温暖化問題とプロパガンダ

1960年代は化学工業の発展とともに工業公害が顕著になってきた時代である。その象徴的な公害が水俣病であった。原因の特定とその解決と終わりのない論争が続いたのである。ついに1968年にチッソのアセトアルデヒドの製造が中止になっている。最初の患者の発見から10年以上を要した。そうした中、国連が政治レベルで地球環境問題に初めて本格的に取り組み1972年6月、ストックホルムで国連人間環境会議が開催された。水俣病患者を診た医師の原田正純、環境学者の宇井純、水俣病患者らが出席している。

下図は先月(2022年、12月)、水俣病資料館を訪問した時の写真である。この資料館は、メチル水銀を含むヘドロの上を埋めたてた大きな公園内にある。そばの八代海は今は非常にきれいである。川向こうに現在のチッソ工場があり、細々と操業している。かっての企業城下町の面影はなく、新水俣駅、町ともひっそりとしている。

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Fig.1 水俣病資料館で展示パネルに見入る子供たち (2022年、12月)

国連人間環境会議ではモーリス・ストロングが議長を務め、人間環境宣言が採択された。また国連環境計画(UNEP)の発足が合意され、ストロングがUNEPの初代事務局長に選出される。人間環境宣言は、20年後に開催された地球サミットでの「環境と開発に関するリオ宣言」採択の基礎になっている。

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Fig.2 モーリス・ストロング (2010年)

ストロングは1929年カナダのマニトバ州で生まれた。1947年の18歳の時、国連で下働きをして以来国連とは長く関係していてカナダと行ったり来たりしている。貧しい家に生まれたもののオイル関連のエネルギービジネスに関わり成功した人である。カナダ開発庁の長官をつとめ、実業界と公職の両方で広範な経験をつんだ。

1970年代は氷河期が来るかも知れないと囁かれることもあったのだが、1980年代なると一転して温暖化の方に関心が持たれることとなる。そこでUNEPと国連の世界気象機関(WMO)が共同で1988年に気候変動に関する政府間パネル (IPCC)を設立した。こうした経緯でIPCCはUNEPを通してストロングの影響が大きく反映されることとなる。

ストロングは持続可能な生活のため、世界共同体が共有すべき価値観づくりに意欲を燃やしていた。地球サミット後、自ら「アース・カウンシル」というNGOを設立し、「地球憲章」(Earth Charter)作りにも精力を注いでいる。条約や国際機関の整備などだけでなく、人々の意識や行動そのものが変革されることが必要であるということから、行動規範の制定を求めてきた。地球憲章は2000年に決定されている。本文の1-4条を読むとその理想主義的な思いが伝わってくる。

  1. 地球と多様性に富んだすべての生命を尊重しよう。
  2. 理解と思いやり、愛情の念をもって、生命共同体を大切にしよう。
  3. 公正で、直接参加ができ、かつ持続可能で平和な民主社会を築こう。
  4. 地球の豊かさと美しさを、現在と未来の世代のために確保しよう。

地球の気温、気候変化の問題を環境問題と捉えてIPCCと言う国連組織の基に国際的に行動をしようとしたのである。CO2を元凶にした公害問題に準ずる対処法は IPCC の行動指針になっているようである。「地球温暖化を抑制するためには、CO2排出量を削減すべきだ」という結論ありきの姿勢は設立から35年経つ今も変わっていない。

しかし、下記のTIMEの1977年と2008年の表紙の変遷を見ると分かるように現在なお地球温暖化については原因を含めて科学的定説はない。水俣病などの公害は、原因物質の同定には曖昧な部分があったが、因果関係ははっきりしていた。一方、温暖化問題では地球温度とCO2との因果関係は不明である。以前にも述べたように温度変化の方がCO2変化よりも先行している。CO2変化で温度が変わるのは極めて疑問である。今の所CO2の変化は温暖化の原因ではなく結果である考えるのが妥当である。温暖化の問題とかっての公害問題とを同一に取り扱うことは注意せねばならない。科学的に解明できていないにもかかわらず、持続的な地球を目指し先を急ぐと必然的にプロパガンダが蔓延することになる。そして感情的な言葉の応酬になるのである。

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Fig.3 寒冷化と温暖化を警告するTIMEの表紙

グレタ・エルンマン・トゥーンベリ(Greta Ernman Thunberg)と言うスウェーデンの女性がいる。2003年1月生まれだから今年20歳である。ウィキペディアには、”15歳の時に「気候のための学校ストライキ」という看板を掲げ、より強い気候変動対策をスウェーデン議会の前で呼びかけを行ったことで名が知られるようになった”とある。以後メディアでの露出はひじょうに多いが、どこまで本人の自由意思による行動なのかは良くわからない。温暖化問題は科学の事象であり、感情論で片付く事柄ではない。グレタの感情的な行動は温暖化をCO2排出に結びつけようとするプロパガンダの一環ではないのかと言う気がしてくる。

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Fig.4 緩慢な気候変動対策をなじるグレタ

グレタのメディアでの露出を見ていると、ナイラ(Nayirah)と言う15歳の少女を思い出す。イラクによるクウェート侵攻の後、この少女が、イラク軍兵士がクウェートにおいて、新生児を死に至らしめていると1990年10月アメリカの議会で涙ながらに述べた(ref.)。この証言により、国際的に反イラク感情とイラクへの批判が高まり、湾岸戦争の引き金ともなった。しかし後に「ナイラ」なる女性は存在せず、クウェート・アメリカ政府の意を受けた反イラク扇動キャンペーンの一環であったことが判明した。今ではプロパガンダの一例としてしばしば採り上げられる。

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Fig.5  反イラク扇動キャンペーンとして利用されたナイラ

19 世紀に小氷河期を抜け出して少しずつ温度が上がっているようだが、それがどうしてなのかは依然として明確な科学的根拠はない。今日 (1/24/2023) の朝日新聞の声の蘭に次のような記事があった。

少子化の原因はお金の問題だけだろうか。私は31歳だが子どもを授かりたいと思っていない。明るい未来が保証されていないからだ。私が小学生の時から問題視されていた地球温暖化は、近年の水害の増加や酷暑でリアルに感じられるようになった。さらに世界規模でのウイルスの蔓延(まんえん)、国家間の戦争や核兵器による威嚇――

「地球温暖化は、近年の水害の増加や酷暑でリアルに感じられるようになった」と一般の人が言う。一方、多くの統計的データは異常気象の変化に有意差がないことを示す。こうした意見が出てくるのは、国連組織のIPCCやメディアによるプロパガンダが功を奏しているものと思われる。

