温暖化の科学の出発点3

- CO2のkinetics

氷床コアの分析からも示されるように、地球の温度は数十年、数百年をかけてゆっくりと高低を繰り返してきた。温度の変化とCO2の変化はある程度呼応している。どちらかが原因で他方が結果かも知れない。80万年前まで遡れる周期的な温度変化の要因はまだ明確ではない。そうした中、現代の温暖期にだけ科学的な証拠もなく、400 ppmのCO2濃度変化に温暖化の原因を特定化するのは科学的思考の飛躍である。

今年に入って、大手の三つの銀行が破綻した。オンラインによる取り付け騒ぎである。デジタル時代の預金の取り付けという意味で「デジタル・バンク・ラン」と言うそうである。50年前の1973年に大阪で、豊川信用金庫に対する取り付け騒ぎ(豊川信用金庫事件)があった。ことの始まりは、電車内での女子高校生のたわいない一言だったそうだ(朝日新聞「天声人語」(5/9/2023))。愛知県の豊川信用金庫へ就職が決まっていた一人に、もう一人が「信金は危ないわよ」と冗談をとばす。真に受けた当人から親戚へ、その知人へと話は広がり、夫婦が営むクリーニング店に流れ着いた。店番中の妻が、多額の現金をたまたま下ろそうとしていた人と出くわした。「うわさは本当だった」。もう止まらない。得意先に電話をかけまくった。うわさやデマで一部の人々がパニックに陥ったのである。「CO2による人為的な温暖化仮説」を見聞きしていると同様のパニックが起きているように思える。「科学ではなく回りの空気で動いている」のである。その空気を作り出しているのがIPCCにほかならない。

これまで、下図に示すようにCO2は地球からと地球への放出と吸収プロセスからなることを整理してきた。そしてこれらのプロセスは温度に依存している。地球の温度が上がると放出プロセスによるCO2の量が上昇し、大気中のCO2濃度が上がる(thermally-induced CO2)。逆に、地球の温度が下がると、放出プロセスによるCO2の量が減少し、大気中CO2濃度は下がるのである。

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Fig.1 地球上のCO2の吸収と放出の温度依存性を表す模式図

主要なCO2の放出と吸収プロセスは下図で示される。植物は、CO2を固定するが、朽ちた葉などは数年以上かけて分解しCO2に戻る。温度が高いほど分解速度は速い。前にも述べたように、大気中のCO2の約1/3は動植物の分解からで、2/3は海から放出される。海からの放出も温度が高いほど増える。人間の燃焼によるCO2 は、約4%のみである。

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Fig.2 主要なCO2の放出と吸収プロセス

陸地は地球の約30%を占め、陸地の30%が森林である。森林は、地球全体では約10%である。亜寒帯林は北半球では北緯50度から70度に広がっている。南半球では南アメリカの南端などにみられる程度である。下図で示すように、人工衛星からの測定結果によるCO2濃度の分布と森林分布は良く対応している。

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Fig.3 森林面積の分布図

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Fig.4 人工衛星からのCO2濃度の分析結果(NASA, 2010)

地球上の生物体(バイオマス)は有機物質と水で構成される。下図は地球上のバイオマスの分布を示したもので植物が主要なバイオマスであることがわかる。バイオマスは植物を中心に食物連鎖でつながる。各生物体は空気が存在する好気的分解ではCO2を発生する。そしてCO2は、植物の光合成で有機物として固定化され炭素サイクルを形成する媒介となる。大気中を拡散、移動できるCO2が気体でなければ炭素サイクルまたは生物サイクルは成立しない。従ってCO2は生物サイクルにおいて自然界が与えた非常に重宝な物質と言える。前回述べたように、CO2濃度が高いと光合成の速度が増すので生物サイクルの速度が増すことにつながる。現代の温暖期においては、衛星観測で示されているようにここ数十年(1982 ~ 2010 年)にわたり地球の緑化がみられる(Ref.)。「CO2の追肥効果」による緑化と考えられる。

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Fig.5 地球上のバイオマス分布

その非常に重宝な物質である大気中のCO2濃度を変えるのは陸の緑と海、そして数十年から数百年にわたり変化する温度である。緑は光合成と植物の分解に関係し、広大な海はCO2を溶解してバッファーの役目を果たす。温度変化は分解と溶解速度を変化させる。

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Fig.6 緑と水で覆われた地球

自然界の CO2 の放出速度と吸収速度は、CO2以外のガスが相互作用しないものと仮定すれば、CO2 発生源の濃度また大気中の CO2 濃度に比例するものと近似できる。そうすると CO2 の吸収速度は典型的な一次速度式で表され、CO2 の濃度の経時変化が決められる。すなわち、

  eq-1            (1)

 eq-2                (2)

は定数であり逆数が滞留時間 τ である。C0  は初期の CO2 濃度である。この式は、14C の吸収速度の結果から確かめられた。自然の CO2 の放出速度と吸収速度は温度により変わるので、CO2 の滞留時間も厳密には温度依存性がある。この場合の滞留時間は 8.6 だった。

fig-7
Fig.7  1963 年以降の大気中の 14CO2 濃度の減少変化 (by Salby)

CO2 の自然プロセスでは (1) 式に CO2 の放出プロセスが加わる。従って、

eq-3                (3)

eq-4(4)

eN, eA はそれぞれ自然の CO2, 人為的な CO2 濃度変化量 (ppm/yr) である。数値計算の実例はHardeの論文(H. Harde, Global and Planetary Change 19, 152, 2017)などを参照できる。産業革命以前の濃度は280ppm だったが、2020 年の CO2 濃度は 130ppm 増えて 410ppm であった。(4) 式の解析によると、増加分 130ppm のうち、18 ppm (14%) が人為的な増加分、そして 112ppm (86%) が自然の CO2 増加分である。下図に示すように、IPCC の解釈では増加分 130ppm の全てが人為的な増加分となっている。

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Fig.8 CO2濃度増加への自然と人為的な寄与の解析例

以上、かけがえないのない物質である大気中のCO2濃度を変えるのは陸の緑と海、そして数十年から数百年にわたる温度変化であることを述べた。さらに陸の緑についての補足を以下にする。下図は、北極近辺(北極海沿岸のバーロー)、ハワイ、赤道、南極におけるCO2濃度の経日変化を示している。CO2の季節における濃度変化は南極で小さく、北に行くほど大きくなる。南半球は陸地面積が小さくかつ森林面積が小さい。一方、北半球は陸地面積が大きくかつ森林面積も大きい。さらに一年の温度変化が大きい。熱帯は年間の温度変化が小さい。従って、光合成の量だけでなく生成された植物体の分解量の変化が北に行くほど年間を通して大きくなるものと考えられる。

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Fig.9 地球上の各地点におけるCO2濃度の変化

自然界には13Cが1.1% 存在し、光合成は12CO2を13CO2よりも多く取り込む。従って、植物が分解してCO2を放出すると大気中の12CO2の割合が増え13CO2の割合は減少することになる。下図の結果は、植物分解から放出されるCO2の大気中のCO2への寄与が大きいことを示している。

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Fig.10 CO2の変化と13C変化との関係

科学の出発点として、これまでのことをまとめる。最初に(1)太陽エネルギーと炭素収支について整理した。人為的に放出されるCO2は自然界から放出されるCO2を含めた全CO2の高々約5%であること、地面から反射して大気中の赤外活性物質に吸収される赤外線は地球に入射するエネルギーの15%であること、大気中の赤外活性物質の95%は水であってCO2は無視できる程度であることを述べた。次いで(2)CO2が温度の関数であることを各種データを使ってまとめた。CO2の濃度変化が温度を変えるのではなく温度変化がCO2の濃度を変えるのである。そして最後に(3)CO2の地球上の吸収と放出のプロセスの動力学について整理した。これら吸収、放出速度は数十年から数百年の温度変化に呼応してCO2があたかも地球上で呼吸しているかのようにふるまう。そして、近似的にCO2の濃度に比例するという一次式で表される。近似式はCO2の自然の挙動と人為的な経時変化のプロセス解析に有用である。

CO2は生物サイクルに欠かせない重宝な物質であり、「CO2の追肥効果」により地球の緑化に役立つ有用な物質でもある。大気からCO2を取り除くという積極的な科学的根拠を見出すことはできない。“脱炭素”、“カーボンニュートラル” という掛け声はただIPCCのプロパガンダが元になっているものとしか思えない。

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温暖化の科学の出発点 2

- 温度とCO2との相関

「人為的なCO2排出が地球の温度を上昇させている」という仮説が現代の社会を動かしている。これとは違う考え方を述べることはなかなか困難で、声を上げたとしても一顧だにされない世の中である。科学的証拠のない「人為的なCO2排出説」を思うと、17世紀のガリレオがコペルニクスの地動説を彼が制作した望遠鏡の天体観察結果により支持しようとした時代を彷彿させる。

過去数十万の間、温度、CO2は周期的に変動してきたが科学的な解明はまだである(→ 気候変動に及ぼす主な自然変動)。縄文時代は今より暖かったらしい。しかし、それ以前のつい一万年前は氷河期であり海面レベルが低く日本列島も一部大陸と陸続きであったらしい。「人為的なCO2排出説」の疑似科学に基づいた社会行動を作り上げることは非常に危険である。

温暖化の熱は太陽から降り注がれる。また、問題視されているのがCO2である。そこで、前回は、科学的考察の出発点として太陽エネルギーとCO2(炭素)収支を調べた。炭素収支の95%が自然界のCO2であった。自然界のCO2は (1)光合成、(2)海への溶解、(3)動植物の分解という主要なサイクルからなるということを述べた。動物は食物連鎖により光合成でできた植物を食し、最終的には分解してCO2を発生する。そこで分解のプロセスには植物だけでなく動物を含むサイクルを考慮すべきである。これらのプロセスは温度依存性が大きいので、CO2の循環サイクルは温度の関数である。また、(1)エネルギー収支と(2)炭素収支の考察から人為的なCO2の温室効果は非常に小さいことが導かれた。

では自然界のCO2および人為的なCO2はどのように温度とかかわっているのだろうか。これが今回のテーマである。上記の主要な三つのプロセスを考えてみる。光合成の速度は、温度に加えて植物および周りの条件により変わりやすい。以下には、異なるCO2濃度における温度依存性の一例を示す。最適温度までは温度と共に光合成速度は上昇する。

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Fig.1 光合成速度の温度変化(白丸が1000ppm、黒丸が370ppm(通常CO2濃度)、四角が200ppm。オオバコのデータ。測定は彦坂幸毅氏(東北大学))

一般に気体の液体への溶解度は高温ほど減少する。CO2の水への溶解度は、下図に示すような温度依存症がある。

fig-2
Fig.2 CO2の水への溶解度の温度変化

植物の分解は微生物による分解であってさまざまな因子が関係してくる。その中で温度の影響は大きく一般に次式のアレニウスの関係で表される(Ref.)。

rco2 = Ai x exp(-Eai/RT)                                    (1)

