フォレスト・グリーン

 

 五月から六月にかけては卒業期である。若者が夢と希望に満ちて巣立っていく季節だ。アパラチア山脈は幾重もの緑が波立ち、ノースキャロライナへと一路、車を走らす旅人を歓迎してくれた。午後四時といってもまだ日の高い五月の下旬、緑の木々のあふれるキャンパスの教会を目指して、集ってくる学生と家族の姿が見られた。教会内を圧倒するほどのパイプオルガンが力強く流れ、ヘンデルの「Largo」の曲に乗って、百人余のガウン姿の医学生がゆっくりと前へ進み始めた。ある者はおごそかに、ある者はにこやかに、家族や友人達が見守る中を指定席へと進んで行った。

 

 この式典は「Hooding Ceremony」と呼ばれ、卒業証書授与式の前日に催された。黒いガウンの上にフッドと呼ばれる、背に垂れる長い布をかけてもらう医学博士号取得者への伝統的な儀式である。法律、ビジネス、科学等各修士・博士課程により色は異なるが、メディカルスクールの卒業生は、フォレスト・グリーン(深緑色)で金の縁取りがある。また、黒いキャップに付けるふさも深緑色である。学長はスピーチの中で、このフッドは重責を担うシンボルであり、深緑は、医学を表す色であると述べた。人を癒す医の世界にふさわしい色と思った。

 

 その後、アルファベット順に一人一人の名が呼ばれ、教授陣が座っている壇上へと上が

って行った。家族たちは自分の息子や娘のその一瞬の機会を見逃さないようにと、デジタルカメラやコムコーダーを撮り続けた。七十三番目に我が子が呼ばれた時は、自分のことのように緊張したが、本人は落ち着いて教授と握手をし、フッドを受けた。今、その写真を改めて見直すと、彼ははるか遠い所を見つめている。彼の脳裏を走ったものは、筆舌では尽くし難い、二十万余の時間が去来したのではないだろうか。六歳で渡米し、英語もわからず、この国で成長した我が子の姿が、いくつもの映画のシーンのように私の脳裏を流れては去っていった。

 

学長と握手する手の白・黒・黄医師とる手よしなやかにあれ        

 式も終わりに近づき十行ほどの「医師の誓い」が、教授と卒業生によって読まれた。その中に「私は良心と尊厳をもって診療にあたります。」の誓いの文があり、正に医師としての神聖な自覚をこの言葉に感じた。学長から医学生にメッセージがあり、「あなた達には@診断A治療B安楽C介護の四つの任務がある。患者のために心を込め、全力を尽くして医の道を進んで欲しい。」と結んだ。

 最後にパイプオルガンが高く鳴り響き、ベートーベンの「歓喜の歌」が教会を圧倒した。あふれんばかりの拍手の中を、笑顔と希望に満ちたガウン姿の卒業生が退場して行った。トランペットは高らかに青空を突き、誕生したばかりの医師達の未来を祝福していた。四年前、全米(アジア・アフリカの出身も含む)各地から集まった若者は、ドクターの称号と共に、又、全米へと散っていった。

ミドルネーム無き名の呼ばれ壇上に医師となる子が卒業証書を受く (朝日歌壇)

戦のごと臨床の海を渡り終え青年ひとり犬とたわむる


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