1980年代は”地球温暖化”という語彙が使われていたのだが気が付くと”気候変動”、さらに最近は”異常気象”という語彙が溢れ出した。CO2と温暖化との関係については97%の科学者がCO2による人為的な温暖化に同意しているそうである。数値の出どころは全く不明である。結果的にCO2が異常気象を引き起こしているのだそうである。一気に科学を越えてしまっている。

CO2は地球環境にとり公害物質に成り下がってしまった。悪凶のCO2排出量は削減しなければならずそのためには化石燃料の使用を制限する必要があると説く。2011年の福島第一発電所の事故の後、将来の原子力発電はゼロにする方向であったのだが、いつのまにまた率先して利用して行くのだそうだ。地球環境問題と原発利用は矛盾がある。

むつ市、六ケ所村における使用済み核燃料の長期保管と再生計画は今も進展がみられない。地球環境と安全性確保のためには原子力の利用はあくまで最小限にすべきであろう。CO2排出量の削減をすべきというプロパガンダを短絡的に考えず、化石燃料の利用を冷静に考慮すべきであろう。

ここでは異常気象と温暖化の関連づけでプロパガンダの一例を取り上げる。カリフォルニアは地中海性気候で夏季は雨が少ない。秋は乾燥しているために、毎年山火事が頻発し大きなニュースになる。毎年繰り返される山火事も気候変動のせいだとメディアが騒ぎたてる。今では大統領のバイデンまでも山火事を減らすためにCO2を削減すべきだと言う。山火事が人為的に増え続けるCO2のせいなのかを確かめるためにWikipediaの統計データを拾ってみる。

6図は、燃えた面積は、現在は1930年代に比べて80%少ないことを示す。7図は他のデータである。この30年で3倍になったとある。6図のデータの後半部分に相当する。結論として、近年も発生している山火事が、CO2のために有意差の量で増えているとは言えない。

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Fig.6 全米の山火事で燃えた面積(エーカー)の合計

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Fig.7 他のデータによる全米の山火事で燃えた面積(エーカー)の合計。

溢れるプロパガンダに本質を見失くことなく冷静に考えて行きたいものである。そうすれば化石燃料、原子力エネルギーへの利用法も必然的に変わってくるはずである。エネルギー自給率の小さな我が国では、石炭を含めてエネルギーの多角化を目指しかつ安全性のために原子力エネルギーの利用は最小限にすべきであろう。電力料金が30%上がるかもしれない。危惧されたエネルギー貧困が現実になるのは避けなければいけない。結局は、CO2と地球温暖化の正しい科学的な解釈にかかっている。

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縄文時代は今よりかなり暖かだった

前回述べたように、およそ 7,000 年前から 5,000 年前の間は、第四紀の完新世 (Holocene) であり、暖かい時代であった。世界平均では、20 世紀半ばと比較しておそらく  0.5-2℃ 温暖だったと言われている。そして 5,000 年前から 3,500 年前にかけても温暖であり四大文明が栄えた。

この時期に日本でも北の青森、南北海道まで縄文文化が栄えた。それらの遺跡の一つである三内丸山遺跡へ、2022年12月18日に訪れた。ここは5,900~4,200年前の遺跡で、新青森駅から2.5㎞のところにある。その時は、ちょうど寒波の襲来で50㎝余りの積雪があった。当初は駅から歩くつもりだったが、雪のためバスで行くことにした。

この地に遺跡が存在することは江戸時代から既に知られていたが、本格的な調査は新しい県営野球場を建設する事前調査として1992年に開始された。その結果、県は既に着工していた野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定した。それから約30年経った 2021 年7月、三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、ユネスコの世界文化遺産へ登録された。

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Fig.1 三内丸山遺跡、縄文時遊館の入口

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Fig.2 三内丸山遺跡「ムラ」の外観

盛土と呼ばれるところがある。竪穴建物や大きな柱穴などを掘った時の残土、排土や灰、焼けた土、土器・石器などの生活廃棄物をすて、それが何度も繰り返されることによって周囲より高くなり、最終的には小山のようになったところである。土砂が水平に堆積しているので、整地されていたと考えられる。中から大量の土器・石器の他に、土偶やヒスイ、小型土器などまつりに関係する遺物がたくさん出土している (ref.)。

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Fig.3 盛土と保護するための覆い

盛土からは木の実と動物、特にクリが多く見つかっている。現在の三内丸山遺跡は海岸線から約4kmの距離がある。そこで海への漁は不便だったものと思われるが、温暖化のために海水面は現在よりも高く遺跡のかなり近くまで海が広がっていたものと推察される(縄文海進)。以下には海水面が6 m 高かった場合のシミュレーションの結果をWebから参照して示す。青い部分がその当時に予想される海の部分である。現在の市街地からかなり内部まで入り込んでいることがわかる。

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Fig.4 三内丸山遺跡の回り(現在の青森市)の縄文海進のシミュレーション例

下の写真は、地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡です。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていた。地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残っていた。6本柱で長方形の大型高床建物と考えられる(ref.)。

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Fig.5(a),(b) 大型掘立柱建物の柱の跡と復元物
上記写真のホースは、しみ出て来る水を排水するためである。

さらに以下に大型復元建物の写真を示す。

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Fig.6 大型竪穴復元建物の内部
柱は防食のために表面は焦がしていたという。

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Fig.7 掘立柱復元建物
食料を保存するために使われたという。動物から
守るためにハシゴを取り外せるようになっている。

このムラの跡を見ていると、三内丸山遺跡が縄文時代前期から中期の遺跡で日本最大級の集落跡であることが良くわかる。縄文時代前期、中期の日本列島は今よりもかなり暖かく、南北海道、北の青森まで縄文文明が栄えていたのである。海水面は今よりも高くて、現在の陸地の内部まで海が入り込んでいた。森の食料に加えて海の食料が豊富に得られたのだろうと思う。

暖かった縄文時代の遺跡は東日本に多く分布する。これに対して、弥生時代は、縄文時代より気候が冷涼で、遺跡は東海地方以西の西日本に多く分布している。そして海岸線は大幅に後退し、平野が広がった。

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気候変動と自然変動 – アメリカの実例から

7,000 年前から 5,000 年前の間は、第四紀の完新世 (Holocene) で暖かい時代だった。そして 5,000 年前から 3,500 年前にかけての温暖な時代に四大文明が栄えた。青森の三内丸山遺跡もこの時代に相当する。以後、温度が徐々に下がり、小氷期が 3,000 年前に始まった。西暦 0 年、1,000 年前後の温暖期を挟んで、小氷期は1700 年代半ばに終了し、現代の温暖期が始まる。