ここで、rco2はCO2変化速度、Aiは定数、Eaiは活性化エネルギー、Rは気体定数、Tは絶対温度である。模式的には下図のように示される(Ref.)。温度が10℃上昇した時に分解速度が二倍または三倍になる時の傾向である。

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Fig.3 植物の分解速度の温度変化
(10℃の上昇で速度が二倍、三倍になる時の模式図)

地球の平均温度は約15℃で、この150年の変化幅は±1℃である。自然界のCO2は温度依存性の (1)光合成、(2)海への溶解、(3)動植物の分解という主要なサイクルからなるが、上記で示したように15±1℃の狭い温度範囲では、CO2は直線的に変化するものと近似できる。従って、CO2濃度rco2変化速度は以下のようになる。

CO2濃度変化速度 ∝ 光合成速度 + 海への溶解度変化 + 生物分解速度   (2)

≒ f(T ) (温度の関数)                                                           (3)

∴   drco2/dt  ≒ γΔT (狭い温度範囲で、γ: 定数、ΔT:温度変化)        (4)

簡単な近似式(4)の意味するところは大きい。現代、我々が経験している15±1℃の狭い温度範囲では、CO2の濃度変化は温度変化により決まるということである。下記でも示すが、プロキシ値から過去2,000年間の温度変化は15±1℃であろうと推定されている(Ref.)。「人為的なCO2排出が地球の温度を上昇させている」という仮説が意味するところとは逆なのである。以下少し実例を示す。

人工衛星による温度の観測が1979年から始まっている。下図の(a)はUAH(The University of Alabama in Huntsville)による結果である(Ref.)。赤い実線は13か月の平均温度である。CO2の観測は1958年から始まっていて、 (b)は毎年のCO2の増加量を示す(Ref.)。これは(4)式のdrco2/dtに相当する。CO2濃度は毎年単調に変化するが、変化量あるいは微分量には変化が一目瞭然に表れる。1979年から2022年の時間スケールを同程度になるようやや短縮してある。CO2濃度の場合は12か月ごとの計算値であるので、正確には両者には約半年の時間のずれがある。両者を比較すると1991年のエルニーニョ以外、温度とCO2濃度変化速度との増減の傾向はかなり良く、(4)の近似式を裏付ける。CO2濃度変化速度の増減にもエルニーニョ、ラニーニャ現象良く表れているのがわかる。1998年のエルニーニョと前後のラニーニャ、2011年のエルニーニョと前後のラニーニャなどは顕著である。以上、人工衛星で得られたリモートセンサーによる温度とハワイのMauna Loa のCO2の濃度変化速度という独立した物理量の測定値に良い関係が存在するのは驚きでもある。

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Fig.4 上図(a)はUAHによる人工衛星からの地球温度測定値、下図(b)はNOAAによる毎年のCO2増加量

(4)式は恐らくデータの解析時にSalbyにより見つけられた。彼はさらに水分を加えた地球表面の状態(surface conditions)を使うことを提唱している。下図に示すように、CO2濃度の変化速度と地球表面の状態(surface conditions)の関係は良い。Salbyは昨年(2022年)亡くなっている。この辺の詳細は発表されていなかったので残念である。また、炭素中に1.1% 含まれる同位体13Cの濃度変化は温度変化とは逆の関係になり、植物の分解が大きく関わっていることを示している(→ 温度上昇で増加するCO2はどこから)。因みに、前回示した炭素収支から未分解植物は、光合成サイクルに関わる炭素の約10倍の量が存在する。従って、植物の分解プロセスは炭素サイクルに大きく影響するはずである。

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Fig.5  (a) CO2濃度と地球表面の状態(温度が主要な因子)との関係、(b) 同位体13Cの濃度変化と温度変化との関係

(4)式はSalby により提唱された(5)式(→ 大気中のCO2 濃度は温度で決まる)となる。すなわちCO2濃度は温度の積分値で決まる。温度がCO2濃度で決まるのではなく、CO2濃度が温度で決まるのである。(5)式は、全CO2濃度、自然界、および人為的なCO2濃度を考察するために利用された(→ 大気中のCO2の放出、吸収の速度論)。

eq-5                                                             (5)

下図はプロキシ値から推定される過去2,000年の温度変化である。800年前後は比較的暖かだったらしく中世の温暖期と言われている。一方、1600年前後は多少温度の低い時代で小氷河期と言われる。最近、1000年から1800年の間の氷床中のCO2がFig.6に示すように高精度で分析された(Ref.)。小氷河期に呼応したCO2の6~10ppmの低下が見られる。CO2は温度の変化に比べて約100~150年遅れて変化している。これは(5)式を裏付ける。また、氷床サンプルの分析から10000年前の最終氷河期から縄文期への移行期にCO2が200ppmから280ppmへ上昇したことも良く知られた事実である(Ref.)。温度とCO2濃度は呼応している。しかし、氷床サンプル中のCO2濃度との関連は氷床サンプルが古い年代になるほど温度とのずれが大きくなるようである。そして、相互相関関数を使った解析によると、氷床中のCO2濃度の分析結果は実際の値よりかなり低い可能性がある。今後詳細に検討すべき課題である。(→ 温度とCO2 変化の時間差について)

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Fig.6 過去2,000年間の温度変化の推定値

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Fig.7 1000年から1800年の間の氷床中のCO2分析結果

人工衛星によるCO2の測定によると、Fig.8に示すように、総じて大気温度が高いところがCO2濃度も高い。これもCO2濃度が主に温度によりコントロールされていることを示す。日本でもいぶき、いぶき2号が観測を行っていて(Ref.)、同様の結果が得られている。温度の上昇は動植物の分解が活発になりCO2の発生が増加することを意味する。従って、温度が高く微生物による分解速度が上がると言うことは CO2の発生が増え、土壌も有機的に肥えてくることである。また、CO2濃度が高くなると光合成が促進される(CO2の追肥効果)。Fig.9は光合成速度がCO2濃度上昇で上がるという一例である。

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Fig.8 人工衛星からのCO2濃度の分析結果(NASA, 2010)

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Fig.9 光合成速度とCO2濃度との関係の一例

下図で示すように、衛星観測はここ数十年(1982 ~ 2010 年)にわたる地球の緑化を示している(Ref.)。「CO2の追肥効果」による緑化だと考えられる。以下、引用した論文からである。植物に対する CO2 の直接的な影響は、水が植物の成長を制限する温暖で乾燥した環境で最も明確に表現されるかも知れない。ガス交換理論を使用して、大気中の CO2 の 14% の増加により、温暖で乾燥した環境では緑の葉の被覆が 5 ~ 10% 増加したと予測される。降水量の変動の影響を取り除くために分析された衛星観測では、これらの環境全体のカバーが 11% 増加したことが示されている。この結果は、CO2の追肥効果が重要な地表プロセスであり、炭素循環の変動と並行して進行してことを示している。

fig-10
Fig.10衛星観測は1982-2010年の間、地球の緑化が進行していることを示す

まとめ

前回の太陽エネルギーと炭素収支に続いて、今回は温度とCO2の関係を整理した。両者の関係は(4)式と(5)式の近似式で表される。これらは簡潔であるが意味するところは大きい。温度が変化し、CO2は温度に追随して変化するということを示しているからである。氷床コアの分析で地球の温度は80万年前から周期的に変化してきたのがわかっている。しかし、周期的な温度の原因の科学的な解釈はまだ明らかではない。その周期的な温度変化に呼応してCO2はある時間的なずれで周期的に変わってきたのである。両者は相関しているが時間のずれがある。今後はさらに、温度、CO2濃度に加えて時間を組み入れた相互相関関数を活用した解析が必要である。

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温暖化の科学の出発点

- 太陽エネルギーと炭素バランス

温暖化または気候変動は最近の主要な話題のひとつで、メディアを通して ”気候変動”という語彙を聞かない日がない。しかし、その基本的な科学は明確ではない。例えば、国連の下部組織であるIPCC は400 ppm のCO2が地球の温度を上昇させていると言うがどこにも科学的な証拠は示されていない。また、1.5℃の温度上昇が深刻な気候変動を起こすと警告するが統計的な科学的証拠はない。

IPCCは数年に一度報告書を出している。その主張の根拠となるのは、科学的証拠がないので気候モデルとシミュレーションだけである。アメリカの投資家ウォーレン・バフェットの言葉に「散髪が必要かどうかは床屋に聞くな」というのがある。特定のターゲットに投資すべきかどうかは自分で決めろという。気候変動の問題も、科学的証拠がないのだから、「気候変動がCO2が原因で起きているのかどうかかはIPCCに聞くな」である。IPCCの主張に拘わらず、自分で科学的根拠に基づいて判断しなければならない。しかし、大気を中心にした地球科学は広範囲の学際的領域にわたるため、専門家にとっても一筋縄で行くものではない。IPCCの設立以来、「人為的なCO2排出が地球の温度を上昇させている」という結論ありきで進んで来たようである。IPCCの主張はさておいて、では科学的に考える出発点はどこなのだろうか。

ノーベル賞物理学者のファインマンは言っている。「理論がどれほど美しいとか、その人が頭が良いかは問題ではない。主張がデータと一致しない場合、それは間違っているだけである。」これは、人為的な地球温暖化の理論にも当てはまる。温暖化の基本的な科学はまだまだ明確ではないけれども、これまでこのブログで少し触れて来たように、以下のようないくつかのデータがある。IPCCの理論がこれらのデータと一致しなければその理論は間違いということになる。

  1. 大気中のCO2濃度の経時変化と温度の経時変化はある程度呼応しているが、温度変化が10ヶ月先行している。氷床コアの分析による長期の変化では温度変化が約1000年先行している。→ CO2 変化より先行する温度変化
  2. 地球へ入射する太陽エネルギーの約20%が赤外線として地表から反射される。そのうち3/4 が大気中の赤外活性物質に吸収される。大気中の赤外活性物質の95%はH2Oである。H2Oの赤外線吸収量はCO2に比べるとはるかに大きい。→ CO2の温室効果は非常に小さい?
  3. 地球上の炭素バランスに基づくと、CO2 排出量の 95% は自然発生源によるもので、人為的なものはわずか 5% である。→ 大気中のCO2の放出、吸収の速度論
  4. 衛星観測によると、CO2 の濃度が最も高いのは、工業地帯ではなく、アマゾンなどの工業化されていない熱帯地域である。→ 大気中のCO2 濃度は温度で決まる
  5. CO2濃度は、人為的な排出量ではなく、短期的な温度変化とほぼ相関して量が決まってくる[R2 = 0.93]。→ 大気中のCO2 濃度は温度で決まる

