に (朝日歌壇)


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