アラスカの州都ジュノーから北北西 20 kmのところにメンデンホール氷河 (Mendenhall Glacier) がある。このあたりは、西から吹きつける湿った大気のせいで降雨量の多いところである。私が訪れた 8月の時も雨模様のどんよりした日であった。林の木々も苔むしている。冬には多くの雪が降る。北部のジュノー氷原の積雪となりメンデンホール氷河に供給される。小氷期が終わった1700 年代半ばの時点で、メンデンホール氷河は最大の前進点に達し、その終点は現在の位置から 4 km下ったところにあった。メンデンホール氷河は 1700 年代半ばに後退し始め、氷河のかっての先端は今、湖になっている。展望台にはこの先端の後退を記した説明図がある。

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Fig.1 ジュノーから20 kmのところにあるメンデンホール氷河 (8/2/2014)

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Fig.2 上記氷河湖から流れる川下に遡って来た紅鮭 (8/2/2014)

下図は200年以上にわたる後退の様子である。終点は 20 世紀に 3 km 後退し、氷河の下部は 1909 年以降 200 m 以上薄くなっている。1948 年から 2000 年までの氷河全体の体積損失は 5.5 km3 と推定されている。CO2の濃度上昇が顕著になる前の1700年半ばから氷河の後退は始まっている。氷河の後退は、CO2による影響というより自然サイクルによる現代の温暖期への移行のためだと考えられる。

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Fig.3 200年以上にわたるメンデンホール氷河の後退。中央の数字は氷河の先端とその年代。

次に、古代のプレート移動による気候変動の例である。アリゾナ州北東部に化石の森国立公園(Petrified Forest National Park)がある。現在ここは砂漠地帯である。三畳紀は、現在から約2億5190万年前に始まり、約2億130万年前まで続き、最初の哺乳類が現れた時代である。三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されていた (plate tectonics)。

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Fig.4 考えられる三畳紀末の超大陸パンゲア

三畳紀後期において、この砂漠地帯は熱帯に位置し、乾季と雨季があった。約2億年前、大規模な噴火による地球寒冷化が起きたと言われている。非常に大きな気候変動である。三畳紀末、林の木々は火山灰を含む砂の層に周期的に埋められた。埋められた木が火山灰の中で化石化し、二酸化珪素に変わり、鉄とマンガンの酸化物で着色された。

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Fig.5 木が化石化した石の景観 (10/25/2021)

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Fig.6 化石の森国立公園の景観 (10/25/2021)

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Fig.7 化石の森国立公園の景観を下から仰ぐ (10/25/2021)

次は、隕石などの地球外の物体と衝突した場合の変動例である。化石の森国立公園から西へ約 120 km のところにメテオ・クレーター (Meteor Crater or Barringer Crater)がある。昔、ソルトレークからフェニックスへ行く時にも飛行機から見たことがある。パイロットが眼下にクレーターが見えるとアナウンスしたものである。今から約50,000年前に地球に衝突した隕石によって形成されたクレーターであり、直径約1.2キロメートル、深さ200メートルである。クレーターを形成した隕石が衝突した時代、この地は現在よりも寒冷湿潤な気候であり、マンモスが生息する草原地帯であったという。衝突後、地球の気候を変動させるまでには至らなかった。

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Fig.8 直径1.2キロメートルのメテオ・クレーター (10/25/2021)

プレート変動は必ずしも古代の話ではない。ハワイ諸島はプレート変動により西北西へ10cm/year の速度で現在まさに動いている。それに伴い火山からの噴出物は、諸島の東側に堆積することになる。現在の諸島は約500万年かけて作られた。諸島の一番東に位置するハワイ島は、一番新しい島で300,000 年経つ。

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Fig.9 ハワイ諸島は西北西へ10cm/year の速度で動いている

ハワイ島には5つの火山があり、西のコハラ山地 (Kohala) が最も古く現在も活動中の南東部に位置するキラウエア (Kilauea) 火山が最も新しい。堆積物により島そのものも、少しずつ大きくなっている。溶岩の粘度が低いので山の裾野はなだらかである。

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Fig.10 ハワイ島の5つの火山、東の火山ほど新しい

私が降り立ったコナ (Kona) の飛行場は写真に示すように溶岩石の中に作られている。右端に滑走路が見える。この辺りの溶岩は、コナの東にある1801年のフアラライ山 (Hualalai) 火山の噴火によるものである。火山が貿易風を遮るので、島の東側は雨が多く西側のこの辺は雨が少ない。溶岩の土地と少雨で緑が限られる。島の中腹に広がるコーヒープランテーションは、一年を通じて乾燥したやや冷涼な温度を利用している。有名なコナコーヒーは、ブルーマウンテンに次いで高価である。

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Fig.11 コナ飛行場(右側)付近は溶岩でできた土地が広がる (12/10/2019)

一番高い山は、マウナケア(Mauna Kea) であり海抜 4205 mである。2019年に訪れた時は、道路が封鎖されていて頂上まで行くことはできなかった。マウナケア山頂の30メートルの天文台の建設に抗議する人々により、道路が封鎖されていたからである。彼らはマウナケアを聖地とみなしている。マウナケアから南側に、マウナロア (Mauna Loa,4169 m) が見える。地球で最も体積の大きい山でもある。堆積物は、ハワイ島の半分を占める。ここには、アメリカ海洋大気庁(NOAA)に所属するマウナロア観測所がある。1957年から温室効果ガスなどの変化を長期的に観測している。

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Fig.12 ハワイで一番高いマウナケア火山の方向を望む (12/12/2019)

キラウエア火山を訪れた時は、所々蒸気を噴出している以外は、静かであった。2018年の4ヶ月半にわたる噴火で外輪山が倍以上になったという。ハワイの火山は溶岩の粘度が低く、爆発性ではないので気候変動に至るようなことはない。

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Fig.13 キラウェア火山のカルデラ (12/13/2019)

島の南部に、プナルウ黒砂海岸がある。黒い溶岩石と砂で覆われた海岸である。玄武岩でできた溶岩が海水で急冷されてできたという。もう少し南に行ったところが USA の最南端である。ハワイ諸島では、green turtle と呼ばれる中型の海亀が見られる。絶滅危惧種に指定されていて、3メートル以内に近づいたり、触ったりすることは禁じられている。

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Fig.14 ハワイ島南部のプナルウ黒砂海岸で (12/15/2019)