IPCC は、「産業革命以来、すべての CO2 濃度の増加が人間の活動によって引き起こされてきた。この増加したCO2は温室効果ガスであり、地球の温度を上げている。」と言う。しかし、この主張は上記の科学的事実を説明できない。従って、この主張は間違いである。最新のIPCCの報告書は、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」と従来より踏み込んだ強い表現で断定した。いくら言葉を変えてもこれは疑似科学(pseudo-science)なのである。疑似科学に基づいた、画一的な価値観が”正義”であるかのように流布されているのである。脱炭素(カーボンニュートラル)、CCS (carbon capture and storage)など対応すべきフェイクストリーが作り上げられ疑似地球環境科学が形成されてきた。

国連の下部組織としての、数による疑似科学、政治的圧力の原因を考えることは大きなテーマである。ここではとりあえず、最初に地球上の太陽エネルギー炭素バランスについて整理し、科学的側面から考察していく。

地球のエネルギー収支をネットで検索してみると多くがNASAのデータを基にしている。一例を以下に示す。基本的に以前示した収支と同じである。反射率(アルベド)が30%、19%が雲を含む大気により吸収される。残りの51%が地面に吸収および反射される。51%のうち30%が地面から大気への伝導および水の蒸発などに消費され、21%が地面から赤外線として反射される。地面から反射される赤外線のうち6%が大気を素通り(大気の窓)する。残りの15%が赤外活性物質に吸収される。大気中の赤外活性物質の95%は水分子なので反射した赤外線の全量に近い量が水分子に吸収されることになる(Ref.)。

fig-1
Fig.1 地球のエネルギー収支

赤外活性物質への吸収以外にも、直接宇宙空間へエネルギーがロスするのではなく、19%が雲を含む大気により吸収されること、30%が地面から大気への伝導および水の蒸発などに消費されることに注目すべきである。これらのエネルギーは大気の温度上昇へ寄与するはずである。また、気温とは大気ガス分子の運動エネルギーであって、赤外活性物質が赤外線を吸収したからと言って大気の温度が上がるわけではない。酸素、窒素ガス分子の運動エネルギーへと変換する必要がある。CO2に吸収される15μmの小さな赤外線エネルギーがどこまで酸素、窒素の運動エネルギーへ寄与するのかも考える必要がある。

以下の図はIPCCの第6次評価報告書からである。エネルギー収支は前図と概略同じだが、下向きの赤外線(DLR: downward longwave radiation)が含まれている。下向き赤外放射とは、天空の全方向から地表面に入射する赤外放射(赤外線)である(Ref)。下向き赤外放射は、大気中の雲・水蒸気・二酸化炭素等からその絶対温度の4乗に比例して放射される。エネルギー収支には関係がないが、温室効果を示すためである。下向き赤外放射の実測値は非常に少ないので地球平均の値はモデルからの計算値だと思われる。

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Fig.2 下向きの赤外線を考慮した地球のエネルギー収支

下図は、大気を透過する放射光の強度である。上のカラムの左の赤い部分は大気を透過してきた太陽からのスペクトルで、反射光を除いた70-75%を示す。赤い実線は5525Kの黒体からの仮想的なスペクトルである。右の青い部分は地面から反射されて大気を素通りしたスペクトルである。地面から反射されるのは15-30%である。この10μmの大気を素通りする部分が大気の窓である。二番目のカラムが大気で吸収されるスペクトルである。三番目の水の吸収スペクトルと比較するとほとんどが水分子で吸収されることがわかる。

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Fig.3 大気とその成分の吸収スペクトル

エネルギー収支上ではCO2の温室効果はH2Oに比べると取るに足らない大きさであるが、地球上のCO2バランスからさらにCO2の温室効果について知見を得ることができる。CO2は植物に取り込まれると有機物へ変換するので、CO2バランスは炭素収支で考えることが一般的である。IPCCの報告によるとそのバランスは概略下図のようになる。年間、炭素基準で約60 GtのCO2が光合成で消費され、同量が植物の分解で放出される。約90 Gtの CO2が海水による吸収、放出のプロセスにかかわる。化石燃料の燃焼によるCO2の放出は150 Gtのうちわずか5 Gt(約3%)である。従って、人為的に排出されたCO2は自然界の中で希釈される。

fig-4
Fig.4 地球のCO2収支(炭素換算)

CO2の滞留時間はホールドアップ750Gtとサイクル量150Gtの値から約5年(=750/150)である。炭素同位体14C はトレーサーとして利用できるが、14CO2の分析からは8.6年と求められている(Ref)。また、人工衛星のモニタリングによる CO2 の観測結果と比較すると 2011年 に比べて、炭素換算で約 2.5 Gt の CO2 が熱帯地域から発生した。温度が上昇すると CO2 濃度が上がる (thermally-induced CO2)。13CO2の分析からはこの CO2 の上昇は主に高温における植物分解によるものと解釈できる(Ref)。

CO2のバランスは、光合成、海水への溶解度、有機物の分解により大きく影響を受ける。また、これらは温度によりコントロールされている。人為的に発生するCO2は自然界の数%以下であり、自然界のCO2に希釈されて数年の滞留時間で地球上を漂う

上記のエネルギー収支と合わせて考えると科学的出発点は以下のようになるだろうか。地球で反射される30%以外のエネルギーは何らかの形で地球へのエネルギーとして供給される。窒素、酸素に対し放射エネルギーは素通りする。しかし、大気に含まれる水、エアロゾルには20%が吸収される。残りの50%は地面を暖める。30%は熱伝導、水を媒介として大気を暖める。残りの20%は地面から波長の長いエネルギーすなわち赤外線として放射される。約5%の放射赤外線のエネルギーはそのまま宇宙へロスする。約15%は赤外活性物質に吸収されエネルギー交換により大気を暖める。その赤外活性物質の約95%が水である。CO2の濃度は400ppmであってその寄与は非常に小さい地面から反射される赤外線以外の寄与は上記から約50%と見積もられる。結構大きいはずであるが、定量的に評価した結果は見当たらない。今後の課題だろう。

CO2は光合成、海への溶解、動植物の分解という大きな自然サイクルからなる。化石燃料の燃焼などによる人為的なCO2排出量は、CO2の自然サイクルに比べると非常に小さな量で約3%である。光合成、海への溶解、動植物の分解プロセスは温度依存性が大きいので、CO2の循環サイクルは温度により変化する高温ほどCO2の循環サイクル量は増加するCO2の温室効果は水に比べると非常に小さく、人為的なCO2排出量も自然サイクル量に比べると非常に小さい。従って、エネルギーと炭素収支の考察から人為的なCO2の温室効果は非常に小さいことになる

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意味ある温度変化の表示とは?

190年前(1833年)関東、東海地方では大雪となったらしい(Ref.)。明治維新が157年前だからそれほど遠くない昔である。下図は、歌川広重の「東海道五十三次 / 蒲原夜之雪」でその年の作品である。蒲原は、駿河湾沿いのほとんど雪の降らない土地である。しかし、現代でも時折り関東、東海地方で2月頃南岸低気圧が通り過ぎるタイミングで、上空が相応に低温であれば雪が降る。「蒲原夜之雪」とあるので夜に低気圧が通り過ぎたのかもしれない。この地区では非常に珍しい雪景色だったのでこの浮世絵を描いたとも推測できる。

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Fig.1 歌川広重:東海道五十三次 / 蒲原夜之雪

この年、1833年、は江戸時代の四大飢饉の一つ、天保の飢饉が始まった。飢饉は1837年まで続いた。主な原因は大雨による洪水や冷害による大凶作であった。天保の飢饉により、各地で百姓一揆が多発した。大坂でも米が不足し、1837年の大塩平八郎の乱につながった。1830年代は全般的に気温がやや低かったようである。14世紀半ばから19世紀半ばの間は比較的気温が低かった期間で小氷河期(little Ice Age)と呼ばれる。これら1833年の出来事は小氷河期の最後の出来事である。

1683年の冬はテムズ川が二か月間、約 30 ㎝凍り付いたという。テムズ川の凍結は小氷河期の代表的な出来事として良く挙げられる。全面凍結は非常にまれな出来事ではなく現代でも見られる現象である。因みに下の写真は1963年の出来事である。

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Fig.2 凍り付いたテムズ川(1963年)

オハイオの州都コロンバスの中央を Olentangy 川が流れる。冬には日中でも氷点下の日が一週間続くことが 1、2 度ある。そのような時はテムズ川ほどではないが、川が全面凍結する。

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Fig.3 大部分は凍り付いているが、流れのある川の水面で羽を休めるCanadian Geese (2/24/2015)

 グリーンランドと西にあるバフィン島に、1000年前後、バイキングなど北欧の人々が住みついた。そして、小氷河期が始まる1400年頃に村は捨てられた。下の写真は教会跡で、アイスランドで見つかった記録によると1408年9月に最後の結婚式がこの Hvalsey 教会で行われたとある。新郎はノルウェーからやってきた交易船の船長、新婦は地元の娘であった。1450~1500年頃には流氷が増えたこともあってグリーンランドと他の地域の連絡は全く途絶えてしまった。その後カップルはアイスランドへ移住したらしい。10世紀から14世紀にかけての温暖な時代は中世の温暖期(Medieval Warm Period)として知られている。

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Fig.4 グリーンランド南部の Hvalsey 教会跡

この地はグリーンランドの南端に位置し、アイスランドより南にある。アイスランドの北端が北極圏で、首都のレイキャビクがアラスカのフェアバンクスと同緯度になる。内陸にあるフェアバンクスの冬の方が Hvalsey よりもはるかに厳冬である。厳冬のフェアバンクスでも1902年に始まったゴールドラッシュで人が住み着いたのである。

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Fig.5 Hvalsey Church の場所

Hvalsey 付近はフィヨルドの地形で隣の半島に下の写真に示すような Narsaq という人口1300人の町がある。写真中央部の屋根に A34 と書いてある建物は1924年から1960年までグロサリーストアだったところである。1960年にショッピングモールができたので営業を中止し今は博物館になっている。博物館の展示で示されているように、1950年代にグリーンランドは狩猟社会から近代化した社会へ大きく変貌した。

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Fig.6 Hvalseyの教会跡地からほど近い町 Narsaq (人口約1300)

北欧からの祖先がグリーンランドに移住し400年の後、棄住したというのはそれなりの出来事である。しかし、先住民の歴史は欧米では一般に無視される。グリーンランドにもイヌイットと呼ばれるモンゴロイドが少数ながら住んでいたのであり、そこに北欧の人々が400年というほんの短い間やってきて住み着いただけであった。そして、気温がやや下がり氷山などのため航海に支障がでるといなくなってしまったのである。

