カナダへの旅

 アメリカ在住が二十年余になり、この国に自分の暮らしが定着している。旅行等で自国を離れ、国外に身を置くと、自分や自国を見つめるよい機会ともなる。昨年の夏、カナダ側のエリー湖を訪れた時の自然の美しさが忘れられず、今夏はヒューロン湖とオンタリオ湖の旅に出た。夫と車でカナダ国内を北上する’間、米国の車のナンバープレイトは殆ど見ることがなかった。アメリカの農場も広いが、カナダはさらに広い。サイロがそびえ、牛・馬が夏草を食む景色の中を北へ北へと進んだ。オンタリオ州の町に入ると、町名と人口を示した看板が歓迎をしてくれた。四、五千人の小さな町や古い町もあるが、どの町の中心部も花球のプランターが掛けられ、通りを飾っていた。カナダの夏は短いが、今を盛りとペチュニア等の色とりどりの花が、街燈の高さに吊るされぼんぼりのように続いていた。

●  ペチュニアの花球のしたを歩く時カナダににいても異邦人なる          

 人口四千五百人のエローラという町に立ち寄った時のことである。まず町の案内所で情報を得ようとパンフレットを見ていたら、“Tanabata”というグリーンティのカフェが開店した広告が目に入った。京都の茶道を受け継いでいるとあり、抹茶でも一服と思いその場所を訪ねて行ったが、隣の店主が、彼女の店は休業したことを教えてくれた。カナダの名も無い小さな町で、一体どんな日本人が、どのように生きてきたのかと、思いを巡らさずにはいられなかった。

 エローラから南へ一時間ほど車を走らせると、カナダに根付いたアーミッシュの農場が広がる。道路脇で夏野菜や花、自家製のパイ等を売っており、日本の地方の農家が、野菜等を売っている光景と重なって見えた。セント・ジェイコブズ(人口二万七千人)に入ると、観光地化された百余の店が並び、手芸、工芸、陶芸の工房も見ることができた。陶芸店に立ち寄った時、一隅のガラスケースの中の焼き物に興味を惹かれた。よく見ると、“Raku(ラク)・Ware(ウエア)”と書かれ、日本の楽焼きをオリジナルにした物と説明されていた。この町はロシアからの移民や、スイスからのアーミッシュの移民等が混ざり合っており、一体どのように楽焼きが伝来されたのがろうかと不思議な感動を覚えた。

●  楽焼きをカナダに伝えし民のあり名もなき町の工房(アトリエ)に寄る (朝日歌壇) 

 真っ青な湖、真緑の森林、広大な農場を後に、カナダ側のナイアガラ・フォールズ(瀑布)に来ると、ここは観光のメッカで家族連れや団体の人々であふれていた。大滝に驚く喚声を聞いていると、二十年近く前に子供たちを連れて、アメリカ側から滝を見た時の感動がよみがえってきた。その子たちは巣立ち、二人静かに滝を眺めていると、過ぎ去っていった歳月が、ひしひしといとおしく感じられた。これからも続く人生をアメリカでどのように乗り越えていくのか。轟音の滝と対峙しつつ、心は安らかであった。
 カナダへの旅は、アメリカの生活や文化と比較しながら、また、日本への思いを発見する旅でもあった。時に断ち切り難いほどの郷愁を呼び起こしたが、その郷愁に心が洗われもした。そして、明日への活力へと変換のできた豊かな時間であった。

●  検問に立ち入る兵の銃黒くテロ警戒の国に戻りぬ


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