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現代の温暖期は気候最適期

恐竜の時代は手が届きそうにない遠い昔だが、人類が出現した頃となるとどういう時代だったのか考えてみても良さそうである。その時代は第四紀(Quaternary period)と呼ばれる。258 万 8000 年前から現在までの期間で、人類の時代という意味で決められた。ヒト属の出現を基準とし、地質層序や気候変動を併用して決定している。第四紀は、氷河時代とも呼ばれるように気候は寒冷になり、約 70 万年前からは大陸氷河は約 10 万年ごとに拡大縮小を繰り返してきた。氷河期にはヨ-ロッパや北米の大半は厚い氷床に覆われていた。

下図で示すように、北米はローレンタイド氷床 (Laurentide Ice Sheet) で覆われていて、厚さが 2,400–3,000 m のところもあった。以前住んでいたコロンバスはローレンタイド氷床の南端に位置する。コロンバス郊外に氷河公園 (Glacier Ridge Park) と名付けられた所がある。14,000 年前は、氷床で覆われていたという名前の由来の説明書きがある。

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Fig. 1 第四紀のローレンタイド氷床

下はこの公園で日の出を撮った写真である。このブログのタイトル写真も公園内での一コマである。

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Fig.2  コロンバス近郊に Glacier Ridge という公園がある。14,000 年前の氷河期にはこの辺りまで氷床で覆われていた。(9/16/2019)

ベーリング海の名前で知られる、デンマーク生まれのロシアの探検家ベーリング (Vitus Bering) は、ユーラシア大陸とアラスカが陸続きではないことを発見した。ジュノーからアンカレッジの間にベーリング氷河という北米で一番大きい氷河がある。その氷河の端には氷河湖が形成されヴィタス湖と名付けられている。氷河と湖の名はベーリング (Vitus Bering) に因んでいる。

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Fig.3  ジュノーからアンカレッジの間の上空から見えたベーリング氷河と太平洋岸で形成する氷河湖のヴィタス湖  (9/11/2021)

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Fig.4  ベーリング氷河と氷河湖のヴィタス湖の位置

氷河湖のヴィタス湖と同様にローレンタイド氷床の外側には、かって北米大陸北半分の中央に巨大な氷河湖があった。発見者に因んでアガシ― (Agassiz) 湖と名付けられている。最終氷期末に氷が溶けた水が溜められ、現在の五大湖を合わせたよりも広く、また現在世界にある湖水を合わせたよりも多くの水を湛えていたときがあった。氷床が分解すると、その前線に融解水でできた巨大な氷河前縁湖を形成した。最終的には四つの川から水が流れ出し干上がった。

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Fig.5 かって存在した北米大陸のアガシ―湖

第四紀の後半、約 18,000 年前以降温暖化が進み、現在は間氷期にあたる。およそ 7,000 年前から 5,000 年前の間は、第四紀の完新世 (Holocene) であり、暖かい時代であった。気候最温暖期または気候最適期(climatic optimum)と呼ばれている。北極付近では 4℃ 以上上昇した。年平均気温の変化は緯度が高いほど顕著に現れ、基本的に低・中緯度ではあまり変化が無かった。世界平均では、おそらく 20 世紀半ばと比較して 0.5-2℃ 温暖だったと言われている。そして 5,000 年前から 3,500 年前にかけての温暖な時代に四大文明が栄えた。温暖な状態が続いた後は 2,000 年前位までにかけて徐々に気温が低下していった。

以後、西暦 0 年、1,000 年前後の温暖期を経て現代の温暖期を向かえている。現代の温暖期は完新世より気温がやや低いものの、気候最適期と考えられる。気候変動の移り変わりを冷静に考えて、必要非常に不安を煽るべきではないと思われるのだが。

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Fig.6  クルーズ船から撮ったアラスカの氷河 (Glacier Bay National Park, 8/4/2014)

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気候変動に及ぼす主な自然変動

これまでのブログで地球の温度が変化し、その結果 CO2 が変わると言うことを述べてきた。現代の地球の温度は、CO2 の影響ではなく自然のサイクルで変わっているという主張である。そして、自然サイクルについて分かっていることをまとめようとすると、詳細について我々はまだまだ解明できていないことに気がつく。

気候変動とは地球表面のエネルギーが変動することであり、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの変動に密接に関係している。また太陽エネルギーを受け取る側の地球の公転、自転の変動も関わってくる。地球は水の惑星であり、水は比熱、熱容量とも地球上では圧倒的に大きい。海は非常に大きなエネルギーを蓄えていて、表面、上下の方向へゆっくりと動いている。海が気候変動に大きく関わっていることは間違いない。

以下では、太陽の変動、地球の変動、海の変動について重要と思われることをまとめてみた。さらに、それら以外で最も影響の大きい火山の噴火について触れてみる。

1. 太陽の変動

太陽周期活動 – 太陽の活動が活発になると黒点の数は増える。そして黒点の数は 11 年周期で変動する。ある周期と次の周期では、先行黒点と後行黒点の磁場極性や極磁場の極性の反転があり、この効果も考えると周期は 22 年になる。11 年周期の変動と地球温度の変化には相関がみられる。11年周期は太陽の活動が大きいとやや短くなり逆に小さくなるとやや長くなる。下図は、その変動周期と北半球の平均気温変化を比べたものである。

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Fig.1 太陽黒点数の変動周期と北半球の平均気温変化

太陽磁場とそれに伴って、地球磁場が変わると地球に到達する宇宙線の量が変化する。そして、宇宙線の量と雲の量には相関があることが見いだされている。雲の量が変われば温度も変わる。

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Fig.2 黒点数(黒)と宇宙線量(灰)の変動

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Fig.3 低層雲量(青)と宇宙線量(赤)

太陽の極小期と極大期 – 通常より弱いいくつかの太陽サイクルが数 10 年あるいは 100 年間重なると極小期として知られる現象が起きることがある。この極小期が過去 11,000 年の間 25 回起きた。最近の良く知られた例が、1645 年と1715年の間に太陽黒点が消失したマウンダー極小期である。日本では、マウンダー極小期に、享保、天明、天保の三大飢饉が起きた。下表で示すように、ローマ温暖期、中世温暖期さらに現代の温暖期は極大期に関連している。

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Fig.4 太陽黒点の変化

 Table 1. 太陽の極小期と極大期とおよその時代

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2. 地球の変動

地球公転軌道離心率の周期的変化(下図右)、自転軸の歳差運動(下図中央)、自転軸の傾きの周期的変化(下図左)という 3 つの要因により、日射量が変動する。氷期と間氷期といった気候変動には 2.3 万年、4.1 万年、10 万年の周期変動が認められていて、ミランコヴィッチサイクルとして知られる。

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Fig.5 地球の公転軌道、自転軸の歳差運動、自転軸の傾き