1912年4月に鳴り物入りで建造されたタイタニック号がイギリスからニューヨークへ向けて処女航海へと出航した。そして、ニューファンドランド島のはるか沖合で氷山と衝突し沈没してしまった。日本人の乗客がひとり乗船していた。彼を巻き込んだ醜い話、他のエピソードなど枚挙に暇がないようだ。

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Fig.7 タイタニック号の沈没場所(Southampton to New York)

古代ローマ帝国が栄えた2,000年前は比較的温暖だったらしくローマ温暖期 (Roman Warm Period) と言われる。4世紀に入って気温が少し下がるにつれローマ帝国の勢いも下り坂になっていく(Ref.)。東西帝国に分裂後、東ローマ帝国をまとめる必要性から、パウロが伝えたというキリスト教を国教としたのもこの頃である。結局このキリスト教抜きに多くのヨーロッパの歴史的出来事を考えていくのは難しいということになる。グリーンランドへの移住、新大陸の発見と移住、北部ヨーロッパを中心にした宗教改革とルネサンスなど際限なくある。

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Fig.8ローマにある古代ローマ時代の遺跡フォロ・ロマーノ(Foro Romano)

1991年、アルプス登山ルートから外れた場所を歩いていた観光客夫妻が、溶けた雪の下からミイラ化した遺体を発見した(Ref.)。場所はイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3,210メートル)の氷河だった。5300年前の男性のミイラでアイスマン(Iceman)とも呼ばれている。測量によって、そこが国境からイタリア側へ92.56メートル入った場所であることが判明し、イタリアへ引き渡され、ボルツァーノ県立考古学博物館で公開されている。2021年現在もイタリアの南チロル考古学研究所で調査が続けられている。

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Fig.9  アイスマンが発見された場所(赤い丸)

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Fig.10  エッツ渓谷の氷河(Webから)

アイスマンは発掘現場の周辺で採取した植物の分析から、標高700 mの麓に居住していたと推定されており、その地点では有史以前の遺跡も存在している。また付着した花粉分析から死亡時季は晩春と推定されているが、まだ残雪が大量に残っている季節に3,000 mを越える高地に登った理由は不明である。重装備を所持せずこの地域に入り込めたらしい。5,300年前は青銅器時代に相当し現代より暖かだったはずである。氷河に落ちて5,000年近く保存されたのだろう。

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Fig.11 1991年、アイスマンのミイラ化した遺体を調べる登山家のラインホルト・メスナー氏(右)と仲間

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Fig.12 発見されたアイスマン

IPCC は産業革命以来、温度上昇率が0.7℃/100年だと言う。0.7℃/100年という値が大きいのかどうかは、実際の自然変化に照らして実証的に判断すべきであろう。例えば、東京の8月の最高気温の平均値と最低気温の平均値の差は約6℃、1月の最高気温の平均値と最低気温の平均値の差は約7℃である(Ref.)。下図の左は良く引き合いに出されるGISS(NASA Goddard Institute for Space Studies)の温度変化である。温度のスケールの大きさは約1℃となっている。このグラフを上記のひと月の温度変化の幅である約8℃のスケールで書くと下の右図のようになる。0.7℃/100年という温度上昇率は決して大きくはない。むしろ、温度の変化は産業革命以降も、安定していると言える。

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Fig.13 産業革命以降の温度変化

下図はプロキシ値から推定される過去2,000年の温度変化である。これもFig.13の右図と同様の温度スケールで書き換えるとFig.15のようになる。産業革命以降の温度変化と同様に過去2,000年の間、温度は安定していたと考えられる。

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Fig.14 過去2,000年間の温度変化の推定値

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Fig.15 Fig.14のグラフをFig.13の右図の温度スケールで表したグラフ

20,000年前から7,000年前の間、海面は130m上昇した。日本列島の一部は大陸と陸続きだったが、全てが大陸から分離した。天変地異であるが13,000年をかけてゆっくり変化したようである。7,000年前から現代にかけては海面の変化は非常に小さい。そして、温度の変化も小さかったのである。

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Fig. 16. Curry (2018) の図 3.1 を参照した、最終氷期の最大値 (約 21,000 年前) 以降の推定世界海面変動

まとめると以下のようになる。

  1. 過去2,000年間、温暖期、小氷河期を含めて年平均温度は±1℃以内で変化し安定していた。
  2. 産業革命以後の温度上昇の傾向もこの範囲内である。
  3. 温暖期に文明が発達した。比較的、社会不安も少なかった。
  4. 発生頻度は異なるのだろうが、同じような特異的な出来事は、温暖期、小氷河期にかかわらず起きて来た。
  5. 物理量、温度、の変化を強調するために必要以上にスケールを大きくして比較することは物理事象の考察に誤解を招くおそれがある。
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一体「ツバル」は沈みつつあるのか? – NHKの恐怖に訴える論証

20年前(2002年)のNHKスペシャル、「地球温暖化で島が沈む、南の島、ツバルの選択」は、南太平洋のサンゴ礁の島「ツバル」が、地球温暖化による海面上昇で沈む国だと放送した。しかし、ツバルでの目立った海面上昇は観測されていない。沈没説にはどうも政治的な臭いがついて回る。

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Fig.1 ツバルで海水が浸水した家 (Webから)

2006年には、「地球温暖化による今後100年の気候異変を最新科学で迫る」という二夜連続のNHKスペシャルの番組で「異常気象、地球シミュレータの警告」が放送された。しかし、異常気象の統計的データはまだ観測されていないにもかかわらず、シミュレーションの結果を述べるのみだった。どうも、異常気象説にも政治的な臭いがついて回るようである。

つい先日(2023年、2月)、NHKスペシャル、混迷の世紀、第7回が放送された。ロシアのウクライナ侵攻後に、脱炭素政策がゆらぎ始め、灼熱地球の恐怖があるのだという。

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Fig.2  NHKスペシャル、混迷の世紀、第7回 (Webから)

証拠のない仮説を肉付けするために、発足当時のローマクラブではシミュレーションが用いられた。IPCC でもこれが踏襲されている。「恐怖に訴える論証」をするためにシミュレーションを実行し、結果が如何に恐怖に満ちたものかを示そうとした。

  • 温暖化は人為的な行動変化により起きる。
  • CO2が増えると恐ろしい地球環境になる。
  • したがって温暖化を抑制するには、CO2を減らすのが真の答である。

恐怖、不安、疑念(fear, uncertainty, and doubt、FUD)は、販売やマーケティングにおける「恐怖に訴える論証」を指す用語である。企業は人為的温暖化の仮説に否定的な態度を取れば企業イメージを損なう恐怖がある。だからネガティブなことは言えないのである。

上記「NHKスペシャル」では恐怖を煽った。シミュレーションの結果をまるで事実であるかのように報道する。CO2による人為的温暖化で異常気象、巨大災害が起きるという。科学的証拠なしに危機感を煽り恐怖に訴えるわけである。さて前回に続いて、IPCCへ提出されたICSFのレビューをもとに今回は海面変化について整理することにする。

地球平均海面 (global mean sea level: GMSL) は最後の氷河期の終わりから上昇しており、20,000 から 7,000 年前の間に約 130m 上昇した (図 3)。その後、小氷期 (約 1350 年から 1850 年) などの寒い時期での中断を挟んで、上昇率は遅くなった。現在の GMSL 上昇期は、小氷期が終わり、アルプスの氷河の融解が明らかになった 1850 年頃に始まる (図 4)。

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Fig. 3. Curry (2018) の図 3.1 を参照した、最終氷期の最大値 (約 21,000 年前) 以降の推定世界海面変動。この図は、Robert A. Rohde が公開データから作成したもので、地球温暖化アート プロジェクトに組み込まれている。

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Fig. 4. 19 世紀初頭以降の地球平均海面偏差 (mm、青) および排出された炭素 (数百万トン、赤)。 Curry (2018) の 図 4.1 から再掲。 (海面: Jevrejeva (2014)、炭素: CDIAC (2014))。

図 4 から、GMSL がCO2が増える 1950 年より以前に上昇し始めていることは明らかである。 1850 年以降の上昇率は一定ではなく、数十年にわたる変動を示す。Douglas (1992) は、観測された GMSL 上昇の加速が有意であるためには、少なくとも 50 年間の観測が必要であると言う。それ以外の場合は、単なる短期変動である。図 4 の Jevrejeva らのデータが示すように、20 世紀は 1.9 ± 0.3 mm/yr の傾向を示している。

最近、NASA 主導の研究により、過去 120 年間の海面上昇の原因を探るために、海面モデルと衛星観測のデータを組み合わせた結果が報告されている (Frederikse et al. 2020)。この研究で得られた 1900 年から 2018 年の期間にわたる GMSL の上昇を図 5 に示す。この図も、数十年にわたる変動性を示す。データの分析は、上記の値と比較して、20 世紀中の GMSL 上昇の平均速度を 1.4 mm/年に下方修正する必要がある。 1993 年から 2018 年までの調査で再構築された潮位計データによって示された GMSL の上昇率は、衛星の観測値とよく一致しているようである。両方の上昇率は約 3.3 mm/年である。

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Fig. 5. 1900 年から 2018 年までの各因子の補正後の潮位計で計測したGMSL.  Source: Frederikse et al. (2020)

Frederikse らのデータはまた、1934 年から 1953 年の 20 年間の GMSL 上昇率が 3.3 mm/年であり、1993 年から 2018 年の期間とほぼ同じであることも示している。 Frederikseらによると、その期間のGMSLの上昇率が平均を上回ったのは、氷河とグリーンランド氷床からの平均を上回った寄与によるものであり、1935年頃のグリーンランドの寄与は2018年よりわずかに大きかったという。

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Fig.6 GMSLの1901年から2018年における上昇率

AR6 SPM はGMSLについて次のように述べる。1901 年と 2018 年の間で0.2m 上昇した。平均上昇率は 1901 年から 1971 年まででは 1.3mm/y だった。1971 年から2006 年の間に 1.9mm/y に増加、さらに2006年から2018年の間には3.7mm/yへ増加した。増加率は変化し暖かだった 1930 年代とほぼ同じだった。

100 年前にさかのぼる陸上観測は、GMSL が加速せず 1-2mm/y で継続しているすることを示す。 1993 年までさかのぼる衛星の数値は、約 3mm/y の傾向を示す。 3.7mm/y の数値を使用することは、IPCC のチェリーピック(母集団の中から自分に必要な一部のみを選択すること)である。 GMSL が現在 3.3mm/y の上限平均値で上昇しているとしても、2100 年までに海面が 0.25m 程度上昇することを意味するだけである。今世紀の気候危機を示すものではない。世界の平均海面が現在、過去 3,000 年よりも速い速度で上昇しているという AR6 SPM の主張には根拠がない。ローマ時代に海面がわずかに上昇したと推測できる。そして中世の温暖化期は現在と同様の割合であったが、おそらく小氷期に減少した(図4)ものと思われる. 図3 に示すように、過去 3,000 年間の世界平均海面の変化は 1m 未満であったものと思われる。地球温暖化の結果、ツバルを含めてモルディブと太平洋 – インド洋の島々を、 メディアは壊滅的な海面上昇が島の海岸を飲み込んでいるという主張する。その主張は根拠のないものである

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Fig.7 709 の島々の平面積の変化 (Duvat,2019)

 2019 年に、Duvat は太平洋とインド洋の島々の平面積の変化を解析した。1980年代から 89% に相当する 709 の島々が安定しているか、サイズが大きくなっていた。10 ヘクタールを超える島で縮小した島はなかった。そして5 ヘクタール以上の島の 1.2%でサイズが縮小していたのみである。2000年 以降の新しい分析も、2013年 から 2017年 において安定しているか拡大したかを示している。

海洋の温暖化と酸性化(大気中のCO2が増えて海水に溶解するとpHが下がるものと推定する)について SPM は、最近の海洋の温暖化は前例がないと主張する。しかし、SPM には古気候と、最近のローマ時代と中世の温暖期のデータが不足している。Humlum による海洋温度の継続的なデータがある。最近のデータはここで得られる。そこで、彼は、深さ 1900 m までの世界の海洋の温度は、2011 年以降、約 0.05°C しか上昇していないと結論付けている。また、2013 年以降のこの増加は、主に赤道付近の北緯 30 度から南緯 30 度の間で発生した海洋変化によるものである。対照的に、北緯 55 度より北の北極圏の海域では、2011 年以降、深遠部で混合された海洋温度は低下している。南極付近の南緯 55 度より南では、気温は安定している。さらに詳しくは Humlum の”State of the Climate 2019を参照できる。観察結果は、海洋加熱に関する SPM の結論に大きな疑問を投げかけており、海洋の温暖化について前例のない何かがあることを示しているわけではない。

海の「酸性度」または pH は、7.5 から 8.5 の間で自然に変化する。海洋酸性化の地質学的記録 (Science 535、p1058、2012) は、貝殻を持つ海洋生物が過去 3 億年にわたってpH が 7.5 から 8.1 の範囲で繁栄したことを記録している。サンゴの白化は、多くの場合、気候変動とそれに伴う海洋温度と pH の変化に起因する。最近の研究結果 (Kamenos and Hennige, 2018) は、白化が 1750 年代と 1890 年代に著しく高かったことを見い出し、サンゴの白化が自然現象であり、地球温暖化とはほとんど関係がないことを確認した。

結論として、SPM は海面上昇、海水温変化、海水酸性度に関して誤った主張をしている。さらに、NHKは「恐怖に訴える論証」の手法を改めて、客観的な科学データに基づいた中身のある「NHKスペシャル」の新作を望みたい。

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戻ってきたホッケースティック曲線 – IPCCが繰り返す茶番劇

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書(AR6)が2021年から2022年にかけて公表された(和訳)。驚くことに、そのAR6に再び「ホッケースティック曲線」が戻ってきたのである。前回、この曲線の背景を詳しく述べたが、それを振り返ってみると今回は本当に恥ずべき事だろう。WG1 政策立案者向け要約 (SPM)に対するWeb上のレビューに、科学的側面が簡潔に述べられているので、以下整理しておく。

  • 今度の「ホッケースティック」グラフ (Fig.1左図) は、過去 2,000 年間のさまざまな期間の異なる指標を組み合わせたものである。これらの組み合わせにより、現在十分確立されている温度変動、すなわちローマ時代と中世の温暖期そして続く小氷期、が否定されることは受け入れられない。

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Fig.1 AR6におけるホッケースティックグラフ

  • SPM ではいわゆる「異常気象」の発生確率が誤って伝えられている。本レポートのドラフトの正確な描写と比較して、多くのカテゴリで統計的な傾向と一致しない。
  • 北極、南極の変化は SPM で誤って伝えられている。特に過去 15 年間、北極の海氷には事実上変化が見られない。同様に、海面の変化が、SPM で誤って表現されている。2100 年まで緩やかに上昇する可能性があるとしても「気候危機」を示すものではない。
  • CMIP6 気候モデルは、AR5 の気候感度の大きな CMIP5 モデルよりもさらに気候感度に敏感にである。実際の気候感度は低いという査読済みの科学的証拠を無視している。モデルは、地球科学と炭素バランスについて間違った結論を与える。また 2100 年までの地球の気温上昇の可能性は、「気候危機」を示すものではない。
  • SPM は実際には存在しない「気候危機」を誤って指摘している。 SPM は、大きな社会的、経済的、人間的な不適切な対処法を正当化するために使われることになる。提案された政策への影響の大きさを考えると、SPM は最高の科学的基準を持ち、IPCC 内で非の打ちどころのない科学的完全性を示さなければならない

2010 年に、当時の国連事務総長および IPCC 議長の要請により、InterAcademy Council が IPCC 手順の独立したレビューを実施したことを思い出してほしい。その勧告の中には、レビューアのコメントが著者によって適切に考慮され、真の論争が IPCC 報告書に適切に反映されることが含まれていた。 AR6 SPM は、これらの推奨事項が実施されているという確信を抱かせない。残念ながら、AR6 WG1 SPM は、COP26 での政策議論の根拠となる客観的な科学的根拠を提供しなかった。また、CO2 レベルの小さな上昇と温暖化は、地球上の農業、林業、および人間の生活に与えるプラスの影響を与えることも指摘してない

さらに以下は「ホッケースティック」グラフ (Fig.1左図) についてのコメントである。

統計学者Steve McIntyreのコメントは衝撃的である。彼は、SPMの産業革命まで温度変化が小さいという結果が、PAGES 2k (過去 2000 年を指す 2k の過去の地球規模の変化、スイスのベルンに本拠地を置く国際的な古気候学グループによる) として知られる一連の研究に由来することを突き止めた。これらは、論文として発表されたものではない。

McIntyre(1947-)については前回も少し述べた。詳細はWikipediaと彼のBlogであるClimate Auditを参照。

最も大きなコメントは、十分に確立された高解像度アルケノン堆積物 (海藻によって生成される) のプロキシが意図的に省略されていることである。これらの堆積物には石灰岩層のものも含まれ、数百万年前のものまである。 PAGES 2kの気温の再構築の目的は、現在の気温を中世および0-1000年の気温の推定値と比較することだった。 しかし、0-30N ネットワークには 41 のプロキシがあるが、AD1200 より前の値を持つプロキシは 3 つだけで、AD925 より前の値を持つプロキシは 1 つしかない。

アルケノン(Alkenone)(ref.から再掲)- 炭素数37~39の長鎖不飽和アルキルケトン(アルケノン, alkenone)は、広く世界中の海底堆積物中に見出される。バイオマーカー化合物の一種である。石油、石炭などにも独自のバイオマーカー化合物が含まれ研究目的によっては有用な化合物である。1970年代末に、はじめて海底堆積物から同定された。その後、培養試料や堆積物中の円石藻化石(石灰質ナノ化石)の研究の総合的な考察から、ハプト藻(ハプト植物門)ノエラエラブダス科(Noelaerhabdaceae)とイソクリシス科(Isocrysidaceae)が生合成することがわかった。この化合物の不飽和度(二重結合の数)が生育時の水温に直接比例して変化し、かつその不飽和度は堆積後もよく保存される。このことから過去の水温を復元する古水温計として、地球化学や古海洋学、古気候学などにおいて広く応用されている。さらに、アルケノンの4不飽和比は古塩分指標に、アルケノンの炭素同位体比は過去の大気二酸化炭素濃度のプロキシとして使われる。

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Fig.2 アルケノンの化学構造

最初の1000年までの値を持つ単一の長いプロキシは、北アフリカ沖の海洋コアのMg/Ca値から再構築できる。その値は不規則に減少してきた。過去 2000 年を通じて、20 世紀にはごくわずかに回復するだけである。

Mg/Ca 古温度測定の基本的な根拠は、海水から沈殿した方解石中のマグネシウムの量が温度に依存することである。有孔虫由来の方解石の Mg/Ca 比は、海面水温の解釈に広く使用されてきた。

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Fig.3 気温によるMgとCaの取り込みの違い

McIntyreは続けて、PAGES2k と新しいホッケースティックから得られた主張を批判している。

温度プロキシは、温度に線形に関連していると想定されている。したがってネットワーク内のプロキシは、一貫した外観を持っている。PAGES2019 0-30N ネットワークでは発生しない。

PAGES2019 0-30N ネットワークにおいては、中世以前をカバーするプロキシは、驚くほど少ない。。過去 15 年で、そのようなシリーズは多くはなってはいるが、AD925 より前の値を持つプロキシはひとつだけである。

ネットワークは時間の経過とともに不均一になる。過去 2 世紀では、サンゴプロキシが多い。任意の形式の回帰は、適合するネットワークが十分に大きい場合にのみ、再構築できる。少数の長いプロキシに対する回帰は、非常に貧弱となる。

30-60N 緯度帯は、古気候コレクションで多くの注目を集めている。世界の他の地域を合わせたよりも多くのプロキシがある。 30-60S 緯度帯は正確に同じサイズだが、ほとんど研究されていない。30-60S 緯度帯がほぼ完全に (約96%) 海であることを考えると、PAGES 2019 がオーシャン コア プロキシを使用しなかったことは奇妙である。

アルケノンまたは Mg/Ca 測定値から海面温度を推定するための物理式が存在する。樹木の年輪幅から摂氏温度への変換は、その場しのぎの結果である。普遍的な式ではなく、統計的フィッティングである。アルケノン値はすべて測定されている。現代の海洋上で、既知の海洋温度にうまく適合している。加えて、海洋コアのアルケノン値は、より長い時間、中新世までもさかのぼることができる。

SPM で提示された「ホッケースティック」には、厳密な科学的根拠がないと結論できる。そして、過去2000年間の気候変動を誤って伝えている。最近の気候変動を「前例のない」ものとは結論できない。

* * * * * * * * * *

上記レビューは言う。「SPM は最高の科学的基準を持ち、IPCC 内で非の打ちどころのない科学的完全性を示さなければならない。」その通りである。AR6 WG1 SPM は科学的に貧弱である。日本においても、気象庁、環境省で独立したレビューを実施して率直なコメントを提出して頂きたいものである。

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Michael Mann の名誉棄損訴訟のゆくえ

ペンシルバニア州には東と西にフィラデルフィアとピッツバーグという二つの大きな町がある。あとは森と小さな町が点在するのみである。その中間に州都のハリスバーグがある。ハイウェイで東から西へ向けてドライブするとハリスバーグを過ぎたあたりから正面に南北に連なる盛り上がった山が目の前に立ちはだかる。これがアパラチア山脈で、オハイオ州の東部まで続く。