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Fig.6 ミランコビッチの肖像がデザインされているセルビアの2000ディナール紙幣

3. 海の変動

エルニーニョ現象 (ENSO: El Niño-Southern Oscillation) とは、太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年より高くなり、その状態が1年程度続く。逆に、同じ海域で海面水温が平年より低い状態が続く現象はラニーニャ現象と呼ばれ、それぞれ数年おきに発生する。

太平洋の熱帯域では、貿易風と呼ばれる東風が常に吹いているため、海面付近の暖かい海水が太平洋の西側に吹き寄せられている。西部のインドネシア近海では海面下数百メートルまでの表層に暖かい海水が蓄積し、東部の南米沖では、この東風と地球の自転の効果によって深いところから冷たい海水が海面近くに湧き上っている。このため、海面水温は太平洋赤道域の西部で高く、東部で低くなっている。

ラニーニャ現象が発生している時には、東風が平常時よりも強くなり、西部に暖かい海水がより厚く蓄積する一方、東部では冷たい水の湧き上がりが平常時より強くなる。このため、太平洋赤道域の中部から東部では、海面水温が平常時よりも低くなる(気象庁)。

1997–1998 年のエルニーニョと 1998–1999 年のラニーニャは近年では最も大きな ENSO 現象のひとつであった。下図は人工衛星による温度変化のデータ(UAH)である。1997–1998 年のエルニーニョは ③ であって記録的な高温であった。さらに ⑥ がエルニーニョ、②、④、⑤、⑦ がラニーニャである。Fig.8 のエルニーニョ(赤)とラニーニャ(青)の発生時期と対比できる。“4.火山の噴火”で述べるように ① はピナツボ火山による影響で温度が下がった時である。

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Fig.7 人工衛星による温度変化(UAH)

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Fig.8 エルニーニョ(赤)とラニーニャ(青) の発生時期(気象庁)

地球規模の「全球規模熱塩循環流」が知られている。全球規模熱塩循環流とは、メキシコ湾流により熱帯・亜熱帯域から運ばれてきた温かい海水が、グリーンランド海とその南西にあるラブラドル海で冷やされて沈みこみ、海底をはうように大西洋を南下し、南極周辺の海でできた深層水と合流したのちに、インド洋や太平洋へと流れわきあがる循環である。

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Fig.9 大西洋を起源とする全球規模の熱塩循環流

その循環のうち、大西洋だけで循環する流れを「大西洋熱塩循環流」と呼ぶ。 莫大な熱を運ぶため気候に大きな影響をおよぼすほか、「大西洋数十年規模振動」のメカニズムの基盤だと考えられている。大西洋数十年規模振動とは30~40年おきに寒冷化と温暖化をくり返す現象である。「北大西洋振動」(NAO: North Atlantic Oscillation)にも関係する。北大西洋アイスランド低気圧アゾレス高気圧の間で、気圧が伴って変動する現象である。ヨーロッパや北アメリカの気候に影響をおよぼす。

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Fig.10 冬のグリーンランド海と北大西洋振動の関係

4. 火山の噴火

A.D.539 年または 540 年に、エルサルバドルのイロパンゴ火山 (Ilopango volcano) が噴火して、その噴煙は成層圏まで達したと言われる。世界中で冷夏、干ばつ、飢饉に加えてペストが蔓延し、およそ 20 年にわたって約 2℃ 温度が下がったと言う。

1991年 6月15日、フィリピンのピナツボ火山 (Mount Pinatubo) が噴火した。20 世紀では、1912 年のアラスカのノバルプタ (Novarupta) 火山の噴火に次いで大きいものであった。硫酸エアロゾルを成層圏まで放出し、Fig.7 のグラフ上の ① で示すように15か月にわたり 0.6 ℃ 温度が下がった。

fig-11
Fig.11 フィリピンのピナツボ火山の噴火

下図は大気の CO2 分析結果である。1991 年のピナツボ火山の噴火の時、15か月にわたり 0.6 ℃ 温度が下がった。それに応じて CO2 の上昇曲線がやや鈍化している。一方、1997–1998 年のエルニーニョの時は温度が上昇した。温度の変化に呼応して CO2 の曲線がやや上向きである。地球の温度が変化し、その結果CO2が変化することを裏づける。

fig-12
Fig.12 NOAAによる CO2 濃度分析値の変化

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現代の温暖期の整理 – CO2 濃度変化は原因ではなく結果である

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産業革命以降、人為的な CO2 の排出量が増えてきた。19 世紀後半になると、小氷河期が終わり少しずつ温暖化が始まった。気温上昇とともに自然界の CO2 の排出も徐々に増えてきた。炭素バランスによると、自然界の CO2 排出量が圧倒的に多く、人為的な CO2 排出量は 5 % 以下に過ぎない。CO2 のバランスは、人為的排出と自然の排出からなる排出プロセスと、吸収プロセスからなる。大気のプロセスを解析すると、自然界の正味の CO2 年間排出量は温度変化により決められる。また吸収プロセスは、CO2 濃度に比例する一次速度式になる。産業革命以前の CO2 濃度は 280 ppm だったが、2020 年の CO2 濃度は 130 ppm 増えて 410 ppm である。解析によると、増加分 130 ppm のうち、18 ppm (14%) が人為的な増加分、そして 112 ppm (86%) が自然の CO2 増加分である。さらに、温度の変化が CO2 濃度の変化より 10 ヶ月先行する。IPCC および多くの人々が、燃料の燃焼などによる人為的な CO2 排出が温暖化の原因だと主張する。しかし、事実と解析結果は、逆に温度が先行し CO2 は温暖化の原因ではなく、結果だということを意味する。CO2 の濃度上昇は、我々にとり害ではなくむしろ利益をもたらす。地球の歴史で辿れる過去数 10 万年において、温暖化および寒冷化は自然サイクルであった。現代の温暖期もその例外ではない。

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次の講演と論文で見るように Murry SalbyHermann Harde が、大気中の CO2 Kinetics について先駆的な研究を行った。彼らの研究を中心に整理していく。

1)  M. Salby, https://www.youtube.com/watch?v=HeCqcKYj9Oc 2013
2)  M. Salby, https://youtu.be/3q-M_uYkpT0 2016
3) H. Harde, Global and Planetary Change 19, 152, 2017
4) H. Harde, Earth Sciences 1, 8(3), 2019