ハリスバーグの南東10マイル (16 km) のところにサスケハナ川があり、川にはスリーマイル島という中州がある。長さがスリーマイル (実際の長さは2.2マイル)である。この中州の中に1979年に事故で有名になった原子力発電所がある。

サスケハナ川に沿って北西へ北上し、途中から西のアパラチア山脈へ向けて行くと、小じんまりしたいくつかの町中を通り過ぎる。昔は、そのうちのひとつの町にサンヨーの工場があった。なぜこのような山の中の小さな町に、というようなところである。大きな峠を越えてさらに30分進むと大学の町へ導かれる。これが州のほぼ中央にあるペンシルバニア州立大学である。この大学にマイケル・マン(Michael Mann)がいる。彼は現在地球科学センター長を務める。

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Fig.1 Michael Mann

彼は、エール大学でPhDを取った後、マサチューセッツ大学でポスドクとして研究を行った。その時、1998年にNatureから出した論文が世を騒がすことになる。この後の2001年に出たIPCCの第三次の報告書に引用された一連のプロセスは、”科学とは如何にあるべきか“という教訓が含まれている。

2011年2012年にMannが二つの名誉棄損訴訟を起こした。1998年の論文のいわゆるホッケースティック曲線が科学的に間違いだと糾弾され名誉を傷つけられたというのである。このホッケースティック曲線はクライメートゲート事件と並んでIPCCの大きな汚点である。この科学的な背景と結末をまとめておきたい。最初に、ホッケースティック曲線の歴史の流れを知っておく必要があるので、長くなるがWebの資料をもとに整理しておく。

人為的温暖化の仮説を肯定する人々の主張の核心は、19世紀に始まった現代の温暖期が前例のない程、温度が上昇しているという推定である。もし同様の温暖化が人為的なCO2排出量が増加する前の古代から近代に起きていたなら、現代の温暖化が自然現象であり人為的に排出されたCO2とは無関係である可能性が大きい。

大気中のCO2が温室効果を持っていることは物理的に良く理解されている。(“CO2 the basic facts“)。重要な事は自然界のシステムにおけるCO2の定量的な寄与である。定量的に答えることは非常に困難である。だから前例のない温暖化が現在起きていてCO2による人為的な温暖化がただひとつの可能な因子だということを示すことはひとつの方法である。

1990年代までにAD 800–1300年における中世の温暖期(Medieval Warm Period)(MWP)に関する多くの文献があった。その後小氷河期(Little Ice Age)と言われる寒冷期が続いた。温度の指標となるデータ(proxy measures)と多くの文献に基づいて、中世の温暖期は現代の温暖期より気温が高かったものと考えられてきた。1990年代半ばまでは中世の温暖期は気候学者にとっては議論の余地のない事実だったのである。1990年のIPCCの報告でも明記されている。202ページのグラフ7cに見られる。そこには中世の温暖期の温度が現代の温暖期よりも高く記されている。

1995年の二次の報告書では、温暖化に対してCO2がより影響力の大きい因子として担ぎ出された。中世の温暖期はもはや二次的な意味しかなくなった。中世以降の温度軸が短くされ、小氷河期以降の長くてゆるやかな現代までの回復曲線となった。IPCCのメンバーだったJay OverpeckからDeming教授への”我々は中世の温暖期を取り除かねばならない。”というemailで明らかである。

1995年のIPCC二次の報告書と2001年の三次の報告書の間で大きな変更があった。気候変化の歴史の改変と中世の温暖期の除去は有名なホッケースティック曲線を通して行われた。下の二つのグラフを比較するとその過程が明らかになる。左は1990年の報告書の202ページ7cである。中世の温暖期の温度ははっきりと現代よりも高く示されている。右側は2001年のIPCC報告書 である。中世の温暖期と小氷河期は消滅している。そして現代の急激な温度上昇となっている。

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Fig.2

広く受け入れられてきた概念に対する最初の一撃は1995年だった。イギリスの気候学者Keith Briffa がNatureにセンセーショナルな結果を発表した。Siberian Polar-Uralの年輪の解析に基づいて、中世の温暖期はなく1000年の後、突然温暖な気候が現れたものと報告した。Briffaらは20世紀が百万年で最も温暖だと大胆にも提案した。この提案はCO2の影響に関する論争の中心になっている。これは5000-9000年前の完新世の気候最温暖期(Happy Holocene参照)をも無視するものである。

Briffaの研究はある程度の衝撃を与えたが、さらに大きな真の衝撃がついに1998年のNatureで公表された。Mann、Bradley、Hughesの”Global-scale temperature patterns and climate forcing over the past six centuries”と題する論文である。 (ここでダウンロードできる)。Michael Mann はこの論文の筆頭著者だった。彼がマサチューセッツ大学でポスドクをしていた時の研究である。1,000 AD までさかのぼる温度を推定するために年輪の指標が使われた。Mannは気象学の歴史を根本的に変えた。中世の温暖期とその後の小氷河期は取り除かれた。1900年までほぼ直線で温度が下がり、その後20世紀になると急激な温度上昇とした

2001年のIPCCの第三次報告書では詳細な検討もなく`ホッケースティック’曲線が採用された。IPCCはこの無名の若い科学者の研究を持ち上げた。20世紀は過去1000年のうちで最も暖かい時期である。1990年代は最も暖かい10年であり、1998年は最も暖かい年であった。” IPCCは1995年の記述を変更し`ホッケースティック’を新しい規範とした。お詫びも説明も一切なかった。科学的裏づけもなかった。Mannらのホッケースティックの論文が、BriffaのSiberian 年輪の研究以外には何も新しい概念を確認する方法はなかったのにである。

IPCCのドラフトがリリースされて数ヶ月でアメリカの`National Assessment’ Overview が`ホッケースティック’を最初のグラフとして取り上げ、CO2による人為的温暖化のキャンペーンが大々的に始まったのである。2001年のIPCC 報告書が突然ホッケースティック曲線を受け入れて、過去の気候モデルとした。一部の科学者は過去の気候が急に変えられたことを心配していた。他のプロキシデータは依然として中世の温暖期の方が現代より暖かだったことを示していたからである。それらは声にはならなかった。彼らは地球温暖化の拒絶者としてみなされるのを恐れた。

そうした時Stephen McIntyreという型破りのヒーローが現れたのである。彼はトロントの引退した鉱物学者だった。McIntyreは科学者でもなく経済学者でもなかった。しかし、統計学、数学、データ解析を良く知る人だった。当初は、決して懐疑論者ではなかった。気候変動として騒がれている基本的な概念に好奇心があった。ホッケースティック曲線がどうやって作られたのかを見たいものだと思った。2003年の春、McIntyreはMann にホッケースティック曲線の元となるデータをリクエストした。しばらくしてMannはデータファイルを提供した。

fig-3

Fig.3 Stephen McIntyre

McIntyreはRoss McKitrickと一緒に解析にあった。McKitrickはカナダの経済学者で、環境経済と政策解析を専門にしていた。ホッケースティック曲線のための平均値を作成するために統計的手法を採用した。かれらは直ぐに問題を見つけた位置のラベル、古い編集、シリーズの切り取りなど多くの小さな誤りがあった。これらの誤りは、Mann らの結論には大きな影響を及ぼさなかった。しかし、McIntyreとMcKitrickは大きなエラーを見つけた。これは論文の結論を全く覆すものだった。

Mannは多くの異なるプロキシデータを過去1000年にわたり混ぜ合わせ、平均値を計算し、ひとつのグラフ上に傾向を示した。この単純な方法が適切でないことは明白であった。このような性質の異なるデータを混ぜ合わせることは統計計算ではごく一般的である。良く確立されたテクニックがあり‘principal components’と言われる。 (詳細はMcKitrickらの論文をダウンロード). McIntyreとMcKitrickはMannが異常なprincipal component値を使っていたことを発見した。この値は算出した平均値をゆがんだものにした。Mannらの方法ではどのようなデータもホッケースティック曲線となった

ここに例を示す。

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Fig.4

二つの再現した温度曲線は共に1400ADまでさかのぼる年輪を基にしたものである。ひとつはカリフォルニア、他はアリゾナからのものである。両方ともMannによって使われている。上図は20世紀の後半で温度が上昇している。下の図は20世紀に入ってもフラットである。Mannらの統計トリックでは上の図のようなホッケースティック曲線となる。下の図に比べて390倍も大きい重みをつけることになる。どのようなデータを使ってもMannらの統計処理ではホッケースティック曲線を生成するのである。

McIntyre と McKitrickはさらに解析を進めた。多くのデータを処理する場合、データを歪めず、新しい間違ったものを取り出していないかを見極める必要がある。ひとつの方法はランダムにデータを取り出すことである。(しばし、Red Noise テストと言われる) McIntyreとMcKitrickはMannが解析したデータ群に対してこれを実行した。その結果は、食い違ったものであった。

Mannの手法を使っていろいろなデータ群を解析すると99%、ホッケースティック曲線を生じた。これはホッケースティック曲線が過去の気候を反映しているということに疑問を投げかけた

例でもって示す。下に八つのグラフがある。七つはランダムのデータをMann の方法で解析したもの、それと実際のホッケースティック曲線である。どれかを判定できるだろうか。

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Fig.5

McIntyreとMcKitrickはホッケースティック曲線の論文の重大な誤りについてNature へletterという形式で論文を提出した。8ヶ月という長い審査期間の後Natureは公表できないということを知らせてきた。その代わりNatureは、Mannにオンラインの補足版として訂正する機会を与えた。そこで彼は標準的な手法を用いなかったとしたが、結果には影響がないと述べた。

結局、2003年に McIntyreとMcKitrickは“Corrections to the Mann et al. (1998) Proxy Data Base and Northern Hemisphere Average Temperature Series”と題する論文をjournal Energy and Environmentに発表した。

McIntyreとMcKitrickは、Mannがデータの抽出に対してランダムではなく、また1993年のGraybillとIdsoによるbristleconeという松の常軌を逸したデータをも抽出していたことを指摘した。GraybillとIdso は元の論文でこれらbristleconeという松のデータはしばしば異常であり、プロキシのサンプルには相応しくないと言っていた。McIntyreとMcKitrickはもしこのデータセットをMannのプロキシセットから除いて平均するとホッケースティック曲線が消失することを見出した。過去の気候に関して整理した結果はもろくホッケースティック曲線が故意の操作で変わるものだということを示した。

下図の点線はMannらのオリジナルのホッケースティック曲線である。実線は正しく統計的処理を実施した場合の結果である。中世の温暖期を見てとることができるし、1990年代はもはや最も暖かな時ではない。

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Fig.6

McIntyreとMcKitrickはMannの使用したサーバー上のデータにアクセスしたところ、bristlecone のデータが要注意”のフォルダーに入っているのを見つけたMannは彼自身の実験のために使用したのかもしれない。これらのデータを除くとホッケースティック曲線が表れないことを自覚していたのかも知れない。しかし、Mannは欠陥のある結果を公表しなかった。McIntyreとMcKitrickによる調査により見つかったものである。上記の詳細な内容はダウンロードできる。(here ,web page)

アメリカの上院の委員会はEdward Wegman (数学、統計学の権威) の下で報告書をまとめた。(ダウンロード) 報告書が指摘しているように、最初の研究、論文の査読に誰ひとり統計学の専門家がいなかったのは驚きである。比較的少数の専門家によりやりとりされていたのである。またその報告書の中で、Mannは彼が展開したコードの詳細は彼自身の知的財産で、詳細なレビューのために開示するつもりはないとば述べている。

その後もIPCCが国連組織ということで、ホッケースティック曲線はCO2排出による人為的な温暖化を支持する人々により使われ続けてきたのである

* * * * *

さて名誉棄損訴訟についてである。Natureの論文掲載から10年以上経つ2011年のことである。FCPP (The Frontier Centre for Public Policy) は2011年2月のウェブサイトにMannについてTimothy Ball(カナダ・ウィニペグ大学元教授)とのインタビューを載せた。彼は、”should be in the State Pen, not Penn State”と皮肉をこめて言っている。詳細は良くわからないが、e-mail についての議論を言っているようである。Ballは大学を退官してからIPCCの人為的温暖化説に熱心に抗議を行ってきた(ref.)。そして、ホッケースティックグラフがデタラメだと批判してきた。そのBallとFCPPを、Mannがボールの住むカナダ・ブリティシュコロンビア州の裁判所に名誉棄損で訴えた。

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Fig.7 Timothy (Tim) Ball (11/5/1938-9/24/2022)

2019年3月、Ballは長時間の裁判遅滞のために閉廷することを要求した。ブリティッシュコロンビア州の最高裁判所は、同年8月の審議の時にこれを認めた。原告(Mann)の名誉棄損の訴えを棄却し、裁判費用の全額を賠償するように原告に命じた。被告が求めた、Mannがホッケースティックグラフを作成するために使用した原データの開示を9年間拒否したことが、敗訴の大きな理由だったようである。2011年から続いた訴訟は2019年に結審した。Mannの完全敗訴であったと言える。しかし、Ballはそれからほどなくして昨年(2022年)の9月に亡くなっている。83歳だった。

2012年には、Mannは、Mark SteynがNational Review(NR)のウェブサイトに掲載したMannの気候研究を批判するブログ投稿と、NRが論争についてコメントしたその後の記事について、NRと寄稿者であるSteynを訴えた。NR は略式判決で有利な判決を勝ち取っている(ref.)。2018年、Steynの投稿に関するNRのコメントは憲法修正第1条の下で保護されていると主張して、NRは反SLAPPの動議を勝ち取った。そして略式判決で、法廷は、SteynはNRの従業員ではなかったので、Steynについて責任を負うことはないとNRに同意した。裁判所の判決は、インターネット時代において重要である。修正第 1 条により、第三者が事前審査なしで公共の問題に関する解説を投稿できるとする出版社の権利が保護されるからである。

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Fig.8 Mark Steyn and National Review

最初のケースは専門家同士の対立、二番目のは専門家とジャーナリストとの対立である。両方とも客観的な科学データがあれば1-2年で結審できたケースであった。しかし、原告(Mann)はそれを示すことができなかった。IPCCの報告書では確かさの記述に下の表で示す尺度が使われるている(ref.)。科学論文では一つの事象が客観的データに基づき正しいか否かを判断するのであるから、このような尺度は全く意味がない。逆に言うとIPCCの主張に科学的証拠がないということを示している。従って、科学的証拠がないのだから上記のような法廷論争は今後ともなくならないだろう。

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気候はいつも変動してきたのでは…?

IPCCとその支持者達は、気候変動が最近顕著になっていると主張し、人為的に増加しているCO2のせいだという。しかしそれを裏付ける統計データを見たことがない。大雨が降った時、山火事が続く時、高温の時、台風が続けて来る時、死んだサンゴ礁が多く見つかった時など、IPCCとメディアがこぞって「気候変動」だ「CO2を減らせ」と騒ぐのである。

気候変動というのはいつの時代にも起きてきた。アメリカでは1930年代に何度か熱波が観測されている。1934年は、アメリカでは近年で最も暑い年の一つであった。その前後数年、グレートプレーンズでダストボールと呼ばれる砂嵐が頻発した。熱波に加えて人為的な影響が大きかったとも言われている。第一次世界大戦後、農家は利益を得るため、土地は過剰にスキ込まれ草が除去された。肥沃土は曝され、土は乾燥して土埃になり、それが東方へと吹き飛ばされた。離農する人々が増え、多くの土地が捨てられた。こうした耕作放棄地が乾燥し、さらに砂嵐の発生源となった。

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Fig.1 大きな砂嵐が西部の小さな町を襲おうとしている

子供のころ大きな台風被害のニュースが頻繁にあった。昔はインフラストラクチャーが今より整備されていなかったのだろうと思っていた。しかし、データを拾ってみると(Table 1&2)、1950±10年に被害が多く、しかも中心気圧も低い台風がそのころ多かったことがわかる。砂嵐、台風といった気候変動がCO2とは関係なく起きてきたのである。

Table 1 台風の被害ランキング

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Table 2 日本史上最強の台風ランキング

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以前述べたように、アラスカの州都ジュノーから北北西 20 kmのところにメンデンホール氷河がある。1700 年代半ばの時点で、メンデンホール氷河は最長の前進点に達し、それ以降後退して行く。その変化のデータが良く残されている。CO2の濃度上昇が顕著になる前の1700年半ばから氷河の後退は始まっている。氷河の後退は、CO2による影響というより自然サイクルによる小氷期の終焉のためだと考えられる。

地球表面には太陽エネルギーが降り注ぐが、曲面が均等に暖められるわけではない。自転の影響もあり地球表面には貿易風、偏西風、極東風が吹いている。また地球表面の70%を占める海は不均等な表面温度と風の影響で東西、南北に大きく流れている。風の強さは常に一定ではないし、海底の地形も複雑であるから海流の強さは変化する。従って、水の熱容量が大きいこともあり、水の惑星地球は表面温度に偏りが出てくる。当然気候変動と密接な関係があるはずである。

太平洋の熱帯域では、貿易風の東風が吹いている。そのため、海面付近の暖かい海水が西側へ吹き寄せられる。インドネシア近海では海面下数百メートルまで暖かい海水が蓄積するという。東部の南米沖では、深いところから冷たい海水が海面近くに湧き上ってくる。このため、海面水温は太平洋赤道域の西部で高く、東部で低くなる。

良く聞く気象用語にエルニーニョ現象がある。東部の低い海面温度が平年より高くなる現象である。地球全体としても温度が上がる。逆に、同じ海域で温度が平年より低くなる時がありラニーニャ現象と呼ばれる。地球の温度も下がる。ラニーニャ現象が発生している時には、東風が平常時よりも強くなり、西部に暖かい海水がより厚く蓄積する一方、東部では冷たい水の湧き上がりが平常時より強くなるという(気象庁)。この二つの現象は数年おきに発生する。エルニーニョの前後にラニーニャが発生するることが多い。

下図に示すように、南北の海流の動きを巻き込んだ地球規模の「全球規模熱塩循環流」が知られている。その循環のうち、大西洋だけで循環する流れを「大西洋熱塩循環流」と呼ぶ。 莫大な熱を運ぶため気候に大きな影響をおよぼすほか、「大西洋数十年規模振動」のメカニズムの基盤だと考えられている。30~40年おきに寒冷化と温暖化をくり返す。

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Fig.2 大西洋を起源とする全球規模の熱塩循環流

太陽による地球表面の不均衡なヒーティング、大気の不均衡な動きによる風、全地球上の海水の大きな循環、海水の不均衡な流れ、地球の自転などは気候変動に及ぼす主要な因子として考えられる。つまり、気候変動はCO2とは関係なく起きて来たし、現在もそうである

昨年の夏は暑い暑いと言うニュースが流れていたら、今年の冬は世界各地で寒いようである。エルニーニョ、ラニーニャの傾向を表す指数の変化は下図のようになる(エルニーニョが赤、ラニーニャが青)。このグラフは、現在ラニーニャが2,3年続いていることを示す。日本の寒波、大雪にも影響があったのかも知れない。

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Fig.3 ENSO(El Niño/La Niña Southern Oscillation) 指数

1979年以降人工衛星で地球表面の温度測定が継続されているが、その結果が下図のようである。ラニーニャに伴い気温が最近下降気味である。なお、付け加えておくと、1997年のエルニーニョの時に高温になったが、それ以降、25年間地球温度は横ばいである

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Fig.4 UAHの人工衛星による温度実測値
(UAH: The University of Alabama in Huntsville)

気候変動はCO2とは関係なく起きて来たし、現在もそうである。気候変動がCO2の増加と共に頻度が上がっているという統計データはどこにもない。IPCCとその主張を信奉するメディアの扇動が大きいように思えてならない。

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Fig.5 1月24~26日の日本列島の寒波、新名神高速道路下りの甲賀土山インターチェンジ付近

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温暖化問題 – なぜ原発回帰なのか

1958年、瀬戸内海の対岸の岩国(現三井化学)と新居浜(住友化学)で、ほぼ同時にフレアスタックから火が燃え始めた。石油化学の幕開けでナフサクラッカーが起動し始めたのである。今考えると両方とも日本最初のエチレン製造プラントだったが、土地のスペースはそれほど広くはなかった。それでも岩国は港をかかえ新造された麻里布丸(麻里布とは岩国の古い地区の名前)という四万七千トンのタンカーを横づけすることができた。新居浜は商店街を挟んだ社宅から耳を澄ますと「ゴー」というポンプ、圧縮機などが混ざった操業音が聞こえた。

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Fig.1 三井化学岩国工場のフレアスタックを東の小瀬川から臨む。
瀬戸内海へ注ぐ河口は遠浅になっていて1958年頃は潮干狩りに最適だった。

1960年代になると石炭から石油へのエネルギー変換が進んで行く。日本の石炭は低品位炭で硫黄分が多く、需要の多い製鉄に使われるコークス製造にも向いていない。また生産コストが高いために、北九州、北海道の炭鉱は次々と閉山していき輸入にたよっていくことになる。福島県浜通り南部の常磐炭鉱も縮小され、ついには閉山になった。

常磐炭鉱の閉山の後、雇用創出のために、1966年に地元の温泉を利用した大温泉プールを併設した「常磐ハワイアンセンター」が、現在のいわき市に開設された。同じ年に五市を中心に大合併して日本一広い市「いわき」ができる。当時は初めてのひらがなの市であった。また福島県も次期エネルギーと工業化を目ぼしい産業のなかった浜通りに画策していた。