大気温度は、大気ガスの運動エネルギーで決まる。その関係は基本的な分子運動論から (1) 式のように導かれる。地球表面から反射した赤外線により、大気温度が上昇するためには、下図のように赤外線で励起した赤外活性分子 (H2O と CO2) と大気分子 (N2 と O2) が衝突してエネルギーを交換する必要がある。励起した赤外活性分子が再び赤外線を放出して基底状態に戻るプロセスも考えられる。しかしこのプロセスでは、大気ガスの運動エネルギーは変わらないので大気温度は変わらない。

kT = 3/2・mv2                                     (1)
(k = ボルツマン定数、T = 温度、m = 分子の質量、v = 分子の速度)

fig-1
Fig.1 赤外線吸収した H2O と N2 分子との衝突

赤外活性分子である H2O と CO2 は温室効果ガスである。濃度は、H2O が数 % であり 400ppm の CO2 より二桁大きい。分子当たりの赤外線の吸収は CO2 の方が大きいが、大気全体としては H2O の方がはるかに大きい。大気温度は、空気中の H2O ガスによりコントロールされるとも言える。

IPCC による地球上の炭素バランスから、化石燃料の燃焼により排出する CO2 はわずか 5% 以下である。残り 95% 以上は自然サイクルで排出した CO2 である。

fig-2
Fig.2  自然による CO2 と人為的な CO2 排出量の割合(%)

fig-3
Fig.3  地球上の炭素バランス  (by IPCC)

自然の CO2 排出は温度依存性がある。これは、下図で示すように自然の CO2  排出の速度変化(便宜的には年ごとの CO2 の変化量)と表面状態との間に良い関係があることから確認できる。表面状態は温度と湿度で決まる。温度だけでも 0.8 以上の相関関係、湿度を考慮すると 0.9 以上の相関関係がある。すなわち、自然の CO2 排出量は温度により決まる。自然の CO2 排出は温度により変わり、人為的 CO2 の排出量を凌駕する量である。

fig-4
Fig.4  正味の CO2 排出量と温度との相関 (by Salby)

全CO2排出量の 95% 以上を占める自然の CO2 は温度で決まり、下図で示すように CO2 濃度の変化が温度変化より遅れて変化する。氷床コアサンプルを解析した結果では、温度が先に変化して約 1,000 年後に CO2 濃度が変化した。大気の分析結果では、温度が先に変化して約 10 か月後に CO2 濃度が変化する。氷床コアサンプルと大気サンプルの時間のずれの違いは、ガスと固体中における CO2 の拡散と混合過程の差と考えられる。

fig-5
Fig.5  CO2 濃度 (green) と地表 (HadCRUT3; red) および海面表面 (HadSST2; blue) の温度の変化 (Ole Humlum et. al. Global and Planetary Change 51, 100, 2013)。

自然の CO2 の排出速度と吸収速度は、簡単な物理化学のプロセスで近似的に解析できる。それらのプロセスが、CO2 の濃度変化の経時変化を決める。自然の CO2 の排出速度と吸収速度は、CO2 発生源の濃度また大気中の CO2 濃度に比例する。例えば、自然の CO2 の吸収速度は典型的な一次速度式で表される。

     eq-2         (2)

           eq-3      (3)

k は定数であり逆数が滞留時間 τ である。C0  は初期の CO2 濃度である。この式は、14C の吸収速度の結果から確かめられた。自然の CO2 の排出速度と吸収速度は温度により変わるので、CO2 の滞留時間も厳密には温度依存性がある。この場合の滞留時間は 8.6 年だった。

fig-6
Fig.6  1963 年以降の大気中の 14CO2 濃度の減少変化 (by Salby)

CO2 の自然プロセスでは (2) 式に CO2 の排出プロセスが加わる。従って、

   eq-4             (4)

eq-5(5)

eN, eA はそれぞれ自然の CO2, 人為的な CO2 濃度変化量 (ppm/yr) である。数値計算の実例は上記論文の 3) などを参照できる。産業革命以前の濃度は280ppm だったが、2020 年の CO2 濃度は 130ppm 増えて 410ppm であった。(5) 式の解析によると、増加分 130ppm のうち、18ppm (14%) が人為的な増加分、そして 112ppm (86%) が自然の CO2 増加分である。下図に示すように、IPCC の解釈では増加分 130ppm の全てが人為的な増加分となっている。

fig-7
Fig.7  自然の CO2 濃度 (ppm) と人為的 CO2 濃度 (ppm) の比較 (2020 年)

氷河期においては、温度が大きく変わってもCO2濃度は 200-280ppm の間で余り変化しなかった。現在を含めて両者の間に規則的な関係はあるのだろうか。上記の論文 3) によると、氷河期以降の温度と CO2 濃度の関係は、下図に示すように表される。温度が 15℃ 以上では、CO2 濃度の温度依存性が大きいことを示す。例えば朽ちた植物などの分解速度が 15℃ 以上でより活発になり CO2 排出量が増えるのかもしれない。因みに、この曲線はカーブフィッティングで (6) 式のように表される。

fig-8
Fig.8  氷河期以来の CO2 濃度と温度の関係

eq-6  (6)

ここで Cco2,G 、TE、 TG  はそれぞれ氷河期の CO2 濃度、温度、氷河期の温度で、χ γ はパラメータである。現在は氷河期に比べると、温度の少しの変化で CO2 濃度が大きく変わることを示す。

以上、科学的事実と解析結果は、温度変化が先行し CO2 は温暖化の原因ではなく、結果だということを意味する。CO2 の濃度上昇は、植物の生育にとり有益であり、我々にとり害ではなくむしろ利益をもたらす。地球の歴史で辿れる過去数 10 万年において、温暖化および寒冷化は自然サイクルであった。現代の温暖期もその例外ではない。産業革命以後、小氷河期を抜け出し自然サイクルとしての温暖化が始まったものと解釈できる。

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CO2 変化より先行する温度変化

大気温度の上昇が CO2 の放出を促すThermally-induced CO2とも言う。人間活動を含む環境では、CO2 のバランスは自然界の放出と吸収で決まり、そこに人為的な放出が加わる。温度が上がると、温度に依存する CO2 の放出が増える。この放出は、自然界のあらゆるプロセスを含む。海からの CO2 の放出、生物体の分解、地面からの放出、生物体の呼吸などである。

太古のアイスコアの分析データは大気温度の変化が CO2 の変化より 1000 年程度先行することを示す。しかし、IPCC 初め多くの人は逆に CO2 の増加が温度上昇の原因であると考える。以下、温度変化と CO2 変化の相関に関して、注目に値する下記の論文からまとめる。

Ole Humlum, Kjell Stordahl, Jan-Erik Solheim
Global and Planetary Change 51, 100, 2013

この論文では、よく知られているデータセットで、1980 年 1 月から 2011 年 12 月までの期間の CO2 と温度との位相関係を調べている。解析されたデータは下記のようである。

全球的に平均化されたよく混合された海洋境界層 CO2
Global monthly CO2 data (NOAA), USA
HadCRUT3 地表気温
the University of East Anglia and the Hadley Centre, UK
GISS 表面気温
the Goddard Institute for Space Studies, USA
NCDC 表面気温
the National Climatic Data Center (NCDC), USA
HadSST2 海面表面温度
the University of East Anglia and the Hadley Centre, UK
UAH 下部対流圏温度
the University of Alabama (UAH), Huntsville, USA

下図は、CO2 濃度と地表および海面表面温度の変化の例である。図の中に例示されているように、解析にあたり12か月の平均値が比べられた。

fig-1
Fig.1 CO2 濃度と地表および海面表面温度の変化

fig-2a
fig-2b
Fig. 2. CO2 濃度(green)と地表(HadCRUT3; red)および海面表面(HadSST2; blue)の温度の変化。上図は月々の比較。下図は12か月平均の比較。

全てのデータセットに相関関係が見られた。CO2 の変化が常に気温の変化に 11 ~ 12 か月遅れていたのが確認された。

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大気中のCO2の放出、吸収の速度論

Salbyの講演を辿りながら現在と将来の COの変化を整理していく。なお、大気科学ではモル比(およその濃度を表す)の代わりに次式で定義される mixing ratio が使われる。

 eq-1            (1)

彼の講演においても COの濃度の代わりに mixing ratio という用語および r が使用されている。

COの収支は放出と吸収のバランスで決まる。下に示す IPCC の炭素バランスから人為起源の CO2 (anthropogenic CO2) は  5 GtC/yr、そして自然界で放出、吸収される CO2 は  150 GtC/yr である。これらの収支で決まる量がCOの増減速度である。

fig-1
Fig.1 CO2バランス(Salby の講演スライドから)

従って、

fig-2      (2)
Fig.2 CO2サイクルにより決まる炭素バランス(講演スライドより)

人為的 CO2(SourceHuman) の放出は自然放出の CO2(ΣSources) より小さいので無視できる。さらに、今まで整理してきたように自然放出の COは温度で決まる (thermally-induced CO2) ので E(T) と表す。吸収プロセスは COの濃度に依存するので A(r) と表す。テイラー展開の第一項で近似すると (3) 式のようになる。吸収プロセスは CO濃度の一次速度式で、定数 α は、COの大気中での滞留時間 τ (α = 1/τ) と関係づけられる。

fig-3
Fig.3 CO2  濃度の上昇速度(講演スライドより)

          eq-3        (3)

COの滞留時間 τ は上記の IPCC の炭素バランスからおよそ

τ = (CO2 hold up in air) / (net absorption rate of CO2)
= 750 GtC・y-1 / 150 GtC・y-1
= 5 years                                     (4)

となる。あるいは相互相関関数からも決められ   年である。

14C は 5000 年以上の半減期を持つ放射性炭素である。大気圏上層で、宇宙線の二次中性子と窒素の反応によって生成され、地球圏の炭素サイクルにわずかに組み込まれる。生成された 14C は大気中で酸素原子と反応し、14COを生成する。14COは放射性炭素年代測定でも利用される。

東京オリンピックのちょうど1年前の 1963 年 10 月 10 日に部分的核実験禁止条約 (NTBT: Nuclear Test Ban Treaty) が発効した。地下を除く大気圏内、宇宙空間および水中における核爆発を伴う実験が禁止された。それまで、核実験の影響で人工の 14COが大気中に放出されていたが、この条約以降それが止まった。1963 年に存在度がピークだった 14CO2  は、以後自然界に吸収されていく。この吸収プロセスを解析して COの滞留時間 τ が正確に求められる。結果は下図のように指数関数に沿って 14COが減っていき、滞留時間τは 8.6 年と求められた。

fig-4
Fig.4 大気中の 14COの減少変化(講演スライドより)

人為的な COの放出と吸収のプロセスについても上記の全プロセスと同様に考えられる。2002 年以前は、人為的な放出速度の変化は小さいので放出量を一定の EA0とみなすと、その期間の CO2 の濃度 rA は  EA0 で表される。従って

rA = EA0 = 3.5/(1/8.6) ≒ 30                        (5)

である。(下図を参照)

fig-5
Fig.5 人為的 COの濃度変化(講演スライドより)

fig-6
Fig.6人為的 COの濃度変化の解析(講演スライドより)

2002 年以降、人為的な CO2 放出量は増えて行き、過渡的な吸収プロセスの後、平衡状態になる。COの滞留時間が 8.6 年なので、放出プロセスだけの場合に比べて8.6年遅れて同じ過程を辿る。これはたとえば、化石燃料の燃焼による人為的な排出量が変わっても、CO2濃 度はすぐには応答せず約 10 年遅れて変化することを意味する。

上図を 2007 年での COバランスで例示すると下図で示すようになる。緑の点が全 CO濃度、青の点が自然界の CO濃度、実線が熱で放出した CO2であり、グレーはその誤差範囲である。人為的な COの割合は 28% である

fig-7
Fig.7人為的 COと自然サイクルの CO濃度割合(講演スライドより)

2014 年に人為的な COの排出を全てゼロにしても少なくとも約 10 年は COの濃度はそのまま上昇する。人口増加が続く限りさらに継続するものと思われる。

fig-8
Fig.8人為的 COとを停止した時の CO濃度変化(講演スライドより)

また人為的な COが、1960 年から 2014 年までの COの増加分の 50% まで上昇するのは 2092 年で約 80 年後である。

fig-9
Fig.9人為的な COが、COの増加分の 50% まで上昇する時の変化(講演スライドより)

燃料の R/P は石炭がおよそ 100 年、天然ガス、石油がおよそ 50 年である。そこで、50 年後に燃料の消費量が半分になるものとすると、将来の CO増加を 2014 年の時の CO増加分の 50% に抑えることは不可能ということになる。

fig-10
Fig.10人為的な COを、半分にした時の CO変化(講演スライドより)

以上まとめると、

  1. COサイクルは人為的な COと自然の COとからなり、人為的な COは5% 以下である。
  2. COの滞留時間は 5-10 年であり、この値をもとに放出と吸収のプロセスを解析できる。
  3. 人為的な COの排出量をゼロにしても約 10 年は COの濃度が現状のまま上昇する。
  4. 人為的な COが、COの増加分の 50% まで上昇するのは約 80 年後である。
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自然放出と人為放出のCO2