宮城県南部から千葉県の房総半島まで長い砂浜の海岸線が続く。茨城県の中央部の鹿島は砂浜を掘って港を作り(掘り込み港湾)、鹿島コンビナートとなって行く。そして三菱系(当時の三菱油化)のナフサクラッカーが作られる。北は日本鉱業から派生した日立製作所が工業地帯を形成して行く。福島に入ると常磐炭鉱が閉山された後、海岸線に沿ったいわゆる浜通りには何も産業がなかったのである。

下はいわき市にある塩屋崎灯台を訪れた時の写真である。1961年に行った時は一面砂浜の海岸だったが、大震災の後2019年に訪れた時は、人工の防波堤と新たな道路が作られ昔の面影はなかった。塩屋崎灯台は、1957年の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったところである。また岬の麓には美空ひばりが1987年にリリースした「みだれ髪」の歌碑ができていた。

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Fig.2 北側の人工堤防の上から塩屋崎灯台を臨む(2019/6)

常磐炭鉱が下火になったころ、東北電力は奥只見の水力発電システムを構築した後であり原子力エネルギーまで手が回らなかったらしい。一方、東京電力はすでに水戸の北にある原子力産業の拠点となっていた東海村近辺に原子力発電所の建設を考えていたようである。そこで福島県と東京電力の思惑が一致して、浜通りに原子力発電所の建設が決まったという。原発事故の後、福島県が東京へ電力を供給するための犠牲になったと言う人もいるようだが必ずしもそうではないだろうと思える。

1970年代に入ると1973年1979年の二度のオイルショックによりエネルギー産業の転換期を向かえる。石油エネルギーから原子力エネルギーへの多角化が図られていく。このころから原発の安全性がアピールされ始め安全神話が広がっていったようだ。2000年代に入り温暖化対策のカーボンニュートラルという世界の潮流が原発を後押ししていく。しかし、2011年に福島原発の事故が起きてしまう。そして「FUKUSHIMA」は原発事故の代名詞になってしまった。

福島第二原発の北に富岡町がある。昨年(2022年)12月にこの町を訪れた。2011年、富岡は震度6強を記録している。富岡駅は海抜9 mであり、この地区は最大21 mの津波被害を受けている。さらに原子力災害という三重苦を負った。駅舎、駅の回りの家々は全て新築であった。常磐線は、2020年3月、富岡―浪江間で運転を再開し、9年ぶりに全線がつながっている。

この富岡町に2018年東京電力廃炉資料館ができた。現在は予約した上で案内係の人と共に見学することになっている。写真撮影は案内係の人の前でのみ可能である。下の写真は事故後を写したスライドの前で説明する案内嬢である。

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Fig.3 事故後の第一原発を写したスライドの前で説明する案内嬢(2022年、12月)

この資料館が、現在見学者へ伝えたいことはやはり汚染水の処理にについてと思われる。汚染水は淡水化装置を経て濃縮される。さらにALPS(Advanced Liquid Processing System)という独自のプロセスでトリチウム以外の62種類の放射性物質が規制基準を下回るまで浄化処理される。この装置は、沈殿処理吸着処理からなっているようである。汚染水中のトリチウムは水すなわちHTO(通常の水はH2O)として存在する。トリチウム水は通常の水と化学的性質が同じなので、煮ても焼いても汚染水から取り除くことはできない。そこで最終的な処理水は海水で希釈された後、海へ放出されることになる。100倍近くに希釈するようである。処理しても含まれるトリチウムの絶対量は変わらない

どのようなプラントも二重、三重の安全対策が施されている。圧力容器は必ず非常時の高圧を逃すためのデバイスがついている。弁や板が使われる。原子炉の圧力容器、格納器も同様のはずで、ニュースで耳にしたベントもそうであろう。従って、異常時には少なからず汚染物質が外へ放出される。原発は限りなく安全に近いのだろうが、事故が起きてしまうと福島のように取返しのつかないことになる。

地球温暖化が重大であり、化石燃料からのCO2排出が原因だと信奉する人々にとって、エネルギー源を何に求めるのかは、ジレンマに陥る問題に違いない。彼らにとり化石燃料はCO2を排出する悪役、原発はCO2を出さない善役である。しかし、現代の科学データは「温度変化の結果がCO2の変化である」ことを示している。この立場に立つと今後のエネルギー対策と地球環境の方向性が180度変わることになる。化石燃料は今後数百年の可採埋蔵量がある。特に石炭は広く分布し日本にもまだ埋蔵量がある。

今後石炭は、以前のように日の目を浴びても良いはずである。日本の火力発電所は排煙処理が行き届き、発電効率も高い。下図は横浜にある磯子火力発電所におけるSOx(硫黄酸化物),NOx(窒素酸化物)の排煙処理の例である。世界の他のプラントに比べ排煙処理は高い効率である。

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Fig.4 横浜の磯子火力発電所の廃ガス中のSoxとNOxの処理能

20 世紀後半から石炭ガス化複合発電(IGCC: Integrated coal Gasification Combined Cycle)がアメリカと日本で研究されてきた。実証プラントがアメリカのエネルギー省のサポートで建設されている。日本では、1980年代以降三菱重工、電力会社、NEDO(オイルショック後に作られた新エネルギー関連の国立法人)の国家プロジェクトとして開発されてきた。

微粉炭のガス化は既に1950年代に確立されていて生成された合成ガスの水素はアンモニア合成に利用される計画もあった。この計画は石炭から石油へのエネルギー変換でたち切れになっている。このガス化プロセスがIGCCに組み込まれている。酸素を制限した部分酸化によりCOと H2の合成ガスが生成されて、高温高圧のガスでタービンが回される。さらにこの高温高圧ガスを燃焼させてスチームを発生させタービンを回す。全発電効率は48%とのことである。現在、実証プラントは勿来IGCCパワー合同会社に引き取られ商業運転が続けられている。おそらくIGCCの商業運転をしているのは世界でここだけだと思われる。

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Fig.5 IGCCプロセスの概略

かってのバイオマスであった石炭と石油、そして原子力エネルギーへの流れを手短に述べてきた。バイオマスの産物を元のCO2へ戻そうとすると大きな非難を浴びるようである。一度事故が起きたら取返しのつかない事態になる原発へ回帰すべきなのだろうか。IPCCのプロパガンダを鵜呑みにせず、科学的事実に基づいて今後のエネルギーの方向性をじっくり考えていきたいものである

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温暖化問題 – 重箱の隅をつつく

自宅の近くにイリノイ大学 (University of Illinois at Chicago: UIC) のシカゴキャンパスがある。自宅周辺はシカゴのダウンタウンに近く散歩するのも大都会の中なので緊張感がいる。しかし、大学 (UIC)のキャンパスだけは緑も多く車を気にする必要もない。散歩するのには良いところである。

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Fig.1 イリノイ大学キャンパスの一角(2022/8)

その大学(UIC)のフェイスブックのアカウントにSustainability at UICというグループがある。2015年9月の国連サミットでSDGs(Sustainable Development Goals: 持続可能な開発目標)が採択された。そのSDGsにならって温暖化問題を中心に環境保護のために行動をしようということらしい。

先日このサイトに次のような主張があった。”クリスマスツリーを一般ごみと一緒に処分すべきではない。一般ごみは埋め立てられ、分解して温室効果ガスのメタンを発生する。温暖化に対してメタンはCO2よりも影響が大きい。だから、クリスマスツリーは粉砕してマルチにすべきだ。そのための市が決めた場所に捨てよう。” この主張を読んだ時、随分と「重箱の隅をつつく」話だなあと思った。なぜかを説明するために、温暖化とCO2の因果関係を整理しておきたいと思う。詳細は全てこのブログで以前述べてきたことである。

fig-2
Fig.2 廃棄されたクリスマスツリー

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Fig.3 マルチの例

整理-1

IPCCの地球上の炭素バランスによると全炭素のサイクル量が150 Gt、そのうち光合成に関与している炭素が60 Gt、残りの90 Gtが地球上のCO2の放出、吸収に関与している量である。90 Gtのうち化石燃料の燃焼で排出されるCO2は炭素換算すると5 Gtである。従って、人為的に排出されるCO2の量は、全炭素サイクルの約3% である

整理-2

光合成で固定されたCO2起源の炭素60 Gtは究極的にはCO2またはCH4に微生物で分解される。莫大な量であるが、太古から延々と続いている自然サイクルの一環である。空気が存在する好気的分解ではCO2に、空気が制限された嫌気的分解ではCH4になる。タンパク質などの窒素を含む生物体の分解ではN2Oが発生する。

整理-3

主要な大気中の温室効果ガスは、H2O、CO2、CH4、N2Oである。大気中の濃度はH2Oが%、CO2が数百ppm、CH4が数百ppb、N2Oが数百ppbである。従って、温室効果はH2Oによってコントロールされ、CO2の影響は小さい。さらにCH4とN2Oの効果は無視できる

整理-4

微生物による分解では、CO2の発生量は温度に依存する。温度が高いほど分解速度は速い。人工衛星による観測によると、熱帯の方が工業地帯よりCO2濃度が高い。微生物による分解速度が速いためである。

整理-5

気温の変化から10ヶ月遅れて大気のCO2濃度が変化する。エルニーニョ現象がおきると地球の温度が上がるが、2015年のエルニーニョの時にCO2が熱帯地方で増加した。氷床コアの分析でも、温度変化から1000年余り遅れてCO2が変化している。また、氷床コアの分析で、CH4も温度変化に追随して変化していた。

整理-6

CO2は温度の変化に呼応して変わるのであり、温度変化の積分値で表現できる。あるいはCO2の変化速度(微分)と温度が一次式で関係づけられる。従って、CO2の濃度変化と温度変化には因果関係があるが、CO2の濃度変化は温度変化の原因ではなくて結果である

これまで分かっている以上の科学的な事実から、廃棄するクリスマスツリーを一般ゴミから分けてマルチとして活用すべきだという主張が「重箱の隅をつつく」話だと言う所以である。

山からクリスマスツリーを切り出し、車で町まで運び、一か月後に車で廃棄ツリーを回収して、モーターで粉砕してマルチを作ることから出るCO2はどう考えるのだろう。プラントの回りに施されたマルチもいずれはCO2に分解する。内部のマルチからはCH4が出るかも知れない。いずれにせよ「重箱の隅をつつく」というレベルでの話をし始めるとこうなる。

廃棄した木の回収を行うシカゴ市、関連記事を書いた新聞社、賛同するイリノイ大学はもっと本質的なことを考えるべきである。日本でも同様である。石炭の火力発電を自粛して、エネルギー価格の高騰に苦しみ、原子力エネルギー活用へと回帰することは科学的な事実に照らすとおかしな話である

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Fig.4 イリノイ大学のキャンパスから眺めたシカゴのダウンタウン(2022/6)

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