温度と CO2 の相関関係を考える上で、大きな誤解があるものと思われる。 CO2 の発生源についてである。今も増え続けている CO2 は、その全てが燃料を燃やして発生した人為起源の CO2 (anthropogenic CO2) だけではない。これまで述べてきたことを整理すると次のようになる。

  1. 炭素サイクルの質量バランスにおいて人為起源の CO2 は 5% 以下である。
  2. 人為起源以外の 95% 以上の CO2 が自然サイクルに関連する。
  3. 温度と CO2 濃度には相関があるが、温度変化が先行する。
  4. 温度変化は CO2 の正味の変化(たとえば一年ごとの濃度の増減)と良い関係がある。
  5. 温度が上昇すると自然サイクルによる CO2 の放出が増える。

これらの事実に基づくと、人為起源の CO2 が地球を温暖化しているということは誤りになる。地球上には下の写真で示すように動植物で溢れる。最初の写真は昨年訪れたアリゾナ、フェニックス近郊のサボテン公園、そして次の写真は多くのカナダ雁が凍った川面で休んでいるところである。

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Fig.1 Cactus Park in Scottsdale, AZ (10/28/2021)

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Fig.2 凍った川の水面で羽を休めるCanadian Geese (2/24/2015)

これらの生物体は、発生してもいつか死滅、分解して生物体として平衡状態を保つ。この分解過程は日々の生活の中では目立たないので、大した量ではないと思うかもしれない。しかし、成長する植物と同量の朽ちた植物が分解していくのである。IPCC の炭素バランスを見てみると、循環している炭素のおよそ 1/3 の 60Gt が植物の分解による量である。

微生物による分解のプロセスは、酸素が共存する好気性分解と酸素のない嫌気性分解に分けられる。前者では CO2 が、後者ではメタンが発生する。また窒素を含有する廃棄物を含む土壌では N2O が発生する。分解生成物のCO2、メタン、N2O はいずれも温室効果ガスである。大気中のメタン、N2Oの濃度は CO2 に比べるとはるかに小さいものの地球温暖化係数 (GWP: global warming potential) は CO2 に比べると大きい。

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Fig. 3 USA における CO2、メタン、N2O の排出割合

上記の分解プロセスは高温ほど速いので、CO2、メタン、N2O は高温ほど多く発生する。前々回述べたように、温暖化による気温上昇で発生するのが thermally-induced CO2 である。自然サイクルの CO2 は人為的な CO2 よりはるかに多いので、温度の変化に追随して放出する CO2 の量に大きく影響する。時間的なずれは温度変化よりも 10 ヶ月遅くなる。同様に、分解して発生するメタンも温度変化よりも遅く追随して放出される。従って、下図で示すようにメタンも CO2 と同様に温度の変化と良い相関がある。

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Fig. 4 氷床サンプルから得られた CO2、メタンの経時変化(Salbyのスライドより)

N2O の場合は、詳細な温度との相関データはないが、下図で示すように温暖化とともに濃度が上昇することが分かっている。

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Fig. 5 CO2、メタン、N2O濃度の変化

19世紀に小氷河期が終わり気温が上がり始めたとすれば、CO2 濃度も温度と共に放出量が増え続けているはずである。これが上記五つの科学的知見に沿う矛盾のない解釈である。CO2 のサイクルは自然放出と人為放出からなり、自然放出の CO2 が圧倒的に多いことを考慮する必要がある。次回ではこのプロセスを定量的に考察する。

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大気中のCO2による赤外線吸収は吸収の上限に近い

温度とCO2濃度は相関関係がある。どちらかが卵かニワトリである。19世紀末TyndallArrhenius が提唱して以来、 CO2 が増減して温度が変化するという概念が受け入れられてきた。これを国連組織の IPCC が強く主張するに至り、ほとんどのメディアおよび国の機関が追随するという図式が確立している。しかし、下図で示すように何十万年という長い期間温度が周期的に変わってきたのだから、現代の温暖化もその周期の一過程なのかも知れない。温度は太陽エネルギーの変化等で変わるが、CO2 が自然に周期的に変化してきたとは少々不可解なことである。

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Fig.1 南極のアイスコアサンプルの解析から得られたCO2と温度の変化

現在の CO2 による温暖化の概念は、そもそも 1896年 の Arrhenius による指摘に基づいている。彼により、 CO2 の赤外線吸収の特性とそれによる温暖化の可能性が、論文 (Phil. Mag. 41, 237, 1896) で報告された。

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Fig. 2  Arrheniusの論文

一方、当時の標準教科書、”Physics of the Air” (W. J. Humphreys, 1929, McGraw-Hill) の 564 ページに、温暖化に影響するであろう CO2 の特性がまとめられている。

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Fig. 3 1929年の Humphreys の教科書

この本は以下のように述べる

Tyndall、Arrhenius、Chamberlin などによって提唱されたこの理論は、さまざまな波長の放射に対する二酸化炭素の選択的吸収と量の変動に基づいている。

二酸化炭素は太陽放射よりも地球表面からの赤外線放射を吸収しやすく、温室効果を生ずる。しかし、大気中の二酸化炭素量の変化が地球の温度に与える影響の大きさを正確に言うことはできない。

Schaeferの実験は、大気圧では、長さ 50 cm と200㎝ の二酸化炭素のカラムを比較した時、50㎝ のカラムが吸収に十分であることを示した。

したがって、現在の大気中の二酸化炭素の量を 2 倍または半分にしても、実際に吸収される放射線の総量にはあまり影響しないだろう

さらに、最近のHarde (2014) による研究結果によると、大気(CO2、メタン、オゾンを含む)の Low Wave の電磁波(赤外線領域)吸収は、CO2 の濃度に対して下図のようになると言う。

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Fig. 4 大気の赤外線領域(LW)の吸収度(Salby の講演スライドより)

CO2 濃度がゼロでもすでに大気の LW の吸収度は約 75% である。大気に大量に含まれる H2O が LW を吸収するのだろう。さらに、現在の 400 ppm の CO2 が 50% 増えて 600 ppm になっても吸収度は約 80% であまり変わらない。従って、今後人為的に CO2 が増えても温度はあまり上昇しないものと思われる上の図は当ブログで今後使われる。

まとめると、

  1. 1896年、Arrhenius が CO2 が温暖化の原因になる可能性を指摘したが、定量的な解釈はされなかった。
  2. 1929年、Humphreys がそれまでの知見を整理して CO2 の温暖化への影響は小さいことを指摘した。
  3. 2014年、Harde が大気の赤外線吸収度を半理論的に考察し、現在の吸収度がほぼ上限に近いことを示した。 

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